故郷忘じがたく候
本書には司馬遼太郎氏の中編歴史小説が3作品収められています。
順番にレビューしてみたいと思います。
故郷忘じがたく候
豊臣秀吉による朝鮮出兵(1592年、慶長の役)で海を渡った島津義弘は、南原城を攻め落とした際に70人ほどの朝鮮人を捕らえて自らの領地に連れて帰ることにしました。彼らは陶工の技術を持っており、定住を始めた苗代川においてのちに薩摩藩御用達となる薩摩焼(白薩摩)を生み出します。
それから400年が経過した今も彼らは苗代川において陶工を続け、性も朝鮮時代のものを使い続けているといいます。
明治までは韓語が使われ続けたと言われ、今でも祭祀の歌謡や窯仕事の専門用語に韓語が残っているといい、当地を訪れた著者は風景までが朝鮮のようだという感想を抱きました。
本書に登場し著者と交友を持つことになるのが、十四代目となる沈壽官(ちんじゅかん)氏です。
いわば彼らの先祖は400年前に強制移住させられた形ですが、沈壽官氏は韓語は喋れず、完璧な薩摩弁を操ります。
名前を知らなければ誰が見ても日本人にしか見えないでしょうし、彼自身も自分は日本人であると自覚しています。
しかし自らのルーツを知るために訪れた先祖の地でまるで里帰りを果たした親族のようなもてなしを受け、一族が400年もの間想い続けた"故郷"というものを実感してゆくのです。
歴史小説というより時代を超えたドキュメンタリーであり、著者がこの作品をタイトル作にした思い入れが伝わってくる力作です。
斬殺
鳥羽伏見の戦いで勝利した薩長軍は、間髪入れずに東北地方鎮撫のための軍を派遣します。しかし広大な東北地方に派遣された人数はたったの200人と公卿だけであり、長州藩側の責任者として彼らを率いたのが本作品の主人公・世良修蔵です。
徳川家の大政奉還そして鳥羽・伏見の戦いでの勝利によって誕生した維新政府は、徳川家の時代が終わったことを東北諸藩に広く告知しすることで雪だるま式に味方が増えることを期待していました。
しかし結果からいえば、その目論見は外れてしまうことになります。
世良修蔵は長州藩で有名な奇兵隊の出身です。
奇兵隊といえば身分を問わず編成されたいわば日本初の近代的訓練を受けた軍隊です。
つまり村田は戦国時代から続く古臭い考えを否定する考えを持っており、相手が藩主であろうと遠慮なく命令を下します。
それが旧態依然とした仙台藩の武士たちの反発を招いてしまうのです。
日本でもっとも先進的な考えを持つ村田と、まだ徳川幕府の封建時代を生きる保守的な東北諸藩の武士たちの対比がある意味で滑稽であり、一味違った感覚で楽しめる作品です。
胡桃に酒
明智光秀の三女で細川忠興の正室である細川ガラシャ(たま)を主人公とした作品です。ガラシャは洗礼名であり、彼女は聡明で仏教の素養がありながらもキリスト教に改心するほど前衛的な考えを持っていましたが、忠興は異常なほどに独占欲の強い性格であり癇癪持ちでもありました。
武将としての忠興は、その性格が良い方向に働きますが、それはガラシャにとっても必ずしも幸せを意味するものではありませんでした。
本書の中ではもっとも歴史小説らしい作品ですが、それだけに本書の中ではもっとも平凡な作品であると私個人は感じてしまいました。
全体的にはコンパクトな1冊の文庫本で司馬遼太郎ワールドを充分に楽しめます。
オリンピア1936 ナチスの森で
1936年、ナチス政権下のベルリンで行われたオリンピックを題材にした沢木耕太郎氏によるノンフィクションです。
本書は1998年に出版されていますが、その時点でもベルリンオリンピックが開催されて60年が経過しており、この大会をフィルムに収め「オリンピア」という二部作の映画を監督したレニ・リーフェンシュタールが90歳過ぎという高齢ながら現役で創作活動を続けていたため、著者がドイツを訪れ彼女へインタビューを試みる場面から始まります。
のちに第二次世界大戦を引き起こすことになるヒトラーが開会宣言を行い、51カ国から4000人の選手が参加しました。
日本選手団もオリンピックに参加しましたが、まだ交通手段としての航空機は整備されておらず、船で大陸に渡りシベリア鉄道ではるばるユーラシア大陸を横断してドイツへ向かいました。
さまざまな角度から当時のオリンピックを紹介していますが、何と言っても印象に残るのは、期待に応えメダルを獲得した勝者たち、また逆に期待に応えられずメダルを逃した敗者たちにそれぞれスポットを当てて紹介している点です。
オリンピックの建前はアマチュアスポーツであり、勝敗そのものよりも参加することに意義があるとされていますが、当時から熱狂的な国民たちの応援を背負う選手たちは相当なプレッシャーにさらされていたのです。
また本書で面白いのは「素朴な参加者」という章が設けられている点です。
当時の日本では陸上と水泳が強く、逆に言えばそれ以外の競技にはほとんど注目が行きませんでした。
そんな中でホッケーやサッカー、バスケットボールといった当時の日本ではまだマイナーだった競技にも日本人選手が参加していました。
テレビ普及前でラジオ中継と新聞の紙面でしか大会の様子が伝えられなかった時代だけに多くの国民がルールさえ知らない競技に関心を持つのは無理もないことでしたが、逆にこうした競技に参加した選手たちはプレッシャーとは無縁でメダルには届かなかったものの、のびのびとプレーして奮闘したようです。
また新聞、ラジオ局各社が遠く離れたベルリンから競技を中継する様子、いち早く新聞に掲載する写真を日本へ届けるために奮闘する姿も紹介されています。
私が生まれる前に開催された東京オリンピックは当時の映像が残っておりテレビで紹介されることも多く、大会に出場した選手やそれを観戦した人たちも多くいるので、何となく当時の雰囲気を知ることができます。
一方で、冒頭のレニがオリンピックの様子を収めたフィルムが現存するほぼ唯一の映像であり、さまざまな角度から紹介されるベルリンオリンピックは遠い過去のようでありながらも新鮮に感じられます。
さらには、そこに描かれたアスリートたちの姿も現在と比べて思ったよりも違いがなく、スポーツの本質、またオリンピックといった巨大な舞台装置について色々と考えさせられました。
この大会に参加した日本人選手たちが、のちの戦争に巻き込まれ命を落とすことになることを考えると、戦争は財産や国民の命といった目に見えるものだけでなく、スポーツや文化といった創造的な活動にも大きな傷跡を残すのだと痛感させられ、それは大会に参加したドイツを始め多くの国にとっても同じことが言えるのです。
雪の花
本作の主人公笠原良策(かさはら りょうさく)は福井藩の町医者です。
彼は町の中を毎日のように往来する死体を載せた大八車を見ながら、自らの無力感に苛まれていました。
それは当時毎年のように天然痘が流行し、漢方医である良策は患者たちを治療する術をまったく知らなかったからでした。
ところが西洋や中国ではすでに牛痘苗という天然痘を予防するための手法が確立しており、良策は福井を飛び出し京都の蘭方医である日野鼎哉(ひの ていさい)の門弟となり治療方法を学んでゆくのでした。
しかし良策たちにとって大きな壁が2つ立ちはだかります。
1つ目は牛痘苗そのものが入手困難だったことであり、良策が福井へ牛痘苗を持ち込むために奮闘する場面が本作品のクライマックスであるといえます。
そして2つめの障壁は、牛痘苗という治療法が領民のみならず藩内の役人からも理解されず、接種が広まらなかったということです。
当時の鎖国されている日本国内にあって蘭方(オランダから伝わった西洋医療)は、一般人の目に妖しげな西洋の魔術としかか映らなかったのです。
その中で藩医でもなく町医者であった良策は、私財をなげうって治療にあたり、ときには命をかけて役人たちを正面から非難することさえしたのです。
また藩内で理解されない状況ながらも近隣の藩から請われれば痘苗を快く分けていました。
本書は文庫本で約170ページという読みやすい分量の作品でありながらも、良策の「医は仁術なり」を体現した生涯を鮮やかに描いた名作であるといえます。
Deep Skill
若い頃の一時期はよくビジネス書を読んでいましたが、ここ最近はめっきり読む機会が減ってきました。
それには実用的な書籍を敬遠して、趣味としての読書を楽しみたいという理由がありましたが、今年はもう少し読書のスタンスを広げて、こうしたビジネス書をたまには紹介したいと考えています。
本書は書店のビジネス書の新刊コーナーで適当に手にとって購入した1冊です。
著者の石川明氏は1988年にリクルートへ入社し、インターネット媒体のオールアバウトの創業メンバーだったという経歴を持っています。
タイトルのディープスキルとは、作者の造語であり簡単に言えば「人間心理」と「組織力学」に対する深い洞察力と的確な行動力といった能力を指します。
私なりに表現するとすれば、不朽の名書といわれているデール・カーネギー「人を動かす」の内容をすこし泥臭くして現代風にリノベーションした1冊だと言えます。
本書には21のディープスキルが紹介されていますが、以下に列挙してみます。
- 01 「ずるさ」ではなく「したたかさ」を磨く
- 02 上司とは「はしご」を外す存在である
- 03 優柔不断な上司に「決断」を迫る
- 04 勝負どころでは、あえて「波風」を立てる
- 05 会社で「深刻」になるほどのことはない
- 06 弱者でも「抜擢」される戦略思考
- 07 「専門性の罠」に陥ってはならない
- 08 他社の「脳」を借りて考える
- 09 "敏腕ビジネスマン"のように話さない
- 10 「協力関係」の網の目を張り巡らせる
- 11 親切なのに「嫌われる人」の特徴
- 12 まず、自分の「機嫌」をマネジメントする
- 13 組織を動かすプロセスを「企画」する
- 14 上司の「頭の中」を言語化する
- 15 「権力」を味方につける人の思考法
- 16 「合理性の罠」に陥らない方法
- 17 「効率化」で墓穴を掘らない思考法
- 18 「調整」とは"妥協点"を探すことではない
- 19 人間の「哀しさ」を理解する
- 20 「やり切った」うえでの失敗には価値がある
- 21 「使命感」が最強の武器である
本書ではとくに大手企業といった大きな組織の中で、新規事業を始める人を念頭に置いて書かれています。
それは著者が社内起業に特化したコンサルティング会社を経営しているからであり、同時にもっとも得意とする分野だからです。
そしてそう考えると、本書で紹介されてるスキルの重要性も納得が行きます。
一方で実際には、大企業の組織の中で既存の事業や業界の固定概念にとらわれない新規事業を企画し、成功させるという行為が困難であることは容易に想像がつきます。
私自身は大手企業に所属していた経験はありませんが、取引先には大手企業もありそこでの組織の複雑な力関係やルールの煩雑さといった話は時々耳にします。
こうした環境においては、企画やアイデアの斬新さだけでは物事はまずうまくは進みません。
現実的に何よりも本書に紹介されているような人や組織を巧みに動かすスキルが求められます。
一方で本書で紹介されているのはいわば対人スキルというべきもので、具体的なメソッドや方程式によって当てはめることができないのも事実です。
本書を参考にしながらも、状況に応じた言動が必要となります。
そして何よりも地道な努力と、自らの人間性を磨くことも忘れていはいけないのです。
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