レビュー本が1000冊を突破しました。
引き続きジャンルを問わず読んだ本をマイペースで紹介してゆきます。

黒衣の宰相 (上)



火坂雅志氏の史小説です。
サブタイトルに「徳川家康の懐刀・金地院崇伝」とある通り、徳川家の家臣として活躍した以心崇伝(いしんすうでん)を主人公にした小説です。

彼は僧籍にありながら家康の右腕として武家諸法度禁中並公家諸法度寺院諸法度などを制定したことで知られています。

中世日本において寺院は宗教的な目的のほかに、学問を身に付けるのための場所という側面もありました。
そのため当時の知識人といえば僧というくらい一般的であり、戦国時代に武将としても活躍した僧として今川家の太原雪斎、北条家の北条幻庵、毛利家の安国寺恵瓊などが有名ですが、ほかに何人も挙げることができます。

戦で槍一本で大名にまで出世した武将、もしくは戦場で華々しく散った武将を主人公にした歴史小説が殆どの中で、あえて表舞台にはあまり出ない参謀役を主人公にしたところが面白い試みであるといえます。

極端な言い方をすると、武力だけの猛将タイプの人物は平和な世の中が訪れると活躍する場所を失います。

天下泰平であっても権力の中枢では絶え間ない派閥争いや出世争いが行われているものであり、そこでは知勇兼備の武将、もしくは本書の主人公である崇伝のような智将でなければ活躍できません。

秀吉が亡くなり、家康の時代が到来するにあたり豊富な知識を身に着けた崇伝の存在価値は戦場で活躍する武将以上に貴重な戦力となり、実際に彼が江戸幕府の基礎を固めてゆくことになるのです。

一方、高い知識や知恵を持つ武将は崇伝以外にも数多く抱えていたのが家康であり、簡単に出世できるほど甘くはありません。

鷹匠あがりで家康の軍師として活躍した本多正信、猿楽師として武田家から徳川家へと主君を変えて財政的基盤を築き上げた大久保長安、家康が重宝し続けた知勇兼備の武将の代表格として藤堂高虎など、家康家臣団には崇伝のほかにも多くの智将が存在していました。

その中でももっとも崇伝と近い位置で出世争いをしたのが、真言宗の僧である南光坊天海です。

崇伝と家康は親子ほど年齢が離れていますが、天海は家康よりさらに年上であり、最終的には107歳まで生きたといわれる怪僧です。

もともと崇伝の禅宗(臨済宗)と天海の真言宗は宗派が違うこともあり仲は余りよくなく、何より家康が天海を深く信頼していました。

宗教的な縄張り争いにおいても崇伝らの反対にも関わらず、家康の死後に自身の宗派にのっとり東照大権現という神号を贈ったのも天海であり、最大のライベルだったといえます。

本作品は1人の僧が自ら知識や人格すべてを賭けて権力の中枢を目指して駆け上がってゆく立身出世の物語であり、自らの槍一本で成り上がってゆく武将たちの物語と同じような感覚で楽しめる作品なのです。