レビュー本が1000冊を突破しました。
引き続きジャンルを問わず読んだ本をマイペースで紹介してゆきます。

青衣の人



今まで読んできた井上靖氏の作品は、歴史を題材としたものや自伝的小説でしたが、本書は恋愛を題材とした純文学といった印象です。

恋愛といいつつも若い男女のそれではなく、いずれも結婚している男女が10年ぶりに偶然にも再会して恋愛感情を抱いていゆくという展開です。

外見上のストーリーはきわめて展開が少ないまま進行し、それは不倫とは呼べない程のものです。

それでも本作品は長編小説としての分量があり、加えて読者を飽きさせない作者の小説家としての伎倆が光っています。

陶芸家として活動し、妻が病気により長期入院中であるという境道助、資産家であり教授である夫を持つ主婦の三浦暁子が主人公といえる存在ですが、暁子を叔母として慕っているれい子という存在がトリックスターのように、例えば時には2人の恋のキューピットとして、時には暁子の恋のライバルとして色々な立ち回りをします。

れい子にも将来を約束した男性がいましたが、移り気の多さ、怖いものを知らないが故の大胆さといった、ときに若い女性に見られるような天真爛漫を絵に描いたような女性です。

一方で道助、暁子に共通するのは自制心、そして怖いものを知っているが故の慎重さであり、本質的には常識ある大人なのです。

おもにこの3人の微妙な心境の変化によって次の展開が次々と訪れてゆき読者を引き込んでゆくのです。

巻末には文芸評論家の亀井勝一郎氏が本作品で扱っているテーマを的確に言い表しています。
たとえば自由という概念がある。
それが最も効果を発揮するのは、いうまでもなく不自由という抑制を設定したときだ。 激しい恋愛は必ずしも恋愛の自由のなかにあるとはかぎらない。
古風なことばが「人目をしのぶ」という抑制や圧力のもとで燃え上がるものだ。
やはり恋愛、不倫といった題材は文学と相性がよいと改めて思い直した作品です。