本と戯れる日々


レビュー本が1000冊を突破しました。
引き続きジャンルを問わず読んだ本をマイペースで紹介してゆきます。

糖尿病の真実



日本では糖尿病患者とその予備軍の合計は2000万人に昇ると推定され、特に中高年の3人に1人が該当すると言われています。

本書では多くの糖尿病治療の実績を持つ内科医である水野雅登氏が、現代の糖尿病治療の問題点を指摘しています。

幸いにも今のところ私に糖尿病の傾向はありませんが、そんな私でも糖尿病と聞いてまず思い浮かべるのはインスリン注射です。

しかも1度インスリン注射をはじめると一生止められないというのも聞いたことがあります。

一方で著者はそのインスリン治療こそが糖尿病患者を増やしている黒幕であると断言しています。

まずインスリンは血糖値を下げるために体内で生成されるものです。
一方でインスリンを唯一生成できるのは、すい臓のベータ細胞のみであり、このベータ細胞は一度減ってしまうと二度と復活することはありません。

加えてベータ細胞を減らす要因となっているのが、糖尿病を治療するためのインスリンの分泌を促す作用を持つ内服薬であるSU剤インスリン注射であると指摘しています。

簡単に言えばこうした薬がすい臓へ負荷をかけてしまい、本来人間の身体が持つインスリンを分泌する力を失わせるというものです。

またインスリン注射と同じくらい重要であるのが食事療法であると指摘しています。

国が定める食事摂取基準では年齢、性別によって1日に摂取すべきエネルギー量(キロカロリー)が示されており、そのうち「炭水化物で全体のエネルギーの6割を摂取せよ」と推奨していますが、著者はそれでは多すぎると指摘しています。

糖分が含まれる炭水化物の摂取をなるべく避け、タンパク脂質食を実践すべきだと主張しています。

本書では日本の標準治療で使用される薬剤名や治療方針を記載した上で、著者が用いる薬剤名や治療方針も具体的に明示されており、医師が読んだとしても納得できる内容になっていると思います。

推奨する食事についても具体的な食材名やサプリメント名が記載されており、とにかく本書全般に渡って具体的に書かれていることが印象に残りました。

例えば糖尿病の方が本書を読むことで、実際に自分が処方されている薬剤や指導されている食事療法と比較することが可能であり、かなりの参考になるはずです。

驚くのは著者が担当した5年間84例の2型糖尿病患者の脱インスリン率は100%であったという点です。

もちろん本書だけ読んで服用している薬を自己判断で中止するのは絶対にやめ、必ず主治医に相談するようにという注意喚起もされています。

もし私が糖尿病と診断された時には、迷わずこの本を再び手にとることになるでしょう。

東京大空襲の戦後史



太平洋戦争の終盤は制空権、制海権をともに失い、日本全土が空襲の被害を受けました。

その中でも最大のものが東京大空襲と言われる1945年3月10日の未明に行われた約300機のアメリカ軍爆撃機B29による無差別爆撃で、被災者は100万人を超え約10万人の生命が失われました。

両親を失い戦争孤児となった子どもたちの一部は「浮浪児」となり、大人でさえ食料調達が困難で生きるのに精一杯だった時代に彼らの味わった体験は想像を絶する悲惨なものだったはずです。

運良く浮浪児にはならなくとも、両親を失い親戚に預けられた孤児たちがそこで冷たい仕打ちを受けた例も多く、悲劇は戦場だけに留まりませんでした。

それでも軍人軍属は戦後に国からの補償を受けますが、空襲をはじめ戦争の被害を受けた民間人に補償は適用されず、長い間我慢を強いられました。

一方で政府は民間人の戦争被害による範囲が広範囲であること、それに伴う補償額が膨大になることを恐れ、長い間認めてこなかった歴史があります。

たしかに空襲で焼失した家を国の補償で建て直したという話は聞いたことはありませんが、家族が無事で自分の身体が健康であればまた家は建て直せるかも知れません。

一方で負傷によって残った障がいや失われた家族の生命は決して戻ってこないのです。

本書は東京大空襲の被害にあった人々が国を相手どり謝罪と賠償を求めた裁判や活動を記録したドキュメンタリーです。

一方で戦後80年近くが経過し活動メンバーたちの高齢化も避けられない状況で、彼らは「国は自分たちが死ぬのを待っている」と感じています。

本書に掲載されている被害者たちの体験談はどれも悲惨なものであり、辛さの中で何度も死のうと思ったという言葉が出てくるのが印象的でした。

これは戦争を経験していない世代にとってまったく無関係なものではありません。

たとえば今後日本が戦争に踏み切ったときに敵国の攻撃によって民間人へ被害が出ることはウクライナの例を見るまでもなく容易に想像できます。

歴史は繰り返すと言います。
つまりその時にも再び国によって民間人が見捨てられる可能性があるのです。 姿は、将来の自分たちの姿と重なる可能性があるのです。

奇しくもつい最近、岸田総理大臣が防衛費の大幅の増額を指示し、不足する財源を賄うため増税の検討をはじめるというニュースが流れてきました。

とても不安で不吉なニュースですが、結局は国民一人一人の有権者としての意思表示が将来を決めてゆくのです。

エベレストの空



著者の上田優紀氏はプロのカメラマンとしても活動しています。

趣味で登山はするものの、自分がエベレストつまり世界の最高潮を登頂するなど考えたこともなかったといいます。

しかしふとしたきっかけでエベレストの頂に立ち、そこからの景色を写真で「撮る」ということが目標となります。

本書は著者がエベレストの登頂を目指してからどのようなトレーニングや準備をし、さらには資金集めに奔走したかを含めてエベレスト登頂までの一部始終をドキュメンタリーとして収めた1冊です。

登山装備の発達、豊富な資金と手厚いサポートによるツアー登山が登場しエベレスト登頂に成功する人が増えていますが、毎年のように死亡者が出ていることも事実です。

しかも著者がエベレストに挑んだのはコロナが世界中で猛威を振るっていた2021年であり、一段と挑戦のハードルが高くなっていた時期でした。

高地順応がスムーズに行くように冬の富士山でトレーニングを続けたとありますが、生身の人間が順応できるのは6500メートルまでであり、7000メートル以上の標高では酸素ボンベなしでの行動は困難となり、8000メートルより先は「死のゾーン」と呼ばれ、空気中の酸素濃度は地上の3分の1となり、人間が生存できる環境ではないと言われます。

つまり真冬の富士の頂でトレーニングをしたとしても、エベレストの環境とは比べものにならないのです。

本書の優れた点は、まず著者がプロの登山家ではなく一般的な読者と大差のない立場からエベレスト登頂を目指した点であり、私たちが抱く初歩的な疑問を丁寧に解説してくれています。
つまり著者のエベレスト登頂に自分自身を重ねてしまうな追体験ができるのです。

次に何と言っても著者がプロのカメラマンである点で、本書には多くの写真が掲載されています。

高度8000メートルを超える登山では装備を1グラムでも減らして行動すべきですが、著者はそこに予備含めて2台のカメラ、そしてレンズを携帯してゆき、撮影の際には分厚い手袋を外さなければならないため凍傷の危険性があります。

それだけのリスクを犯して撮影した写真は、地球と宇宙の境目にある景色のようであり、山の美しさでも読者を楽しませてくれるのです。

それでも本書の主軸は撮影した写真の解説ではなく著者がエベレスト登頂を目指すストーリーそのものであり、優れたドキュメンタリー、紀行文であるのです。

知の教室



サブタイトルには「教養は最大の武器である」とあり、次の文から始まります。
本書は、がっついたビジネスパーソンや学生を念頭に置いた実践書だ。
最近は、大学でも「すぐに約立つ事柄」すなわち実学を重視する傾向が強まっている。
成果主義、弱肉強食の競争が加速している中で、実務に役立たない教養などに時間を割いても無駄だと考えている人も少なくない。
しかし、それは間違いだ。すぐに役立つような知識は賞味期限が短い。

冒頭に本書の結論が簡潔に述べられています。

それでは次にどのようにして教養を身に付ければよいのか?という疑問が出てきますが、著者の回答は明確です。

それは"読書"をすることです。

私も読書は好きなので自分には教養があるのかなと思いましたが、著者(佐藤優氏)の凄まじい読書量を知り、あっという間に自信を無くします。

著者は月間300冊の本を読み、今まで本の購入のために使ってきた金額は6000万円になるといいます。

1日10冊の本を読む計算になりますが、速読で読むべき本を精査し価値があると感じた本を集中的に読むという方法をとっているようです。

読書の範囲も専門とする神学の本をはじめ、歴史、経済、哲学、さらには小説とジャンルも広範囲に及びます。

これだけで1日が終わってしまいそうですが、著者の本業は作家であり、毎月の原稿の締め切りは80本もあるということですから、もはや人間業とは思えません。

しかし各界の専門家と対談し、様々な視点から情報を分析する佐藤氏の驚くべき知識量は、こうした読書が土台になっていることは間違いなさそうです。

一方で本書は体系的に教養を身につける方法を解説している本ではありません。

著者の読書術、時間のマネジメント方法、読むべき本のタイトルなどが挙げられていますが、過去に行った知識人たちとの対談の模様、かつて発表した記事やレポートもかなりの量が掲載されており、結果的に本書は500ページ近くの分量になっています。

そこには対談や過去に執筆したレポートから教養によって身に付けた知識をどのように活用して対話や情報の分析を行ってゆくのか、さらには問題解決の武器として、必要に迫られた時には闘う方法を含めて実践的に学んでほしいという意図があるようです。

著者はロシア(ソ連)を担当する外交官と活躍していた経歴があり、掲載されているレポートもロシアを扱ったものが登場しますが、作家デビューとなった「国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて」を知っている読者であれば違和感なく読むことができると思います。

本書は2015年に刊行されていますが、このとき著者は作家活動10年目を迎え、自らの活動を振り返って中間総括を行いたいという意図もあったようであり、そうした視点でも本書を楽しむことができます。

私自身、社会人になって数年間はノウハウ本に熱中していた時期がありましたが、たしかに即座に実践で使えると宣伝されているテクニックには奥行きがなく、何冊も読んでゆくとどれも同じような内容に感じてしまいます。

もちろん中には参考になる本もありますが、食傷気味になって読書本来の楽しみがなくなってしまっては本末転倒です。

私自身これからもジャンルに拘らず、なるべく好奇心を持って幅広く読書を続けたいと思います。

海辺の小さな町



著者の宮城谷昌光氏は中国史や日本史を舞台にした歴史小説家として知られています。

私も多くの作品を読んでいる宮城谷ファンの1人ですが、本書は現代を舞台にした青春小説という著者にしては非常にめずらしい作品です。

期待と不安を持ちながら作品を読み始めましたが、著者らしい文章は健在でありすぐに馴染むことが出来ました。

主人公は東京で生まれ育った青年であり、彼が静岡の小さな港町にある大学へ進学するために親元を離れて引越をする場面から物語は始まります。

進学祝いで父親から買ってもらった一眼レフカメラを携えて静岡へ向かいますが、たまたま下宿先の隣部屋の同級生も趣味で写真をやっていることから意気投合します。

今まで写真に興味はなかったものの、やがて主人公はその奥深い世界へ青春を捧げることになるのです。

私自身、コンパクトタイプのデジカメを何台か買い替えて所持していたものの、今ではそれすら持たずにスマホのカメラ機能で事足りている状態です。

本格的な一眼レフカメラに何となく憧れはあるものの、いつか気が向いたら購入するのも悪くないかなと考えている程度で、ほとんど写真に興味がない部類に入ります。

一方で本作品には写真の専門用語が数多く登場し、素人だった主人公そうした機能や技術に詳しくなってゆく過程が描かれています。

当然のように作品に登場する人物たちも写真好きが多く、それぞれが自分なりのこだわりを持って撮影をしています。

かなり専門的な用語が登場しますが、それもあとがきを読んで納得します。

それは著者自身が昔写真にハマっていた時期があり、コンテストに入選するほどの腕前を持っているということです。

そして本作品は著者が写真好きなことを知っている編集者が、写真をテーマにした作品を執筆することを勧めて誕生したという経緯があるようです。

もちろん写真を軸としながらもストーリーの組み立てはしっかりしており、王道の青春小説としても充分に楽しむことができます。

今まで読んできた歴史小説とは一味違う読了感があり、宮城谷ファンとしてはぜひ抑えておきたい1冊です。