もうすぐブログで紹介してきた本も1000冊になろうとしています。
ジャンルを問わず気の向くままに読書しています。

友情 平尾誠二と山中伸弥「最後の一年」


ラグビー元日本代表、そして神戸製鋼、日本代表の監督を経験し、2016年10月に53歳という若さでお亡くなりになった平尾誠二氏を追悼した1冊です。

私の世代では「スクールウォーズ」がとにかく有名で、そのモデルとなった伏見工業高校が全国初制覇を果たしたときの主将としても知られています。

個人的には圧倒的な強さで日本選手権を7連覇していた頃に神戸製鋼で主将としてプレーしていた姿が一番印象に残っています。

本書では平尾氏と家族ぐるみで親密な交流のあったiPS細胞の作製技術を確立し、ノーベル生理学・医学賞を受賞した山中伸弥氏、そして平尾氏の妻である恵子さんが当時の様子を振り返り、さらに平尾氏と山中氏が出会うきっかけとなった「週刊現代」の対談が収録されています。

タイトルに「友情」とある通り、平尾氏と山中氏との関係が大きくクローズアップされています。

山中氏にとって平尾氏の存在は大きなものだったようで、次のように振り返っています。
平尾誠二さんと僕との付き合いは、出会いからわずか六年間で終わってしまいました。けれど、四十代半ばを過ぎてから男同士の友情を育むというのは、滅多にないことです。
なんの利害関係もなく、一緒にいて心から楽しいと感じられる人と巡り会えた僕は幸せでした。

平尾氏がはじめに体調の異変に気付いた(吐血した)前夜も、山中氏は平尾氏と一緒に食事していたそうです。

そして病気が発覚した時点で余命3ヶ月という厳しい診断結果が出た時、山中氏も医師であるだけにその深刻さを理解して声を上げて子供みたいに号泣したといいます。

それでも平尾さんの病気を全力をかけて治したいという思いに駆られたそうです。

一方の平尾氏も色々な治療法がある中で「僕は先生を信じると決めた」と山中氏の治療方針に従うことに決めます。

忙しい中でもこまめに平尾氏の元を訪れる山中氏、辛い治療の中でも弱音を吐くどころか、忙しい山中氏を気遣う優しさを忘れない平尾氏の関係は、まさに"友情"にふさわしい関係だったと思います。

恵子夫人は2人の関係を次のように語っています。
今にして思えば、癌宣告を受ける前夜から山中先生が主人とご一緒だったことは、偶然ではない気がします。
二人の魂の結び付きは、それほど深かったのでしょう。そのことに、感謝の気持ちでいっぱいです。
平尾誠二の十三ヶ月に及んだ闘病生活に、山中伸弥先生は最初から最後まで寄り添ってくださいました。

当時、平尾誠二氏の突然の訃報を知ったときには、あまりにも早すぎる死にショックを受けたことをよく覚えていますが、本書によってはじめてその裏側に存在した友情と闘病の様子を知ることができました。

最初に悲しい結末ありきの本なのですが、それでも平尾氏の姿には読者を前向きにする明るさがあり、2人の関係を微笑ましいと思うと同時に羨ましいとも思ってしまうのです。