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東京大空襲の戦後史



太平洋戦争の終盤は制空権、制海権をともに失い、日本全土が空襲の被害を受けました。

その中でも最大のものが東京大空襲と言われる1945年3月10日の未明に行われた約300機のアメリカ軍爆撃機B29による無差別爆撃で、被災者は100万人を超え約10万人の生命が失われました。

両親を失い戦争孤児となった子どもたちの一部は「浮浪児」となり、大人でさえ食料調達が困難で生きるのに精一杯だった時代に彼らの味わった体験は想像を絶する悲惨なものだったはずです。

運良く浮浪児にはならなくとも、両親を失い親戚に預けられた孤児たちがそこで冷たい仕打ちを受けた例も多く、悲劇は戦場だけに留まりませんでした。

それでも軍人軍属は戦後に国からの補償を受けますが、空襲をはじめ戦争の被害を受けた民間人に補償は適用されず、長い間我慢を強いられました。

一方で政府は民間人の戦争被害による範囲が広範囲であること、それに伴う補償額が膨大になることを恐れ、長い間認めてこなかった歴史があります。

たしかに空襲で焼失した家を国の補償で建て直したという話は聞いたことはありませんが、家族が無事で自分の身体が健康であればまた家は建て直せるかも知れません。

一方で負傷によって残った障がいや失われた家族の生命は決して戻ってこないのです。

本書は東京大空襲の被害にあった人々が国を相手どり謝罪と賠償を求めた裁判や活動を記録したドキュメンタリーです。

一方で戦後80年近くが経過し活動メンバーたちの高齢化も避けられない状況で、彼らは「国は自分たちが死ぬのを待っている」と感じています。

本書に掲載されている被害者たちの体験談はどれも悲惨なものであり、辛さの中で何度も死のうと思ったという言葉が出てくるのが印象的でした。

これは戦争を経験していない世代にとってまったく無関係なものではありません。

たとえば今後日本が戦争に踏み切ったときに敵国の攻撃によって民間人へ被害が出ることはウクライナの例を見るまでもなく容易に想像できます。

歴史は繰り返すと言います。
つまりその時にも再び国によって民間人が見捨てられる可能性があるのです。 姿は、将来の自分たちの姿と重なる可能性があるのです。

奇しくもつい最近、岸田総理大臣が防衛費の大幅の増額を指示し、不足する財源を賄うため増税の検討をはじめるというニュースが流れてきました。

とても不安で不吉なニュースですが、結局は国民一人一人の有権者としての意思表示が将来を決めてゆくのです。