戦史の証言者たち
記録小説と言われるほど正確な記述を実践したことで知られる吉村昭氏ですが、その中でもとくに太平洋戦争を題材にした作品(著者は戦史小説と表現)では、当事者たちへの取材を入念に行い、作品を執筆する上で欠かせない要素でした。
やがて年月を経るにつれ当時の証言者たちが少なくなってゆき、著者は戦史小説を執筆することをやめることになります。
本書はかつて戦史小説を執筆する際に行った、証言者へのインタビュー取材を1冊の本にまとまたものです。
かつて著者のインタビュー取材に応じた9名が証言した内容は以下の通りです。
大宮 丈七
世界造船史に類を見ない巨大戦艦・武蔵の進水を担当した工作技士。
武蔵が長崎で建造されている当時の様子、軍事機密を守りながら世界最大重量の戦艦を進水させるまでの苦心を語る。
連合艦隊司令長官・山本五十六が視察へ赴く途中、P38ライトニング16機の待ち伏せにより撃墜され戦死する。
長官機を護衛し、唯一戦後まで生き残ったパイロットである柳谷氏が当時の出来事を語る。
海軍乙事件において参謀長・福留繁中将が不時着したセブ島でゲリラの捕虜となるが、日本軍との交渉の結果解放される。
この際にゲリラと交渉し、福留繁中将の解放に成功させた大隊長が事件の全容を語る。
海軍乙事件において捕虜の引き渡しを担当した大西大隊長の副官。
ゲリラとの緊迫した交渉過程を語る。
海軍乙事件において福留中将とともにゲリラの捕虜となった二式飛行艇の搭乗員。
捕虜の視点から当時を振り返る。
昭和17年6月10日、瀬戸内海での単独訓練中、沈没した伊号第三三潜水艦。
102名が殉職し、救助されたのはわずか2名であった。
大西氏は救助された2名のうちの1名であり、当時の状況を振り返る。
伊号第三三潜水艦の沈没事故で救助された2名のうちのもう1人。 同じく当時の状況を振り返る。
終戦後、沈没した伊号第三三潜水艦をサルベージした技術者。 海流の早い海域で、巨大な潜水艦を浮揚させるまでの苦心を語る。
浮揚した潜水艦内部を写真撮影した中国新聞記者。 浸水を免れた区画からは13個の遺体が、あたかも生きたままであるかのような状態で発見され、唯一それを撮影することに成功した記者の証言。
本書は1995年に出版されていますが、著者は近い将来に太平洋戦争が明治維新、日清・日露戦争と同じく歴史の一部となることは避けられないことから、取材によって得た当事者の肉声を活字として遺しておく重要性を考え本書を出版したとのことです。
おかげで私たちは本書に登場する証言者が故人となり時間が経った令和の時代においても当時の貴重な証言を読むことができるのです。