本と戯れる日々


レビュー本が1000冊を突破しました。
引き続きジャンルを問わず読んだ本をマイペースで紹介してゆきます。

相続はおそろしい


私自身、過去に相続の経験も近い将来に相続を受ける予定もありませんが、それだけに"遺産相続"というワードは実感が沸かないため何となく距離を置いていました。

しかし新書という形で手軽に相続を学ぶ機会だと捉えて本書を手にとってみました。

本書ではケースごとに公認会計士の平林亮子氏が実際に起きた相続トラブルを紹介し、次にそれを未然に防ぐためのアドバイスを行う構成になっています。

遺産相続に関する法律の解説はケースの中で個別に行う程度に抑え、読みやすさと実用性を重視しています。

簡単ですが、本書で紹介されているケースの一部を抜粋してみます。

  • 介護を負担した相続人とそれ以外の相続人の間のトラブル
  • 付き合いのない親戚の遺産を知らない間に相続するトラブル
  • 配偶者と義理の両親との間での相続トラブル
  • 隠し子がいたときの相続トラブル
  • 遺言偽造を疑われたトラブル
  • 不動産の相続トラブル
  • マイナスの遺産(負債)を引き継ぐトラブル
  • 相続と税金に関するトラブル

自分自身が亡くなる時のことを考えると、残された家族が相続で争うことなど想像したくもありませんが、本書の事例に登場する遺族たちも自らが望んでトラブルに直面した訳ではないのです。

相続トラブルを防ぐための具体的なアドバイスは本書に詳しいですが、相続も災害と一緒で、元気で平和な時に備えておくことが大切だということを実感させてくれる1冊です。

生物と無生物のあいだ


生物学者・福岡伸一氏によるサイエンス・エッセーです。

著者は分子生物学を専門にしており、DNA研究、またかつて話題になったiPS細胞の研究なども分子生物学の範囲に含まれているようです。

当然、そうしたニュースを耳にする私たちもDNAの中に遺伝子情報が格納されていること、iPS細胞からさまざま組織や臓器を作り出せる可能性があることを知っています。

一方で専門外の私たちが、こうした断片的な情報を体系的に知るためにわざわざ専門書を手にして読む気もなかなか起きません。

本書は分子生物学の歩み、そして(執筆時点における)最新の研究成果を一般人向けに教養知識として与えてくれる1冊です。

本書にはもちろん専門用語も登場しますが、著者はそれを分かりやすい例えで表現してくれます。

しかもただ例えるだけでなく、どことなく文学的な描写で読者の興味を引き寄せます。
幾つか印象に残る表現がありましたが、その一例を引用してみます。

静かすぎるボストンにおける私のミッションは、新種の"蝶"を採集することに似ていた。
~中略~
大げさないい方を許していただくとすれば、そして私たちが採集しようとした小さな小さな、そして色のないジグソーパズルのピースを、極彩色のアゲハチョウと比べる不遜さを今だけ見過ごしていただくとすれば、新しい未知のタンパク質を捉えようとしていた当時の私たちの内部に沸き起こっていた感覚は、ボルネオやニューギニアの密林を踏破した採集者たちの興奮と同等のものだったのである。

さらに著者自身が体験した最先端研究の現場における研究所やポスドク間の厳しい競争、かつて大発見に近づきながらも日の目を見ることなく消えていった先人研究者たちの悲哀が綴られています。

生物の本質へと迫る研究は、時に生命の冒涜、神への不遜な挑戦と非難されることもありますが、それでも著者の生命へ対する敬虔の念を失わない姿勢が読了感を爽やかなものにしてくれています。

下流同盟―格差社会とファスト風土


消費社会研究家、そして評論家の肩書をもつ三浦展氏が、2006年に発表した作品です。

多くの反響があった本ですが、発売から10年以上経過した最近になって初めて手にとりました。

簡単に説明すると下流同盟とは、アメリカに代表されるグローバリゼーションが日本において貧困層を固定化、貧富の差を拡大させるといった社会的な面から見た現象であり、ファスト風土とは、(主に地方都市の)郊外に乱立する大型ショッピングセンターが伝統的な固有の風土を破壊するといった文化の観点から見た現象であるという点です。

2つとも著者による造語ですが、世界中で広まりつつあるグローバリゼーションの与える影響を違う断面から切り取った本質的には同じ問題がもたらした現象です。

正確にいうと本書は三浦氏を含めた6人の学者や有識者たちの共著であり、こうした現象を様々な(地方都市を訪れたり、アメリカへの視察旅行などの)方法や視点で検証しています。

私自身が地方出身ということもあり、三浦氏の言うファスト風土化は実感として持っています。

本書で取り上げられているように郊外に大型ショッピングセンターが次々と建設され、駅前がシャッター商店街となる現象は、まさに私の故郷でも起こっている現象です。

確かに何でも揃い、遅くまで営業している大型店は生活する上では便利ですが、昔からの個人商店が次々と閉店し、地域のコミュニティまでもが破壊されているという点もある程度は当てはまっています。

本書が発売されてから10年以上経過した今でもこうした現象は見られますが、今は更に新しい段階に入ったという思いもあります。

それは少子高齢化と人口減少、さらにAmazonに代表される便利で手軽なネットサービスの浸透により、こうした大型ショッピングモールさえも潰れる時代に入ったというものです。

結果的に田畑や森林を潰して建てられた巨大な廃墟、そして広大な無人駐車場が日本各地に残される可能性はかなり高いと思います。

「便利さを追求した結果が幸福をもたらすとは限らない。」
文字に書くと当たり前ですが、断絶したコミュニティと巨大な廃墟しか残らない日本の未来を防ぐためにも、本書の警告する内容は決して軽く見ることはできません。

海の史劇


1904年(明治37)年9月5日、フィンランド湾のクロンスタット港においてロシア皇帝ニコライ二世が見つめる中、ロジェストヴェンスキー少将率いるバルチック艦隊が日本との決戦に向けて出港するところから本編は始まります。

本書は日露戦争における日本海海戦(対馬沖海戦)をクライマックスとする壮大な海戦史を綴った作品です。

500ページ以上にも及ぶ長編には、バルチック艦隊が喜望峰を経てアフリカ大陸を迂回し、はるばるウラジオストクを目指す過程、日本海軍が旅順要塞の攻略を含め、強大なロシア海軍を迎え撃つ過程が細かく記録されています。

日露戦争を題材にした小説といえば司馬遼太郎の「坂の上の雲」が有名ですが、日本からの視点を中心にして描いている点、歴史小説として人物にスポットを当てたアプローチを取っているのに対し、吉村昭氏の本作品はひたすら海戦の過程を記録してゆくスタイルで書かれています。

紀元前のサラミスの海戦、近代になってからのトラファルガーの海戦など、それまで世界史に残る海戦は西洋を中心に行われてきましたが、はじめて世界が注目する中で日本が人類史上最大の海戦を経験することになります。

それだけに日本、ロシア両国にとってこの戦いは単なる海戦ではなく、日露戦争の勝敗、つまり国運を賭けた規模で行われます。
これは軍事に留まらず、外交から経済まで国の総力を挙げた決戦であることを意味し、両艦隊を率いる司令官(東郷平八郎ロジェストヴェンスキー)の責任はとてつもなく重いものでした。

例えば「坂の上の雲」で日露戦争に興味を持ち、その海戦の過程を詳しく知りたいという読者にとって本書は歴史専門書のような堅苦しさもなく、物語のような形式で読み進められる点でお薦めできる作品です。

本書の優れている点は日本海軍が勝利を収めた場面で終わるのではなく、アメリカのルーズベルト大統領斡旋の元で行われた講和条約(ポーツマス条約)の調印に至る過程にも詳細に触れらている点です。

両国の全権大使である小林寿太郎ヴィッテの交渉も難航を極め、お互いに国家指導者たちの意向や世論を背負って交渉を進めていく過程は、外交が武器を使わない戦争に例えられるように過酷なものです。

いずれにしても日本は戦争を継続する経済力がほとんど尽きている状態であり、これ以上の戦争継続が不可能であることは、首相、大臣そして軍の参謀に至るまで一致した意見だったのです。
一方、強固な姿勢のロシアにも帝政に反対する勢力によって国内情勢が悪化しており、戦争継続を主張するのは皇帝と一部の側近のみという状態でした。

この作品を通じて実感するのは、日露戦争において日本は完勝には程遠い、かろうじて判定勝ちしたに過ぎないことです。
戦争に費やされた膨大な労力と物資、そして何よりも多くの人命が失われたことに圧倒され、壮大な歴史小説のような感動ではなく、戦争の現実を考えさせられる1冊です。