雲の墓標
本書は阿川弘之氏による戦争文学ですが、すこし変わった形式で書かれています。
それは主人公・吉野次郎が学徒動員されて海軍へ入隊した直後の昭和18年12月12日から、特攻隊として出撃を命令された昭和20年7月9日までの日記をひたすら掲載するという形をとっている点です。
作品中の主人公は、はじめは自由な学生時代を謳歌していた日々と軍隊生活のあまりの違いに戸惑い、その理不尽さに憤りを覚えるという当然の反応を示すことになります。
やがて学生生活を懐かしみつつも1人前の飛行士になるため訓練に励む日々が続きます。
そこからは本望ではないものの、軍隊に入ったからにはベストを尽くすという若者らしいひたむきさが感じられます。
しかし軍隊にいると、やがて日本の戦況が圧倒的に不利な状況であることを知り、自身が再び生きて学業の道へ戻れる可能性が低いことを実感します。
たとえ自分の命を捧げることになっても戦争の大局へ影響を与えることのできない無力さ、自らの人生の意味を考えて葛藤が続くことになります。
ついに戦局が差し迫った状況となり、かつては志をともにした学友たちが特攻隊として空へ飛び立ち、あるいは訓練中の事故死などで命を失っていく日常を目の当たりにすることで、さらに心境の変化が生じていきます。
最終的に主人公は、心の底から晴れ晴れとした気持ちで出撃し、両親へ対して思い残すことはないので、どうか安心してくださいと日記の中で綴っています。
若い頃に特攻隊に関わる話を見たり聞いたりしたときは、国を守るために若い命を散らした若者たちの潔さを感じる一方で、なぜ手段を選ばずにとにかく生き残る道を模索しなかったのだろうと疑問に思うことがありました。
しかし自身も海軍予備員をして戦争を経験した阿川氏が描く作品の力、もしくは私自身の年齢のせいなのか、主人公の心情の変化に共感できる部分が多くありました。
ともに青春を過ごしてきた学友たちが次々と命を失ってゆく中で、自分だけが生きながらえても仕方ないというあきらめの感情も多少あったと思いますが、最終的には自身が生きた時代、そして与えられた環境の中で自分の生き方を自分で決めたという覚悟がそこにはあったような気がします。
おそらく主人公の心境は、当時の作者自身が抱いていた感情ではないでしょうか。
日々の出来事を綴った日記という形式をとっているため、著者は直接的に戦争へ対して肯定も批判も行っておらず、意識してイデオロギー的なものを作品中から排除しています。
そのため本書は時代を超えて読者の共感を呼ぶことのできる完成度の高い戦争文学作品といえるでしょう。