華栄の丘
春秋戦国時代は中国全土で約550年間(B.C.770 ~ B.C.C221)もの間続いた戦乱の時代であり、多いときで100以上の国が乱立していました。
本書は宮城谷昌光氏による春秋時代に宋(そう)の宰相として活躍した華元(かげん)を主人公とした歴史小説です。
先ほど触れたように100以上の国が存在しましたが、春秋時代の超大国は晋(しん)・斉(せい)・楚(そ)あたりであり、物語の舞台となる宋は中規模程度の国に位置付けられます。
しかし宋の南には楚、北西に晋、北東に斉があり、3大国の緩衝地帯のような場所に位置していました。
華元の生きた時代は晋と楚がもっとも大きな力を持っており、両国が諸国の盟主としての地位を巡って激しく争いを繰り広げていました。
もう少し詳しく説明すると、のちの戦国時代に秦が史上初めて中国全土を統一することになりますが、春秋時代にはそもそも中華統一という概念が存在していませんでした。
かつて統一王朝を築いた周(しゅう)はこの時代でもかろうじて存在しており、力を失った周に代わって諸国へ号令をかけることのできる、つまり天下を裁量できる国が盟主と呼ばれたのです。
宋には大国と渡り合えるような国力を持っていなかったため、時代によって晋、あるいは楚を盟主に仰ぐといった難しい舵取りを迫られている国でした。
両大国の旗色を見ながら、同盟相手としての晋と楚を巧みに乗り換えることが出来る宰相がいるのならば、それは有能という評価となるでしょう。
しかし宋としての国の方針を明確にして両国からの武力による脅しには屈せず、かつ国を保つことが出来るのならば、それは名宰相と評されます。
華元はそれを成し遂げた宰相ですが、さらに1歩進んで第三者として長年に渡り天敵同士だった晋と楚の和平をも実現させたのです。
それを現代史で表すならば、冷戦時代のアメリカとソ連との間の和平条約締結を日本の総理大臣が仲介して実現させたようなものです。
(もちろん仮の話ですが。。)
華元は武力を用いることや詐術を弄することを嫌った戦乱の世には珍しい宰相です。
しかしそれだけでは戦乱の時代を生き残ることはできません。
代わりに華元は"礼"を用いて大事に当たろうとしました。
この時代にまだ孔子は生まれておらず、後世のように"礼"には複雑で儀式的な意味はなく、約束した事を守る信義や、弱い立場の者を守る仁義のような考えのみがありました。
果てしなく続く戦乱の時代が人心を荒ませ、かつて古代で大切にされてきた"礼"が忘れられ、"武力"が重んじられる時代になろうとしていたからこそ、華元の存在は光り輝いたのです。
詳しい内容は本書を読んでからの楽しみですが、いつものように宮城谷作品の登場人物はどれも個性的かつ魅力的であり、読者を最後まで楽しませてくれることは保証します。