怪談 牡丹燈籠
三遊亭円朝の代表作の1つである牡丹燈籠。
今でも牡丹燈籠を高座にかける噺家はいますが、大ネタ中の大ネタ、つまりとにかく話が長いため全編を寄席で聴くことは困難です。
昔は毎日のように寄席に通う文化がありましたが、現代では興行的に成立させるのが難しくなったのが一番の理由だと思われます。
本書は日本における速記術の先駆者である若林玵蔵(わかばやし かんそう)が、寄席で円朝演じる牡丹燈籠をそのまま書き留めて書籍化したものであり、明治期に活躍した円朝の肉声が現代に残されていないことを考えると大変貴重な1冊だと言えます。
もちろん寄席で聴いた方が臨場感などがまったく違うと思いますが、その機会が少ない中で牡丹燈籠のあらすじを知りたい人には最適な1冊であると言えます。
有名な怪談話ということで、かなり怖い幽霊が次々と出てくるのかなと思いましたが、怪談としてのピークは物語の前半に恋が成就することなく病気で果てたお露、そして侍女のお米が幽霊となり、生前恋い焦がれた浪人・萩原新三郎の元へ夜な夜な訪れるという場面です。
後半は主人である飯島平左衞門の金を持ち出し逃亡を続ける妾のお国、そして彼女の情夫である源次郎を主人の敵討ちとして追いかける孝助という構図が中心となり、怪談からは遠ざかってゆきます。
大ネタだけあって他にも多くの人物が登場しますが、その内容も怪談や人情噺、敵討ちなど多くの要素が物語の中に織り込まており、今のようにメディアが乏しかった時代において落語がまさに一大エンターテイメントであったことが分かります。
さらにこれだけドロドロした複雑な人間関係を題材にした物語を円朝は25歳の若さで書き上げたというから驚きです。
時代が時代ならば円朝は噺家としてだけでなく、脚本家、小説家、もしくは映画監督の巨匠として名を残していても不思議ではないと想像してしまいます。
米朝ばなし
以前、噺家(はなしか)には誰でもなれるという話をを聞いたことがあります。
これは落語家になるために学歴や資格が必要なく、自分で漫才ネタを創作する才能がなくとも古典落語を身に付ければ高座に上がれてしまうからです。
一方で噺家の中には、"名人"と呼ばれる人たちが存在します。
ただしスポーツとは違い、芸能である落語において名人の条件を数値化して表すことは不可能です。
名人の条件を表す1つの例として、立川談志の「江戸の風」という言葉があります。
これを一言で表せば、落語を聴く者をまるで江戸時代にタイムスリップしたかのように感じさせる話芸だと言えます。
これは古典落語を完璧に暗記しただけでは、決して身に付きません。
噺家自身に落語の背景にある当時の人びとの暮らし、文化や風景といった知識や素養が無ければ、その空気を伝えることができないからです。
本書の副題には"上方落語地図"とあり、3代目桂米朝が落語の舞台となった関西の各所を解説している本です。
毎日新聞大阪版で昭和53~56年に連載された記事を文庫化したものですが、大阪を中心に、京都、奈良、兵庫など実に120箇所もの土地を古典落語の舞台と重ね合わせて紹介しています。
有名な話、中には誰もやらなくなった滅びた話、さげの意味が不明になってしまった話なども紹介されている一方で、当時の風景や、どういった人がそこを訪れたのかといった解説も付け加えられていて、まるで歴史学者や民俗学者のような博学ぶりに驚かされます。
一時期は衰退した上方落語ですが、そもそも落語は上方で生まれ江戸へ伝わった芸能です。
そのため江戸を舞台にした有名な話でも、上方から輸入した話が原型になっているパターンはよくあります。
大戦後滅びかけていた上方落語を継承し復興させ、古い文献や落語界の古老から聴き取り調査をして一度滅んだ話を数多く数復活させた功績から無形文化財(人間国宝)にまで認定された桂米朝ならではの1冊といえます。
上方落語の舞台となった名所巡りをする気分で毎日少しずつ読み進めて楽しむことをおすすめします。
ルポ プーチンの破滅戦争
本の良いところは、専門家や当事者によって物事を体系的に知ることができるという点です。
つまりテレビの報道やネット記事を散発的に見るだけでは身に付かない知識や物の考え方を与えてくれるのです。
ロシアとウクライナの全面戦争が開始して1年以上が経過し、連日ニュースでその模様が報道されていますが、そもそもロシアとウクライナがどういった経緯て戦争へ突入したのかといった本質的な部分を説明できる人は少ないと思います。
たとえば領土的野心を持つプーチンの独裁国家であるロシアが、突如ウクライナへ侵略戦争を仕掛けたという見方だけでは不充分ということです。
今回の戦争は2014年に起こったロシアによるクリミア半島の編入、及び同年に起きた東部のドネツク、ルハンブルク両州がロシアが支援する親露派勢力によって占領されたことから端を発しています。
つまりウクライナとロシアは約10年に渡って武力衝突を続けていることになりますが、両国の関係を深掘りしていゆくと9世紀にまで遡ることができ、今でもウクライナにはロシア語を理解できる国民が多く存在するほどです。
本書は毎日新聞社の特派員の経験があり、ロシア、ウクライナの情勢に精通している真野森作氏がウクライナを現地取材した様子をまとめたルポです。
著者は両国の関係が悪化し、危機が高まりつつあるロシアの本格的な侵攻前からウクライナ入りし、一時的に国外退避したものの2ヶ月後に現地での取材を再開しました。
キーウ近郊の街でロシア軍が民間人へ対して虐殺を行ったとされるブチャを訪れての取材、また孤立したアゾフスタリ製鉄所に立て籠もりロシア軍と交戦を続けたことで有名になったマリウポリからの避難民を取材したりと、精力的な取材活動を行ったことが本書から伺えます。
ロシアの侵攻が始まるまで大部分のウクライナ国民が平和な暮らしを続け、危機が高まっている中でも首都キーウの住民たちは中心街の繁華街で陽気にワインを飲み交わしたり、ベンチで語り合うカップルがいたりして、その風景は日本のそれと大差はありませんでした。
しかしロシア軍の侵攻以降、多くのウクライナ国民が家族や財産を失い、戦争という現実に向き合うことになります。
ウクライナ国民の8割以上がロシアの侵攻へ対する抵抗を支持し、それはそのままゼレンスキー大統領の支持に直結しています。
一方で政治的な関心がなく、とにかく戦争から逃れることを望む人々、中にはロシアを支持する人々も一定数いることも事実です。
ある日突然、北海道や九州などに隣国の軍隊が突然攻め込んできて、首都である東京にもミサイルが飛来してくるような状況を、我々日本人が具体的なイメージとして捉えられることは難しいと思います。
しかし本書を通じてウクライナ国民のインタビューを読むことで、ある日突然、平和な日常生活に終わりが訪れるという状況を知ることができます。
本書は今年の1月に出版されていますが、その後も最近ではワグネル代表のプリゴジンの反乱そして撤回といったニュースが流れているように、情勢は刻一刻と変わっています。
ネットの普及とともに芸能ニュースなどでマスコミが叩かれる場面も多くなってきましたが、危険な戦場となった現地からニュースを発信し続けているのもまたマスコミです。
「知らぬが仏」という日本のことわざがありますが、確かにウクライナで起きている戦争は悲惨な出来事であり、それを知ることで心の平静が失われることもあるでしょう。
一方で、ソクラテスは「唯一の善は知識であり、唯一の悪は無知である」と言っているように、遠い異国の地で行われている戦争の現状を知り、それを自分なりにどう考え今後の人生に活かしてゆくのかはとても大切なことのように思えるのです。
ひきこもりの真実
"ひきこもり"が社会問題になって久しいですが、その実体を知っている人は少ないのではないでしょうか。
例えばテレビなどに取り上げられる典型的なパターンとして、若い男性が部屋に引きこもり外へ一歩も出ないでゲームばかりしているイメージがあります。
しかしそれはステレオタイプのひきこもりイメージであり、中高年の引きこもり(ひきもりの高齢化)が多く、調査によっては女性のひきもり率の方が多いというデータも出ているのです。
さらに”ひきこもり=部屋に閉じこもっている"という定義ではなく、9割の人は趣味の用事やコンビニなどには出かけるといいます。
ひきもりの定義とは、生きづらさを抱え、生きる希望を見いだせず、1日1日をやっと過ごしていると「自認」している人であり、現実には家事手伝い、主婦といった人たちがひきもりであることも珍しくありません。
つまりひきもりの原因は多様であり、それぞれ固有の複雑な事情が絡み合っているのです。
著者の林恭子氏は、高校2年生で不登校になり、それから30代になるまで断続的にひきこもった経験があり、現在は一般社団法人ひきこもりUX会議の代表を務めています。
本書では著者自身のひきもりの経験を細かく紹介していますが、転勤を繰り返す家庭事情の中で教師や親との間に距離が開き、ひどい肩こりと頭痛という身体的症状が出たのがひきもりの始まりだったようです。
継続的な治療を受けながらも結局は高校や大学を中退し、アルバイトをしていた時期もありましたが、それも辞めざるを得ない状態となったり、改善や悪化を繰り返しながら20年もの長い間に渡って苦しんできたことがよく分かります。
また自身の妹へ対しても著者自身がインタビューという形式で、ひきもりの当事者を持つ家族からの目線を紹介する部分もひきもりを理解する手助けになります。
さらにひきこもり当事者にとって家族にどのようにしてほしいのかといった点にも触れています。
とりわけひきこもり当事者の親であれば、叱咤激励や説得などさまざまな手を使ってひきこもりから救い出そうとするはずです。
しかし"ひきこもり"とは本人にとって命を守るための避難行為であり、良かれと思った周りの人の言動が、彼らを無理やりシェルターから追い出すような結果になる危険性があるのです。
著者はひきこもり状態を「ガソリンの入っていない車のようなもの」と例えていますが、当事者にとってネガティブな出来事や声掛けがあると、せっかく溜まったエネルギーが一気にゼロになってしまうと言います。
本書はひきこもり当事者、そして当事者の家族をはじめとした周囲の人両方に有益であるばかりでなく、ひきもりと関わっていない人にとっても当事者たちの理解を深める手助けになってくれます。
少なくとも本書を読むことで、ひきこもり当事者たちを安易に「怠け者」、「甘えている」と批判することが、いかに無知で心ない言葉なのかを知ることができます。
YOUR TIME
4063の科学データで導き出した、あなたの人生を変える最後の時間術
これが副タイトルです。
つまりすこし大きめの書店へ行けば必ず何種類かは置いてある、仕事の効率を高めるためのタイムマネジメントの本です。
現在はインターネットの普及と技術の向上により、膨大な量の情報へ手軽にアクセスできるようになりました。
一方で我々の生活を効率的にして豊かにしてくれるはずのテクノロジーの進化は、私たちに余暇をもたらすどころか、ますます時間の流れを早く感じさせ、以前よりもより忙しくなっているような気さえします。
私もその1人であり、仕事では時間を無駄にせず合理的かつ効率的にタスクをこなすよう意識しながらToDoリストなどを駆使しています。
そしてより良い方法があるかも知れないと思い、わずかな望みを抱きながら一番目立つ場所にあった本書を手に取ったのです。
しかし本書では冒頭で時間術(タイムマネジメント)に関する3つの真実を提示しています。
- 真実1 時間術を駆使しても仕事のパフォーマンスはさほど上がらない
- 真実2 時間の効率を意識するほど作業の効率は下がってしまう
- 真実3 時間をマネジメントするという発想の根本に無理がある
私自身は自分の使っているタイムマネジメントの方法で効果が出ていると実感していたため、そんな馬鹿なとは思いましたが、多くの科学実験の統計により明らかになっている事実であるということです。
そして本書では、その理由を人間の脳の仕組みや実験データから明らかにしています。
つまり万人に効果のある時間術はこの世には存在しなということを前提に、以下2つの要素から個人差に合った時間術を適用することを提唱しています。
- 未来=いまの状態の次に起きる確率が高い変化を、脳が「予期」したもの
- 過去=いまの状態の前に発生した確率が高い変化を、脳が「想起」したもの
こう書くと少し分かりにくいですが、要は個人によって未来と過去の解釈の程度には違い(ズレ)があるため、その傾向によって最適な時間術を選択するためのフレームワークを提唱しています。
さらには本書の後半では、「効率化から解き放たれる」、「退屈を追い求める」といった時間術とは一見矛盾するような内容を紹介しています。
つまり時間術を駆使すればするほど新たなタスクが発生し、それによって常に時間に追われる焦燥感を抱き、結果的に人生にとって大切なものを失いかねないと警告しているのです。
結論を言えば本書は「○○○という方法を使えば、仕事の効率が2倍になる」といった類の本ではありません。
一方で時間に対する現代人の捉え方とその問題点を指摘する部分は示唆に富み、効率を求め過ぎるがゆえに陥りやすいワナに気づかせてくれる1冊なのです。
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