人間らしさとは何か
「人間らしさ」を突き詰めて考えるということは、どこか思想、哲学、あるいは宗教的な匂いがしてきますが、本書のアプローチはまったく異なります。
それは生物人類学、霊長類学、考古学、文化人類学、民俗学といった見地から迫っているという点であり、著者の海部陽介氏は人類進化科学者という肩書を持っています。
具体的には霊長類(サル目)の中で、他の仲間(チンパンジーやゴリラ、オランウータンなど)とヒト(ホモ・サピエンス)との違いに着目し、次に初期の猿人→猿人→原人→旧人→新人(ホモ・サピエンス)と進化してゆく過程で、人類がどのように変貌していったのかを考察することで人間という存在を問いかけてゆく構成になっています。
本書は大学で行われた講義内容を分かりやすく整理して書籍化しており、教室で授業を受けているような感覚で読み進めることができます。
タイトルにある「人間らしさ」もテーマとして扱っていますが、本書の大部分は私たち((ホモ・サピエンス))が現在に至るまでどのような進化を遂げてきたのかについてに割かれています。
二足歩行、ほかの霊長類のように毛皮を持たなくなった過程、頭蓋骨の形状変化、言語を操りはじめた起源など、最新の研究結果を講義の中にフィードバックした内容となっており、知的好奇心を充分に満たしてくれる内容になっています。
私にとって本書で一番勉強になったのはヒト(ホモ・サピエンス)は、アフリカで誕生し世界中へ広まっていったというアフリカ単一起源説です。
言葉としては知っていましたが、少なくとも私は学校で習ったことがなく、何となく人類は地域ごとに、たとえば北京原人が中国人の先祖になり、ネアンデルタール人がヨーロッパ人の先祖になったという程度の認識だったと思います。
アフリカ単一起源説は1987年に提唱され、遺伝子研究の発達によってエビデンスも固まり、現在では多くの科学者がこの見解を支持している定説になっています。
本書ではその過程が詳しく解説されており、アフリカで誕生したヒト(ホモ・サピエンス)は、そこで"ことば"を話すようになり、また精巧な石器のみならず彫刻がほどこされた美術的作品を作り出すようになり、そこから世界中へ広まってゆきました。
世界中にはさまざまな言語や文化を持ち、そして肌や髪、目の色の違う人びとが暮らしていますが、人類学的、または遺伝学的な観点で見るとその違いは微小なものであり、その違いを人種で区別するという行為自体が科学的に無意味であることを教えてくれます。
つまり10万年前に誕生したヒト(ホモ・サピエンス)と現代の私たちは同一の人種であり、その能力は基本的に変わっていないということです。
今や人類は多くの科学技術の恩恵を受け、また芸術の分野でも目覚ましい発展がありましたが、それは私たちが10万年前の人びとより優れていたわけではなく、祖先たちが世界中を冒険し、そこで積み上げてきた知識の恩恵を受けている結果に過ぎないのです。
今現在、先進国で生活をする人と未だにジャングルで狩猟生活を続ける人との違いは、育った環境や文化に由来するものであり、民族が持つ能力の優劣によるものではないことを意味しています。
本書からそうした知識を得ることで、(ありもしない)人種差別を行う愚かしさを知ることになり、ともすれば人間が地球を支配しているという思い上がった考えを改めさせ、謙虚にしてくれる1冊ではないでしょうか。
苦しかったときの話をしようか
著者の森岡毅氏は、P&Gを経て大阪のユニバーサル・スタジオ・ジャパンにヘッドハンティングされ、当時低迷していた大阪のテーマパークの経営を立て直した実績を誇るマーケティングの専門家です。
現在は自ら株式会社刀を設立し、経営者としても活躍しています。
本書の副題には、"ビジネスマンの父が我が子のために書きためた「働くことの本質」"とありますが、これは著者が大学を卒業し社会人になとうとする長女へ向けて書き溜めていたアドバイスが編集者の目に止まり世に出ることになった1冊です。
現在は頭のいい大学を出て一流の会社に入社するという昔ながらの安定したエスカレーター的な価値観がまったく通用しない世の中になりました。
それは日本の高度経済成長が過去のものになったという要因もありますが、本質的には世の中の技術やライフスタイルの変化が目まぐるしく変わり、かつ世界中が経済的にグローバルに繋がるような時代になったという要因が大きいと思います。
日本はそこで起こる技術革新をリードすることが出来ず低迷し、その経済的地位が相対的に下がって来ているという危機に瀕しています。
例えば隆盛を誇るインターネット界隈を見渡してもGAFA(グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップル)に対抗できる企業は日本には存在せず、それはPCに使用されているOS(Windows、macOS)にしても同じことが言えます。
かつて日本の得意なハードウェアの分野に関してもPCやスマートフォンで日本のメーカが世界的なシェアを占めているものはなく、そのコアとなる部品(CPUやメモリ)についても同様です。
つまり組織に自分を人生を委ねるのではなく、個人の能力を磨き上げ、戦略的に自分のキャリアを築いてゆく時代になっているのです。
著者自身にしても日本企業ではなく、P&G、USJと外資の企業を渡り歩いてキャリアを形成してきた実績を持っています。
それは同時に年功序列という制度のない外資系企業の中で実力で周りを認めさせてきたということを意味し、ギリギリの厳しい状況を何度も経験してきたということに他なりません。
つまり豊かな暮らしを目指そうとすれば、これらから社会へ出てゆく若者たちには厳しい弱肉強食の世界が待っていて、そこでの生存競争を勝ち抜く必要性があるのです。
著者(父)は娘へ対して世界は残酷な現実があり、自分の強みを知った上でそれを磨き続けなければ生き残れないという一見すると、かなり厳しい言葉を投げかけています。
しかし一方で、そこには希望も満ち溢れており、挑戦のための自由な選択肢が無数にあることも同時に示唆してくれています。
本書は我が子へ対して社会に出てから厳しい現実が待っているという心構えを促し、そこで生き抜くための戦略を指南しながらも、最終的にはエールを送る内容にもなっているのです。
経済的に成功した父親が娘へアドバイスをしているだけの本であり、平凡な道を歩いてきた自分には関係ないと決めつけるより、自分のキャリアを振り返るのにも役に立つ1冊であり、年頃の子どもがいる親であれば自分が一度読んだ上で勧めてみてはどうでしょうか?
リーチ先生
前回に引き続き原田マハ氏の作品です。
タイトルにあるリーチ先生とは、バーナード・リーチ(1887~1979)のことであり、イギリス人として来日して陶芸を学び、のちに祖国イギリスのセント・アイヴスで窯を開き、陶芸家として日本だけでなく海外でも広く知られています。
とはいえ陶芸の世界を知らない私にとっては、本作品を通じてはじめて知った陶芸家です。
本作品はリーチの伝記としてよりも、明治時代に単身日本を訪れ、陶芸を通じた日本とイギリスの交流を描いた小説作品として楽しむ1冊となります。
作品中には実際にリーチと交流のあった濱田庄司、河井寛次郎、富本憲吉、高村光太郎、そして柳宗悦をはじめとして武者小路実篤、志賀直哉といった白樺派のメンバーが登場しますが、何と言っても作者が本作品のために登場させる沖亀之助・高市親子を通じてリーチの物語が展開されてゆきます。
沖亀之助はリーチの一番弟子として、また彼の身の回りの世話をする人物として登場しますが、リーチが芸術家として苦悩する日々、陶芸という一生を捧げる目的を見つけた喜び、そして日本やイギリスで窯を開くまでの苦楽を共にします。
つまり亀之介はリーチの成し遂げたことの一部始終を見届けてたきただけでなく、その内面のことも良く知っている一番の理解者なのです。
亀之助は不運にもリーチよりかなり早く亡くなりますが、彼の意志は息子の高市に受け継がれ、親子二代に渡るリーチとの交流が作品の大きな軸となります。
かなりの長編ですが、その分リーチたちの日常が丁寧に描かれており、完成度の高い小説に仕上がっています。
リーチ先生と沖親子間の心の交流が読者の心を暖かくしてくれる作品であり、爽やかな気分にさせてくれます。
ちなみにリーチがセント・アイヴスで開いた「リーチ工房」は健在であり、今なお陶芸を通じた日英の架け橋となり続けているとのことです。
ゴッホのあしあと
著者の原田マハ氏は2003年頃より執筆活動を開始していますが、その前にはューヨーク近代美術館などでキュレーターを勤めていたという変わった経歴を持っている作家です。
人気作家なので知っている人も多いと思いますが、私にとっては今回はじめて読む作家です。
ただし本書は新書という形から分かるように小説ではなく、著者がフランスを訪れゴッホの足跡を辿り、そこに考察を取り入れたドキュメンタリー風の作品になっています。
さらに付け加えるならば、本書は2018年に出版されていますが、彼女は2017年にゴッホを題材とした小説「たゆたえども沈まず」を発表しており、同作品の作家ノートと位置づけることもできます。
私は肝心の小説の方を読んでいないのですが、2021年に上野の東京美術館で大規模なゴッホ展が開かれ話題になりました。
実際にゴッホ展に行ったわけではありませんが、当時何となく気になっていたこともありタイトルだけを見て本書を手にとりました。
よく知られているようにゴッホは生前にその作品を評価されることはなく、わずか37歳でピストル自殺により人生を終えています。
しかし没後にその作品が瞬く間に世界中で評価されるようになり、今ではその作品が世界でもっとも高額で取引される画家の1人になっています。
ここまでは私も知っていたことですが、本書を通じてパリやアルルをはじめとしたゴッホが辿った街の様子、そしてそこで描かれた作品が解説されてゆく過程で彼の人間像が具体的に見えてきます。
とくに絵の解説については著者のキュレーターとしての経歴が充分に発揮されており、絵画には素人の私にもその違いを分かりやすく説明してくれます。
つまり彼女の小説を読んでいなくとも、ゴッホの入門書としては最適であり彼の足跡を手軽に知ることができます。
以下は本書で紹介されている個人的に印象に残った作品です。
- フィンセント・ファン・ゴッホ 「夜のカフェテラス」 (1888)
- フィンセント・ファン・ゴッホ 「星月夜」 (1889)
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