レビュー本が1000冊を突破しました。
引き続きジャンルを問わず読んだ本をマイペースで紹介してゆきます。

空白の五マイル


大きくはノンフィクションの括りになると思いますが、"冒険"や"探検"というテーマに惹かれて本を手にとる機会があります。

本ブログではあまり紹介していませんが、過去に新田次郎の山岳小説を片っ端から読んでいた時期があり、それがきっかけになりました。

前人未到の山頂、密林のジャングル、見渡す限りの大海原、極地と冒険の舞台はさまざまですが、著者の角幡唯介氏は19世紀のイギリス人に代表される古典的な地理的探検の世界に憧れていたようです。

"古典的"と表現したのは、21世紀になり世界地図が完成され、未知の大陸はおろか島さえ存在するはずもなく、地球上はすべて探検し尽くされたように思われていたからです。

その中で角幡氏は、チベットの奥地にツアンポー峡谷と呼ばれる陸の孤島ともいえる地図の空白地帯が存在することを知るのです。

交通の便が悪い僻地であることに加え、"峡谷"という言葉が示すように川の両側には高く険しい崖がそそり立ち、さらに川はあまりの激流でカヌーで下ることも不可能という地形が21世紀に入っても人類の侵入を拒み続けていたのです。

当然のように過去にこのツアンポー峡谷に興味を抱いた探検家たちは存在し、実際に探検も行われていました。

日本も含め各国が大規模な探検隊を編成し、このツアンポー峡谷の謎を解き明かしてきましたが、それでも残った最後の地図上の空白地がタイトルにある通り5マイル(約8km)ということになります。

またチベット仏教に関連した伝説として、ベユル・ペマコと呼ばれる理想郷がこの地域にあるという言い伝えも探検家たちの好奇心を揺さぶる要因になっていました。

もちろん角幡氏自身ががその伝説を真に受けていたわけではありませんが、彼の決意が揺らぐことはありませんでした。
その当時の心境を次のように語っています。

この無茶な冒険で自分は本当に死ぬかもしれない。
しかし冒険しないままこの後の人生を過ごしても、いつか後悔する。今考えると、そんなヒロイックな気持ちが当時の私にはたしかにあった。

そこには悲壮な覚悟があるわけではなく、やはり多くの冒険・探検家が共通して持っていた"好奇心"が原動力になっていたことが伺えます。

本書では19世紀の終わりから20世紀の終わりまでに試みられたツアンポー峡谷の探検史を紹介するとともに、自身が2002年と2009年の2回に渡って行った探検の一部始終が収録されています。

日本の若者がたった1人でチベットに降り立ち、人類未踏の地を目指してゆく姿に憧れを抱く読者は私1人だけでなはいはずです。