生を踏んで恐れず 高橋是清の生涯
高橋是清を主人公にした津本陽氏の歴史小説です。
大蔵大臣を7回努め、総理大臣や政友会総裁も経験した戦前の代表的な政治家ですが、以前本ブログで「高橋是清自伝」を紹介しているため詳しい経歴については割愛します。
本書は基本的に自伝の内容をそのまま踏襲するストーリーになっています。
つまりアメリカへの留学、実業家時代、さらに日銀副総裁として主にイギリスで日露戦争のための戦時外債の公募を行った時期にスポットを当てています。
自伝では殆ど触れられなかった大蔵大臣時代を読みたかった私としては少し残念な点であり、自伝と比べて約半分のページ数で歴史小説として完結しています。
自伝では事務的な内容についても触れられているため、人によっては冗長に感じることがあるかも知れませんが、本書は一流作家によって要点を絞ってテンポよく書かれいるため、圧倒的に読みやすくなっています。
よって高橋是清という人物に興味を持った人は、自伝よりまず本書を手に取ることをお勧めします。
入念な下調べをしてから執筆することで定評のある津本氏の作品だけあって自伝と比べても正確性に遜色なく、自伝では記載され得ない是清が暗殺されることになる二・二六事件についても触れています。
そこには日中戦争、そして日米開戦へ向けて軍部が暴走し始める暗い時代においてもプロフェッショナルとしての信念を貫き通した80歳を過ぎた彼の晩年が鮮やかに描かれています。
軍部の標的になることを恐れ、沈黙を守る政治家が多い時期にも関わらず高橋は閣議において次のような発言を行っています。
「いったい軍部は、アメリカとロシアの両面作戦をするつもりなのか。国防というものは、攻めこまれないように、守るに足るだけでいいのだ。大体軍部は常識に欠けている。(中略)その常識を欠いた幹部が政治にまでくちばしをいれるのは言語道断、国家の災いというべきである」
数多の辛苦を経験し乗り越えてきた人間は、時代に流されることのないバランス感覚と勇気を兼ね備えていたと言えるでしょう。
沖縄を変えた男 栽弘義――高校野球に捧げた生涯
本書はかつて沖縄水産高校を率い1990年、91年に甲子園準優勝を成し遂げた栽弘義監督の実像に迫ったノンフィクションです。
高校野球の監督を"沖縄を変えた男"と表現するのは大げさと思うかも知れませんが、高校野球(特に甲子園)はアマチュアスポーツを超えた国民的な人気イベントと言うべき人気を誇り、中でも沖縄県の野球熱は日本トップクラスです。
今でこそ沖縄県は野球の強豪県として定着し、プロ野球で活躍する沖縄県出身選手も珍しくない時代になりましたが、戦前から戦後、そして沖縄返還(1972年)が行われた時点においても沖縄は長い間、野球の弱小県の地位に留まっていました。
かつ日本国内においてさえ沖縄県人への差別が残っていた時代において、甲子園で良い成績を残すということは戦争で傷ついた沖縄人たちの心を癒やし、また彼らのアイデンティティを取り戻すためにも必要な象徴的なイベントであり、それを実現した栽監督を"沖縄を変えた男"と評価するのは決して大げさではないのです。
私自身も高校野球ファンの1人ということもあり、沖縄出身の球児たちが甲子園で快進撃を続ける姿に県民一丸となって熱狂する姿は容易に想像ができます。
この表舞台だけに目を向けると栽監督の業績は華々しいものですが、その裏に秘められた強烈な逸話についても著者がかつての教え子だった球児を丹念に取材して聞き出しています。
代表的なものが、昭和のスポ根を地でゆく暴力が練習や試合時に振るわれていた点です。
時には選手へ対して「殺すぞ」という過激な発言も出ていたようです。
さらに先輩が後輩へ対しナイフで脅すような恫喝まがいの上下関係があったことも事実のようです。
私がもっとも悲劇的だと感じたのは、肩や肘を痛めた将来有望な投手へ対し監督命令として連投させ続け、野球選手としての生命を実質的に絶たれてしまったという例です。
暴力については現在では一発アウトな内容であることはもちろんですが、最近では体が成長過程にある高校投手の球数制限が議論になっており、この面でもかなりブラックな起用方法を続けて来たと言えます。
これだけを見れば、野球監督として実績を残すために高校球児を食い物にするヤクザまがいの監督という評価になりますが、彼が抱いていた沖縄人としての誇り、野球へ対する情熱は本物であり、そこをさらに掘り下げてゆくとまた違った一面が見えてくるのです。
本書を読み進めると場面ごとにさまざな感情が湧いてくる1冊ですが、栽弘義という男をどのように評価するかは読者1人1人に委ねられています。
ご依頼の件
”ショートショートの神様”と言われた星新一の作品が40編収められた文庫本です。
もうこれだけでほかに説明が不要なくらいに定番の1冊です。
本ブログで星新一の本を紹介するのは初めてですが、短い作品であれば1~2分、長くとも5分もあれば読めてしまう作品だけに具体的に内容を説明することが難しい類の本です。
一般的にSF作家のジャンルに入れられることが多い星ですが、1000編にも及ぶ彼の残した短編小説のジャンルはSFに限らず、ファンタジー、ホラー、推理ものなど様々な味付けがされています。
電車に乗っている10分間、寝る前の5分間、それこそトイレの中でも軽く読めてしまうショートショートは、短い時間で気分転換させてくれる一服の清涼剤のような存在です。
したがって本書は美辞麗句や情緒をじっくり味わうのではなく、短編の中で見事に完結された起承転結、もっとわかり易く言えばオチを想像しながらテンポよく読み進める方が楽しめます。
作品中には殆ど名前が登場しません。
"青年"、"初老の男"、"その男"、"その女"など三人称で語られるため、余計な固有名詞を覚える必要がなく、ひたすらストーリーに没頭することができます。
バラエティに富むストーリーではあるものの、どの作品にも共通しているのは現代人へ対する風刺小説という側面を持っているという点です。
現代人の心の奥底にある願望、欲望、もしくは不満や不安を時には満たし、時には手痛いしっぺ返しを喰らわせてゆきます。
作品に出てくる人物がどういう結末を迎えるにせよどこか憎めない、まるで落語に登場する長屋の住人のように思えてくるのは私だけではないはずです。
小さき者へ
重松清氏の作品が6編収められている文庫本です。
著者は本書のあとがきの中で
「どれも、急な坂道の途中にたたずむひとたちを主人公にしている」と解説しています。
もちろん"坂道"とは例えであり、人生における大きな困難に直面した人たちが主人公であると言い換えれば分かりやすいでしょうか。
いずれにせよ作品中で彼ら(彼女)らが経験する坂道は、"家族"という身近な存在を舞台にしているだけに、より一層読者にとって身近に考えさせられるストーリーになっています。
また重松氏にとって"家族"をテーマにした作品はもっとも得意とするところであり、とくに息子や娘を持つ父親の心理描写は、同じ立場にある読者の胸を締め付けるようなリアルがあります。
"人生の坂道"を描いているだけに作品中の雰囲気は決して明るいものではありませんが、一方で"暗い絶望感"を感じさせるものでもありません。
その理由は誰しもが直面しうる坂道を前に、時に呆然としつつも坂道を越えようと1歩ずつ踏み出す主人公たちの姿を丁寧に描いているからです。
本書は人生における問題対処のノウハウ本ではなく、あくまでリアルな人生を描こうとした小説です。
そのため決して鮮やかな解決方法が登場したり、急展開のハッピーエンドを迎えるような予定調和の物語はありません。
読者は主人公たちへ時にもどかしく、時に応援したくなる気持ちで読み進めてゆくのです。
そしてそこで得られるのは、自分と似ている平凡な人たちが苦しみ悩みながらも次の一歩を踏み出そうとしている姿への共感に他なりません。
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