私本太平記(二)
執権・北条高時を頂点とする鎌倉幕府と後醍醐天皇を頂点とする宮方、そしてそれを取り巻く武士や公卿たち。
この2つの勢力の争いは権謀術数が渦巻き、のちに武力による実力行使へと発展してゆくことになります。
しかも鎌倉幕府が倒れたのちも武士と宮方の争いは果てしなく続き、戦乱の時代はじつに半世紀にもわたって続いてゆくのです。
いかに壮大なスケールであろうとも、この権力闘争を戦乱絵巻図のように淡々と小説にしただけでは読者は飽きてしまいます。
その点で吉川英治「私本太平記」は、足利尊氏、後醍醐天皇、楠木正成といった主要登場人物のほかに、戦乱の世に翻弄され一見すると取るに足らない人物に焦点を合わせたサイドストーリーをしっかりと用意しています。
若き日の尊氏が旅先で出会った田楽一座の舞姫・藤夜叉、そして彼女との間にもうけた落とし子である不知哉丸をはじめとして、足利一族である草心尼とその息子である琵琶法師の覚一、元武士で大失恋の果に出家遁世した兼好法師、駆け落ちし大道芸人となった雨露次・卯木夫妻などなど・・多彩で個性的なキャラクターが織りなすストーリーは、太平記の本筋に負けず劣らず読者を楽しませてくれるとともに、作品を奥深い魅力的なものにしています。
私本太平記第2巻では、正中の変によって倒幕計画が漏れ大打撃を受けた後醍醐天皇が、その不屈の精神で再び倒幕活動を再開します。
その中でも前回の変で危うく捕らえられるところだった日野俊基は、六波羅の放免(密偵)にマークされているにも関わらず精力的な活動を続け、その行動はもはや大胆不敵を通り越して、自らの命を微塵も惜しまない悲壮感さえ漂ってきます。
そしてまたもや後醍醐天皇の計画は側近の密告によって幕府に発覚することになります。
窮地に陥った後醍醐天皇は側近とともに京を脱出し、息子の大塔宮護良親王らとともに笠置山に立て籠もります。
しかしなおも時代の潮目はまだ訪れていませんでした。
後醍醐天皇に同調し各地から馳せ参じる武将は少なく、多勢に無勢では勝ち目はなく、ついに幕府によって囚われの身となってしまうのです。
しかし天皇が軍事力によって倒幕運動を実行するというこの元弘の乱は、本格的な戦乱時代の到来を告げるものでもあったのです。
私本太平記(一)
歴史小説の重鎮だけあって吉川英治の代表作といえば「三国志」や「宮本武蔵」、「新・平家物語」など多くの名作を挙げることができますが、個人的には数ある作品の中で本書「私本太平記」は一二を争うお気に入りです。
「三国志」、「戦国時代」、「明治維新」、日本の歴史ファンとってこの3つがもっとも人気のある時代ですが、本書が扱っている南北朝時代はそれに劣らないほど魅力的な時代です。
個性の強い魅力的な武将が割拠する戦国時代の要素、そして後醍醐天皇が中心となって朝廷(宮方)の求心力を復活させるべく繰り広げられる倒幕運動には明治維新の要素があります。
本作品はそんな南北朝時代を「三国志」と同じく、通史の形式で執筆しています。
ちなみに南北朝時代の特定人物にスポットを当てた作品としては、北方謙三氏の南北朝シリーズが有名です。
そんな壮大な歴史物語の始まりは、弱冠17歳の足利高氏(のちの尊氏)が大晦日に京の居酒屋で酔い潰れて居眠りしているところから始まります。
そこでは国元の両親も健在であり、いわゆる部屋住みで人生の目的を持てず刹那的に日々を過ごしている若き日の高氏が象徴的に描かれています。
武家政権の頂点に君臨する鎌倉幕府14代執権・北条高時は政治よりも闘犬や田楽に夢中になっているものの、その脇を固める北条一族は強大であり、少なくとも表面上は天下泰平の日々が続いていました。
一方で鎌倉から遠く離れた京都では、のちに時代を激動させる中心人物が密かに倒幕のために動き出していました。
その人物こそが第96代後醍醐天皇です。
実際には側近の日野俊基や日野資朝といった過激派の公卿たちが後醍醐天皇の手足となり、諸国を渡り歩き討幕運動を働きかけていました。
それは戦乱のない平和は表面上の見せかけであり、実際には重税に苦しめられる農民、公然と賄賂が横行する北条氏の治世下で怨嗟の声が日本各地に広がりつつあったことを意味していました。
明治維新において積極的に活動した志士たちは藩士や浪人であったりしましたが、この時代に活躍した元祖志士たちは天皇に直接仕える公卿だったのです。
しかもその計画の中心にあって彼らを直接指揮したのが天皇自身であったという点が後世の幕末時代とは大きく異なります。
しかし後醍醐天皇を中心とした倒幕運動が実行に移される前に、幕府の出先機関であり強力な捜査網と武力を兼ね備えた六波羅探題に察知され、後醍醐天皇は無事だったものの主だった人物が処罰される、いわゆる正中の変によって計画は一旦頓挫してしまうのです。
機はまた熟しておらず、のちに戦乱の世へ踊りだすことになる足利尊氏、新田義貞、そして楠木正成といった武将たちは未だ眠りから覚めていませんでした。
兵士を追え
自衛隊の海外派遣、そして日本国憲法第9条の解釈や改正といった政治問題がマスコミに取り上げられる機会は多いですが、当事者である自衛隊員たちにスポットが当たることは滅多にありません。
自衛隊は24万人もの人間が所属する巨大な組織であり、企業でいえば国内でこれだけの従業員を抱える組織はありません。
また核兵器こそ保有していませんが、世界的に他国の軍隊と較べてもその装備は強力かつ最新鋭な部類に入ります。
著者の杉山隆男氏は、長年に渡り自衛隊の取材を続けそれを「兵士シリーズ」として発表していますが、本書はその第三弾です。
今までも過酷な訓練に励むレンジャー部隊、24時間体制で領空侵犯してくるロシアや中国の戦闘機を監視するレーダーサイト、マッハ2.5という究極の条件下で戦闘機F15を操るパイロットたちの現場を精力的に取材しています。
今回は海上自衛隊の潜水艦、そして哨戒機部隊に潜入取材を試みています。
日本が保有する16隻の潜水艦は、昼夜を問わず日本を取り囲む海の中で人目につくことなく警戒監視を続けています。
その潜水艦が何時どこを航行しているのかは秘密のベールに包まれ、乗組員の家族はもちろん、潜水艦の艦長たちでさえお互いの潜水艦がどこで任務に就いているのかを知ることはありません。唯一、潜水艦隊司令部のみがそれを把握しているのです。
隊員たちもその任務の内容を家族にさえ話すことが禁じられているため、一旦潜水艦に乗り込むと1週間か2週間、または1ヶ月以上に及ぶ航海であるのかは漠然としか知りません。
もちろん海中で電話やインターネットが通じる訳もなく、乗組員たちは鉄の密室の中で運命共同体として任務に当たるのです。
鉄の壁を隔てた外側は人間の生存を許さない深海であり、太陽の光の届かない完全な暗闇に覆われた世界です。
著者はそんな潜水艦の中に乗り込み取材を続ける中で、限られたスペースで生活する隊員、敵艦に察知されないよう物音1つ立てることの許されない厳戒態勢下での緊張感、何より1つのミスが乗組員全員の死と直結してしまう究極の環境下で任務をこなす隊員たちの日常は我々のそれと大きく異なる世界であることを実感してゆきます。
それでも任務が終わり陸上に戻った隊員たちの日常は、妻子を持つ普通の父親であったり、路上でダンスパフォーマンスに熱中する今どきの若者であったりするのです。
自衛隊という組織の巨大さを考えれば彼らの任務は決して特殊なものではなく、日本の領海、そして領空の安全を日々監視する仕事に就いている人たちなのです。
つまり我々と変わらない普通の日本人であり、それだけに彼らの日常や素顔を紹介する自衛隊ルポルタージュは多くのことを読者に教えてくれるのです。
陸奥爆沈
昭和18年6月、瀬戸内海において戦艦「陸奥」が謎の爆沈をとげます。
1121名もの犠牲者を出した大惨事であり、かつ現場が柱島泊地という日本海軍の重要な根拠地にも関わらず、戦時中ということもありこの事故は重要軍事機密として長い間外部へ漏れることはありませんでした。
別件の取材で桂島を訪れた著者が現地で陸奥爆沈という過去の事件を耳にし、その真相を探るために書き上げたのが本作品です。
機密として扱われ続けたこの事件は、本書の執筆を開始した戦後20数年が経過した時点でも原因が公表されていませんでした。
それを著者は命からがら救出された陸奥の元乗組員、事故の調査にあたった元海軍関係者、民間の専門家、そして残された記録から事故の真相に迫ってゆく戦史ドキュメンタリーとして書き上げています。
あいにく私は戦艦に疎いのですが、簡単に説明すると大正10年に完成し昭和11年に大改装を施した「陸奥」は、同艦型の「長門」とともに「武蔵」、「大和」が出現するまで世界最強の戦艦として名を馳せ、太平洋戦争当時においても日本海軍の主力を担っていた戦艦でした。
これだけ重要な戦艦を原因不明の爆沈事故で失ったことは軍首脳陣にとって衝撃であり、大幅な戦力喪失を敵国に知られないために、そして自軍の士気低下を憂慮してこれを徹底的な機密事項として処理し続けたのです。
艦隊の停泊所として利用されている穏やかな海で突如発生した爆発は、わずか2分で「陸奥」を海底へ沈めてしまい艦内にいた大部分の乗組員さえ何が起こったのかも知らずに命を落としていったのです。
軍艦は、多種多様の人間をつめこんだ容器とあるということを、調査を進めうちに実感として感じとった。組織、兵器(人工物)の根底に、人間がひそんでいるということを発見したことが、この作品を書いた私の最大の収穫であったかも知れない。
これはあとがきの一文ですが、今まで火薬の自然爆発説が有力だったこの事故を追ってゆくうちに意外な噂を知ることになります。
それが事実であれば栄光に彩られた帝国海軍の伝統や名誉を汚しかねない事件であり、そのために陸奥爆沈の事実が隠蔽され続けてきた可能性が出て来るのです。
歴史の闇に葬り去れかねない事故にスポットを当て、地道に調査を重ねて本書を完成させた著者の努力は驚くべきものであり、文句なしの名作ドキュメンタリーになっています。
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