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朱の丸御用船


本作品の舞台は、鳥羽藩の波切村(現・三重県志摩市波切)です。

日本のどこにでもある普通の漁村ですが、廻船交通が盛んな江戸時代において村にある大王崎は熊野灘と遠州灘とを分ける難所として知られていました。

それは沈没や難破する船が多かったことを意味しますが、波切村では沖で無人の水船(難破船)が発見された場合、それを村の所有とする"瀬取り"という暗黙のルールが存在していました。

海難事故の犠牲者(水死体)が村に流れ着いた場合、それを"流れ仏"として丁重に葬り、瀬取りで得た積荷は海からの恵みとされていました。

そして村人たちの結束は固く、瀬取りの事実が外へ漏れることはありませんでした。。

ここまでは作品は導入部ですが、作品中には当時の漁村の人びとの暮らしを淡々と描く場面が多く登場します。

ストーリーとは直接関係ないこうした描写を退屈だと感じてしまう人がいるかも知れませんが、個人的にはこうした昔の人びとの生活や風習を知ることのできる民俗学的な描写がかなり好みです。

"瀬取り"は、公式には禁止されていましたが、村びとたちの暗黙のルールで続けられてきたことは冒頭で述べました。

しかし何事にも例外は存在するもので、それが厳しい監視下に置かれていた御城米船でした。

御城米とは幕府に納める年貢米を運搬する廻船であり、この年貢米を密売したり盗み取った者は、「悉く(ことごとく)死罪行われるべき事」という法律がありました。

本作品には、この御城米を密売した船頭と、瀬取りした波切村の村びとたちが登場します。

船頭の密売は緻密に計画されたものであり、また村びとたちの瀬取り行為は決して外に漏れない結束の固いものだったはずですが、思いがけないところから権力者(役人)たちの知るところになります。。

この出来事が、日本のどこにでもある漁村の平和な日常を崩壊させるきっかけに繋がってゆくのです。

著者の吉村昭氏は、この出来事をある本の中の短い記述から偶然知ることになります。

そこから地元の史家を訪ね、そして現地の史料を精力的に収集します。
その成果として発表された本作作品に登場する人物は主人公の弥吉を除き、すべて実在とであるというから驚きです。

誰一人歴史上の有名人が登場するわけでもなく、村びとや地方役人といった名もなき歴史の中で忘れられていた人びとを掘り起こることで本作品は成り立っています。

決して派手な物語ではありませんが、歴史のリアリティを描いた作品として一流であり、本書からは作者の妥協しない執筆スタイルを垣間見ることができるのです。