白い航跡(上)
日本の近代医学発展に貢献し、東京慈恵会医科大学を創立した高木兼寛を主人公とした歴史小説です。
明治維新後に日本は積極的に西洋文明を取り入れ、医学もその中で急速な発展を遂げます。
そしてその担い手は、西洋医学を学んだ若者たちでした。
以前ブログで紹介した「夜明けの雷鳴」の主人公・高松凌雲もその1人であり、彼が旧幕臣として箱館戦争に医師として参加したのとは対照的に、兼寛は薩摩藩の医師として戊辰戦争に従軍しました。
兼寛はその時20才という若さでしたが、蘭方医学の軍医として従軍したのです。
蘭方医学とは江戸時代にオランダから伝えられた医学であり、その意味では西洋医学の1つではありました。
しかし当時ヨーロッパで急速に発展を遂げていた最先端の医学と比べると内容はかなり遅れており、おもに書籍による座学であったため、実用性が高いとは言えませんでした。
蘭方医学や漢方医も刀槍傷の手当は心得ていましたが、銃創についての治療方法については無知だったのです。
実際に戦争では、銃創の負傷者へ対して銃弾を取り出さずに傷口を縫い付けたために壊疽を起こし悪化させ、助かる命も助からないということが起きていたのです。
兼寛も銃弾の適切な治療方法を知らない1人でしたが、当時数少ない最先端の西洋医術を学んだ関寛斎やイギリス人医師ウイリスの医療技術を知り、自分の無力さを実感します。
明治時代に入りイギリス人の元で医学を学び続けた兼寛は、海軍医師としてイギリスで最新の医学を学ぶという幸運に恵まれます。
こうしてセントトーマス付属医学校に留学することになった兼寛は懸命に勉学を続け、日本人としてはじめての留学生だったにも関わらず最優秀の成績を収めるまでになります。
最先端医学はもちろんですが、兼寛はイギリスの医療制度に深い感銘を受けます。
1つは貧しい人びとが無料で治療を受けられる制度であり、この運営資金は王室や篤志家からの寄付によって賄われていました。
そしてもう1つは的確に医師をサポートし、きめ細やかに患者へ奉仕する看護婦という制度です。
もちろん当時1人の留学生に過ぎない兼寛に日本で同じ制度を実現させる影響力はありませんしたが、後年、海軍医師の頂点である海軍軍医総監になったときに、2つとも彼の手によって実現されることになるのです。
本作品を通じて1つの時代が終わり、新しい時代に入ってゆこうとする当時の日本の姿が、1人の若者の生き方の中に凝縮されているかのような爽快さを感じるのは私だけではないはずです。