白仏
著者の辻仁成氏が、祖父をモデルにその生涯を描いた作品です。
辻氏は1959年生まれであり、祖父は日露戦争へ出兵した経験を持つ世代です。
祖父(作品中では稔)の生まれは福岡県の大野島( 現:大川市大字大野島)であり、江戸時代に筑後川の河口にある三角州へ移住した人びとが開墾した土地です。
この土地で生涯暮らし続けた主人公・稔は老境に入って骨仏(白仏)を作り上げることになり、それが作品のタイトルにもなっています。
骨仏は信仰の1つの形として日本各地に点在するようですが、彼の場合は大野島の各所に眠る3000体もの遺骨を掘り出して完成させたというから驚きです。
そもそも墓から遺骨を掘り起こすという行為自体、遺族の了承を得る段階から始めなければならないと考えると途方もない労力であり、一大事業であることは容易に想像ができます。
ただし骨仏建立プロジェクトの過程を描くことが本作品の目的ではありません。
そこに至るまでの信念は一体どこから生まれてきたのか?
つまりそれを描こうとすれば、必然的に祖父(稔)の生涯を描かずにはいられないことになります。
本書では稔の生涯を忠実になぞるノンフィクション作品としてではなく、激動の時代を生きた1人の人間の生き様を文学として描いたものです。
稔が生きた時代は、親子三世代、つまり大家族で暮らすのが普通でした。
また同時に海外への出兵、医療や衛生が未発達だった要因もあり、"死"が身近なものとして日常の光景に存在していました。
たとえば10人兄弟のうち、病気や事故などで成人に達したのは半分の5人ということも珍しくはありませんでした。
稔自身も兄弟、幼馴じみ、初恋の人、そして息子までもが、事故や病気、戦死、ときには自殺といった要因で亡くなってしまう体験をします。
さらに日露戦争では、生き残るか殺されるか究極の状況の中で、敵として現れたロシア人青年を自分の手で殺める経験もしています。
それさえ同時代に生きる人からすれば特別な出来事ではなかったはずですが、稔は幼い頃から"人の死"、もっと言えば”人は死んだら何処へ行くのか?”ということを人一倍考え続けてきたのです。
物語の大部分は、周囲10キロにも満たない筑後川の河口にある大野島を舞台に進行してゆきます。
大野島には橋がなく、戦後まで対岸へは渡し船で移動するしかありませんでした。
必然的に土地に住んでいる家族同士の付き合いは濃く、稔の生家であった鍛冶屋も例外ではありませんでした。
つまり親族や近所同士だけでなく、幼馴じみや恋人、学校の先輩や後輩といった関係が生活の隅々にまで浸透している共同体の中に暮らしていたのです。
現代に暮らす私たちであれば息苦しく窮屈に感じてしまうような環境ですが、こうした時代・地域でなければ、人びとの遺骨を粉砕し混ぜ合わせて1体の骨仏を建立するという発想は生まれなかったはずです。
そこに暮らす人びとの息づかいが聞こえてきそうな作品であり、素朴に暮らし、数々の困難を受け入れ、そして乗り越えてゆく姿からは哲学的なメッセージさえ感じます。