レビュー本が1000冊を突破しました。
引き続きジャンルを問わず読んだ本をマイペースで紹介してゆきます。

閑な老人



普段からジャンルを問わず読書をしていますが、たまに純粋な小説を読みたくなります。

それも刺激のあるものではなく、ゆったりとした気分で読める小説といえば本ブログでも何度か紹介している尾崎一雄氏の作品がおすすめです。

本書は1930年代から1980年まで、つまり約半世紀にわたる作品22編が収録されています。

尾崎一雄といえば一見するとエッセイなのか私小説か見分けがつかないほど自然な文体、そして過度な装飾を省いたシンプルな文章で書かれているのが特徴です。

尾崎の同世代の作家が執筆するエッセイといえば文学論を語ったり、ほかの作家を批評したりするものが多く、一方で私小説であれば破滅へ向かって放蕩三昧の日々の送る内容が典型でしたが、尾崎の作品はそのいずれにも属していません。

彼の作品は身近にある花鳥石草木を題材にしてみたり、妻や知り合いとの何気ない会話、日常の心境などを吐露してみたりと身近なものを題材にしていることが多いようです。

本書はエッセイスト萩原魚雷氏が編纂しており、尾崎一雄がさまざまな困難を乗り越え、楽しげな老後を迎えるまでの軌跡が分かるようなテーマを持っています。

たしかに本書では60代、70代に入り、足腰が衰え、耳も遠くなった時期の作品が多いのですが、老いた我が身を嘆くというより自然に受け入れるという姿勢で一貫しています。

それは若い頃に2度に渡って大病を患い、奇跡的に2度とも生還できたという経験から老後そのものが"生き得"という心境から来るものであり、著者はこの世に生きていることが楽しいと綴っています。

見方を変えると人間が永遠に死なないと仮想すると背すじが寒くなるとも語っています。
その理由は「始めがあったのだから終わりがある。安心である。」ということのようです。

そんな尾崎氏ですが、彼が二十歳のときに父親が亡くなり、実家に母親と3人の弟たちがいるにも関わらず東京における学生生活で放蕩の限りを尽くし、卒業後も定職に就かず執筆活動もしないという自堕落な生活を続けた時期があります。

結果として家から金を持ち出し、さらに株券や債権、土地、挙句の果てには家屋敷まで借金で差し押さえられたといいます。

昭和の文豪らしい凄まじいエピソードと実際の作品内容とのギャップに戸惑いを覚えますが、戦前・戦中・戦後と作家活動を続けてきた古強者である著者にとっては、それもまた人生のスパイスとして作品の味付けに一役買っているに違いありません。