レビュー本が1000冊を突破しました。
引き続きジャンルを問わず読んだ本をマイペースで紹介してゆきます。

空白の天気図


柳田邦男氏による大戦中、大戦直後の広島地方気象台を舞台にしたノンフィクション小説です。

開戦と同時に日本国内に気象管制が敷かれ、新聞やラジオから天気予報が消えました。

これは気象情報が爆撃をはじめとした軍事行動に欠かせない情報であり、一旦戦争が始まれば立派な軍事機密に相当するためです。

そのため多かれ少なかれそれは現在でも変わらず、戦争が人びとの生活に欠かせない台風や大雪などの情報から隔離されてしまうことを意味します。

戦争末期には気象情報を伝達するための通信網が空襲などによりズタズタに寸断され、完全な天気図を作成することも困難になってゆきます。

そこに1945年8月6日、人類最初の原子爆弾を投下された広島は壊滅的な打撃を受けることになります。

さらにそのわずか1ヶ月後の1945年9月17日、最大規模の枕崎台風が広島を直撃し3066名にも登る死傷行方不明者を出すことになります。

それでも原爆によって職員、機材を失っていた広島地方気象台は観測を続けました。

それを支えたのは気象人として自然現象を正しく観測し、欠損無く記録を残すことで後世への財産とする「観測精神」というべきものであり、「軍人精神」とは明らかに違う科学者の自負と責任感を根底に持ったものでした。

本書は自分や家族が被爆し、さらに敗戦による精神的ショックといったさまざまな障壁を乗り越えていった広島地方気象台の実録であると同時に、戦争、そして自然災害がもたらした惨劇を後世に伝える作品でもあるのです。

まるで壮大な戦争文学を読んでいるかのような錯覚に囚われますが、同時に著者が集めた膨大な資料や取材に基づいた史実であることを思い出すと、その時代を生きた人びとが体験した現実の重さにため息が出てくる想いです。

昭和二十年八月六日の広島については、多くの記録や文学作品や学術論文があるが、その直後の九月十七日に広島を襲った枕崎台風の惨禍に関する記録は少ない。原子爆弾によって打ちひしがれた広島の人々が、その傷も癒えぬうちに、未曾有の暴風雨と洪水に襲われた歴史的事件を今日知る人は果たして何人いるだろうか。

あとがきで著者が述べている本書執筆の動機ですが、激動の時代、戦争と戦後の切れ目にあって忘却されかけた事件にスポットを当てた本作品はノンフィクションとして慧眼といえるものであり、後世に読み継がれていって欲しい1冊でもあるのです。