非情の空: ラバウル零戦隊始末
太平洋戦争における零戦部隊の戦史を綴った1冊です。
著者の高城肇氏は、こうした太平洋戦争における旧日本軍のパイロットたちに焦点を当てた作品が多いようです。
本書は坂井三郎をはじめ日本を代表するエースパイロットたちが在籍した台南海軍航空隊(台南空)が貨物船に揺られてニューブリテン島のラバウルへ転戦するところから始まります。
ラバウルといえば太平洋における旧日本軍最大の拠点があり、アメリカをはじめとした連合軍との間に激戦が繰り広げられた場所として知られています。
旧日本軍としてはラバウル防衛のために精鋭部隊である台南空を配置するという定石通りの戦略を用いた形になりますが、彼らはその期待に応えるかのように次々にアメリカの戦闘機を撃墜してゆきます。
それはパイロットたちの高い伎倆と零戦の性能によるところが大きいですが、空中戦は一瞬の判断ミスや操縦ミスよって生死が分かれる世界であり、作品中ではその様子がよく描かれています。
毎日のように出撃しては敵機と交戦を続けるということは、毎日真剣勝負に出かけるようなものであり、パイロットには強靭な肉体と精神力が求められます。
当時の戦闘機にはレーダーもまた味方と通信するための無線も装備されていませんでした。
そのため敵をいち早く発見することが重要になり、目の良さやセンスが求められ、敵機を攻撃する際には太陽を背にするのが理想的でした。
味方との連携はバンクを振る(機体を横に傾ける)などの合図しか使えず、コミュニケーションとして使える手段は極めて限られていました。
序盤は優位に空中戦を進めていた日本軍ですが、やがて米軍の圧倒的な物資の前に苦戦するようになってきます。
1対1の戦いでは決して遅れを取らない歴戦のパイロットたちも出撃を重ねるうちに、1人、また1人と櫛の歯が欠けるように大空で散ってゆきます。
そもそも空中で撃墜されたパイロットの遺体が回収されることは殆どなく、一瞬のうちに火の玉となって機体と一緒に燃え尽きる運命にあるのは敵味方を問わず一緒なのです。
遂にはラバウル方面で使用可能な零戦の総数が21機であり、戦況の悪化や物資の欠乏により新たな増援が見込めない一方、米軍は1週間に30機もの戦闘機を新規に補充できる状態だったということからも分かる通り、いかにパイロットの能力が優れいようとも戦況は絶望的なジリ貧状態に陥っていたのです。
こうした戦況の中でもパイロットの当時の手紙に残されたから文面から分かるのは、こうした逆境にあっても士気がますます旺盛であったということです。
そこには何としても生き残ってやる、戦争に勝利するという意志よりは、今まで幾度となく弔ってきた仲間たちのように、いつか自分も大空で散るその時まで精一杯戦い続けるという、まさしくサムライのような心境であったように思えます。
それは現代の読者たちから見れば、死を覚悟した悲壮感のようなものに感じてしまいますが、少なくとも当時のパイロットたちは自らが置かれた境遇へ対して悲しみや憐れみを抱くようなセンチメンタルな感情は持ち合わせていなかったのではないでしょうか。
結果的にはラバウル方面へ派遣された台南空が部隊として全滅することはありませんでした。
それは劣勢となった局面を打開するために特別攻撃隊、つまり兵士1人1人の精神力を武器とした特攻という愚劣な作戦を遂行するために機体を明け渡す必要が出てきたからでした。
それでも多くの若い命が日本から遠く離れたラバウルの空で散っていったのは事実であり、生き残ったパイロットたちも心に大きな傷を受けて生きてゆくことになるのです。