本と戯れる日々


もうすぐブログで紹介してきた本も1000冊になろうとしています。
ジャンルを問わず気の向くままに読書しています。

維新風雲回顧録



いわゆる幕末の明治維新では多くの"志士"と呼ばれる人たちが湧いたかのように出現しました。

そして維新を達成し、志士たちは新しい時代を担う指導者という立場へと変わっていった一方で、多くの志士たちが夢半ばで斃れてゆきました。

本書は22歳という若さで土佐藩を脱藩し、志士の1人として奔走した田中光顕自らが当時を振り返った回顧録です。

田中は生き残った志士たちの中でも特に長命で、1939年(昭和14年)に95歳という高齢で没しています。

本書は80代の頃の口述を元にしていると言われていますが、その頃すでに江戸は民衆にとって遠い記憶となり、維新の完成を見ることなく若くして斃れていった武市半平太、高杉晋作、坂本龍馬、中岡慎太郎といった著名な志士たちと共に行動を共にした経歴を持ちながらも当時存命していたのは田中以外にいなかったのではないでしょうか。

巻頭には司馬遼太郎氏が田中光顕を「いわば典型的な二流志士である」と評しながらも、 「二流の場所であるがゆえに、かえって西郷、木戸、大久保、坂本といったひとびととはべつな視点をもつことができた」と本書を紹介しています。

たしかに田中は幕末において藩(一国)の方針を左右するような立場にいなかったことは確かですが、それだけに一歩引いた目線でそういった立場にある人たちを観察し、軽いフットワークで土佐だけでなく京都や大阪、長州などさまざまな場所へ出没しました。

もちろん田中のそうした行動も新選組見廻組といった幕府側の組織に命を狙われる危険性を伴うものでした。

本書は明治維新を自身の視点から振り返ったものであり、実体験を伴うものだけに、たとえば作家が執筆する明治維新とは違い、当事の心境や実際に交わした会話などが生々しく回想されているのが特徴です。

多くの志士たちとの交流があった田中ですが、彼がもっとも影響を受けたのが長州の高杉晋作です。

彼が持っていた佩刀を欲しがった高杉への交換条件として弟子入りした田中は、彼を近くで観察するにつれ天衣無縫、天才児であるという感想を抱き、わずか29歳で病死した高杉から生涯に渡って大きな影響を受けたようです。

もう1つ本書の特徴が、維新の過程で斃れていった志士たちへ言及することが多く、彼らの残した辞世の句を積極的に掲載している点です。

本書の最後に、明治に入り木戸孝允(桂小五郎)が田中へ向けて送った俳句が紹介されています。
世の中は桜の下の相撲かな

はじめ何のことか分からぬ田中が木戸へ尋ねると、「桜の下で相撲をとってみたまえ、勝ったものには、花が見えなくて、仰向けに倒れたものが、上向いて花を見るであろう、国事に奔走したものも、そんなものだろう」という回答が返ってきます。

これは身を賭して国事に奔走して斃れた志士たちは美しい花を見ることなく、例え幕府側にあっても生き残った人たち(本書では榎本武揚、大鳥圭介などを指している)は負けた側でも出世することを皮肉った、木戸らしい句に思えます。

この回顧録を世の中に発表したのは、国家の犠牲となり倒れていった殉難志士たちを偲ぶとともに、著者自身が人生の集大成として彼らの姿を後世へ伝えてゆく義務を感じていたからに他なりません。

友情 平尾誠二と山中伸弥「最後の一年」


ラグビー元日本代表、そして神戸製鋼、日本代表の監督を経験し、2016年10月に53歳という若さでお亡くなりになった平尾誠二氏を追悼した1冊です。

私の世代では「スクールウォーズ」がとにかく有名で、そのモデルとなった伏見工業高校が全国初制覇を果たしたときの主将としても知られています。

個人的には圧倒的な強さで日本選手権を7連覇していた頃に神戸製鋼で主将としてプレーしていた姿が一番印象に残っています。

本書では平尾氏と家族ぐるみで親密な交流のあったiPS細胞の作製技術を確立し、ノーベル生理学・医学賞を受賞した山中伸弥氏、そして平尾氏の妻である恵子さんが当時の様子を振り返り、さらに平尾氏と山中氏が出会うきっかけとなった「週刊現代」の対談が収録されています。

タイトルに「友情」とある通り、平尾氏と山中氏との関係が大きくクローズアップされています。

山中氏にとって平尾氏の存在は大きなものだったようで、次のように振り返っています。
平尾誠二さんと僕との付き合いは、出会いからわずか六年間で終わってしまいました。けれど、四十代半ばを過ぎてから男同士の友情を育むというのは、滅多にないことです。
なんの利害関係もなく、一緒にいて心から楽しいと感じられる人と巡り会えた僕は幸せでした。

平尾氏がはじめに体調の異変に気付いた(吐血した)前夜も、山中氏は平尾氏と一緒に食事していたそうです。

そして病気が発覚した時点で余命3ヶ月という厳しい診断結果が出た時、山中氏も医師であるだけにその深刻さを理解して声を上げて子供みたいに号泣したといいます。

それでも平尾さんの病気を全力をかけて治したいという思いに駆られたそうです。

一方の平尾氏も色々な治療法がある中で「僕は先生を信じると決めた」と山中氏の治療方針に従うことに決めます。

忙しい中でもこまめに平尾氏の元を訪れる山中氏、辛い治療の中でも弱音を吐くどころか、忙しい山中氏を気遣う優しさを忘れない平尾氏の関係は、まさに"友情"にふさわしい関係だったと思います。

恵子夫人は2人の関係を次のように語っています。
今にして思えば、癌宣告を受ける前夜から山中先生が主人とご一緒だったことは、偶然ではない気がします。
二人の魂の結び付きは、それほど深かったのでしょう。そのことに、感謝の気持ちでいっぱいです。
平尾誠二の十三ヶ月に及んだ闘病生活に、山中伸弥先生は最初から最後まで寄り添ってくださいました。

当時、平尾誠二氏の突然の訃報を知ったときには、あまりにも早すぎる死にショックを受けたことをよく覚えていますが、本書によってはじめてその裏側に存在した友情と闘病の様子を知ることができました。

最初に悲しい結末ありきの本なのですが、それでも平尾氏の姿には読者を前向きにする明るさがあり、2人の関係を微笑ましいと思うと同時に羨ましいとも思ってしまうのです。

成瀬は天下を取りにいく



本屋大賞2024年をはじめ数々の賞を受賞した話題の作品です。

娘が読みたいということで購入した本ですが、私も読んでみることにしました。

主人公は滋賀県大津市に住む成瀬あかりという女子中学生です。

彼女は勉強も運動も得意であり、普通であれば間違いなくクラスの人気者となるはずですが、他人を寄せ付けない雰囲気と性格からクラスでは孤立している存在です。

しかし当の本人は孤立していてもまったく平気で、わが道をゆく、つまり自分が決めたことを実行してゆく強い意志と行動力があります。

随分変わった主人公だなと思いながら読み進めていきますが、次第に彼女の言動、そこから生まれる周囲の反応に魅せられゆくことに気付きます。

本書は6つの物語から構成されてゆき、その中で主人公の成瀬は中学3年生から高校3年生へと成長してゆきます。
加えて物語の舞台はいずれも大津市を中心に展開されてゆき、田舎でも大都会でもない地方都市を舞台としています。

著者の宮島未奈氏自身が大津市在住ということを読み終わってから知り、作品中で描かれる街の細かい風景や雰囲気に納得です。

作品を読み終わってから、なぜ成瀬が魅力的な存在に映るのだろうと考えてみると、おおよそ3点ほど理由が思いつきました。

まず最初に成瀬が同調圧力に対してまったく無頓着で、クラスの中で孤立していても平気で毅然としている点です。
周りの言動に合わせる、顔色を伺うということに馴れてしまった多くの読者にとって、一介の女子学生である成瀬の姿にある種の憧れを抱いてしまうのではないでしょうか。

次に主人公の自信に溢れた行動力と強い信念が挙げられます。
たとえば自分にとって大事だと思ってはじめた行動でも、周りから理解されずに奇異な目で見られたりすると自信が揺らぎためらってしまうものです。
しかし成瀬は周りの視線など気にせず、自分で決めたことにまっすぐ突き進む強さを持っています。

最後に主人公の持つ不器用さが逆に魅力となる点です。
勉強も運動も得意な成瀬ですが、他人とのコミュニケーションは決して得意ではありません。
それでも心を開いた友だちや自分に興味を抱いてくれた周囲の人たちには、不器用なりに自分を分かってもらおうという努力や思いやりを怠りません。
さらに付け加えるならば肝心な部分が抜けていたりして、そうした人間味が読者たちの共感を呼ぶのではないでしょうか。

本作品は1日で充分に読み終えることのできる分量で、ストーリーもテンポよく進むので長編小説を読むのが苦手な人でも楽しむことができると思います。

ちなみに娘は続編の「成瀬は信じた道をいく」を読み始めており、読み終わったらいずれ私も手にとってみたいと思います。

アンドロイドは電気羊の夢を見るか?



アメリカの代表的なSF作家であるフィリップ・K・ディック氏の代表作です。

本書は根強いファンのいることで有名な1982年公開の映画「ブレードランナー」の原案となった作品としても有名です。

今から50年以上前に発表されたSF小説の中では古典の部類に入りますが、この時代の作品は未来を描いたものでありながら、どこか懐かしさを感じさせてくれます。

当時はインターネットの影も形もない時代であり、作品中では自動車が飛行し、人類は火星などに移住し、レーザーガンが武器として使われている一方で、未だに雑誌が紙媒体のままであったり、TVやラジオがメディアとして主流だったりします。

こうした現在より進んだテクノロジーと時代遅れのテクノロジーが混在するところがレトロなSF的世界観であり、個人的には嫌いではありません。

この作品で特筆すべきは、本物の人間や動物と見分けがつかないレベルで精巧に作られたアンドロイドの存在です。

つまり現代よりはるかにAIとロボット工学が発達した世界なのです。

一方でアンドロイドには人間同様の人権は認められておらず、あくまで人間の労働力として使役される"便利な道具"に過ぎません。

その結果として高度に発達したアンドロイドが主人である人間に反抗して逃亡する事件が発生するようになります。

こうしたアンドロイドたちを賞金首として狙うのがバウンティ・ハンター(賞金稼ぎ)である主人公・リック・デッカードです。

当然のように逃亡した精巧なアンドロイドは人間社会へ紛れ込み容易に見抜くことはできませんが、そのための唯一の方法が精密な検査(フォークト=カンプフ検査法)なのです。

腕利きであるリック・デッカードはこの検査法にも精通しており、アンドロイドと対決する場面などはアメリカらしいスパイ小説の要素もふんだんに盛り込まれており、読者を夢中にさせてくれます。

作品中の高度に発達したアンドロイドには確実に""や"感情"のようなものが芽生え始めており、リックがアンドロイドへ対して抱く感情もしだいに変化が見られるようになります。

詳しくは作品を読んでの楽しみですが、やはり読書として意識せざるを得ないのは日進月歩で進化を続ける"AI"の存在です。

ここ数年でAIの技術は一気に進化し、これがアメリカの好景気を支える大きな産業へ成長しつつあります。

実際にアメリカでは、今まで人間が担ってきた仕事をAIが肩代わりするケースが増えつつあります。

一方でAIシステムの持つリスクを抑制するための法規制も整備され始め、AIの戦争利用、AIが人種、政治的意見、宗教的信条による差別を助長する危険性が指摘されています。

加えて作品は核戦争により荒廃した地球が舞台になっており、決して明るい未来ではありませんが、現在ウクライナやパレスチナで起きている戦争を考えると荒唐無稽な未来を描いたSF作品と笑い飛ばすことは出来ないはずです。

未来を描きつつも人間社会が抱える根本的な問題を浮き彫りにするのが名作SF小説の必須条件であり、そうした意味では間違いなく本作品はそれに当てはまるのです。

ルポ路上生活



東京オリンピックの開会式があった2021年7月23日から約2ヶ月に及ぶ路上生活体験記を綴った1冊です。

著者の國友公司氏は1992年生まれであり、当時29歳という若さで路上生活を試みる今どき珍しい気骨のあるルポライターのようです。

路上生活者、つまりホームレスを題材にした本は著者のように実際に体験したものを含めてかなりの数が出版されています。

一方で時代とともに生活スタイルや社会情勢は変わってゆき、それはホームレスであっても避けられません。
そうした意味で本書は最新のホームレス事情を知る上で貴重な作品であるといえます。

私自身、頻繁に都内へ行くことが多いためホームレスの人を見かけることはよくあります。

しかしジロジロ見るのも失礼であり、じっくりと彼らの様子を観察する時間もないことから、彼らの生活を詳しく知っているわけではありません。

著者自身も「ホームレスは一体、どんな生活をしているのか?」という素朴な疑問から自身で路上生活を始めてみたといいます。

また場所が変わればホームレスたちの生活様式が変わることが予想されるため、著者は新宿上野、そして荒川の河川敷というおもに3箇所でホームレスを体験します。

ホームレスというと貧困の最前線で飢えと隣合わせの生活というイメージを抱く人がいると思いますが、すくなくとも東京でホームレスを続ける限りその心配はまったくないようです。

それはさまざまな宗教団体やNPOが各地で炊き出しを行っており、著者は都内各所の炊き出しスケジュールに詳しいホームレスとともに1日7食の炊き出しツアーを敢行し、満腹で苦しむといった体験をします。

ちなみに炊き出しには多くの人たちが並びますが、その8割くらいはホームレスではなく、生活保護受給者たちであるといいます。

さらに著者が予想していたことであり、私も実際に目撃して大変そうだなと思ったのが冬の路上生活です。
都内とはいえ真冬には気温が氷点下にまで下がることもあり、夜は凍えて寝れないのではないかと心配してしまいますが、やはりさまざな団体から支給される防寒着や寝袋で案外快適に過ごせるようです。

しかも毎年支給されるためホームレスたちは冬シーズンが終わると寝袋や防寒着は荷物になるので、捨ててしまうといいます。

それよりもホームレスたちにとって夏の暑さの方がキツイといいます。

たしかに熱が放出され続けるアスファルトの上で寝る夜は、裸になったとしてもその暑さから逃れる術がありません。

著者は7000円を所持してホームレスになりますが、炊き出や配給によって食料には余裕があり、新宿区などが無料シャワーを提供していることから、お金に困ることは少なかったようです。

転売屋の元に行われる買い出しのバイト、パチンコの抽選の列に並ぶバイト、さらに宗教の研修へ行くと現金が支給されるなど、それなりに現金収入を得る方法があるようです。

基本的に都心に住むホームレスは寝るスペースしかありませんが、小屋を建てて住む河川敷のホームレスはスペースに余裕があるため、空き缶拾いによって現金収入を得ることもできます。

つまりホームレスたちは食の心配がないことに加えて、酒やタバコ、さらにはギャンブルを楽しむことも可能なのです。

著者と交流のあったホームレスたちの多くは、社会復帰や生活保護を受給してアパートに住む生活を望まない人が多いようですが、だからといって彼らが社会生活と無縁であるわけではありません。

ホームレスの間にも序列があり、そして多くのルールがあります。

健康を害したり、暴力や窃盗といった犯罪に巻き込まれる危険性も高く、けっして安全で気ままに暮らせる身分でないことだけは確かです。

私たちはとかくホームレスたちを違う世界に住んでいる人たちと思いがちです。

それだけにホームレスを実際に体験した著者だからこそ分かる、ホームレス側からの見る社会への視点、そして彼らのリアルな生活は新鮮であり、多くの気付きを与えてくれるルポタージュです。