俄 浪華遊侠伝
幕末から明治にかけて活躍した大阪の任侠・明石家万吉を主人公にした歴史小説です。
今は講談社文庫から上下巻で出版されているようですが、私は分冊になっていない800ページ以上ある旧版で入手して読みました。
著者の司馬遼太郎といえば戦国武将や維新志士を主人公とした作品が多く、切った張ったの世界で生きる任侠を主人公とした作品は珍しいと思います。
しかしその本作品を読む進めてゆくと、すぐに主人公の万吉が戦国武将に勝るとも劣らない立身出世を果たした魅力的な人物であることが分かります。
万吉は幼少より赤貧の生活を経験し、わずか11歳で家を飛び出て無宿人の身となります。
彼の面白いところは、任侠らしく腕力に物を言わせて相手を屈服させるのではなく、殴られることによって名を高めてゆくことです。
「殴られる、斬られる。この二つに平気になれば世の中はこわいものなしじゃ」
と自らに言い聞かせ、何事にも自分の命を的にして臨んでゆくのです。
たしかに年端も行かぬ少年が、殴られても蹴られても平気でいる姿というのは不気味であり、得体のしれぬ迫力のようなものがあります。
もちろん万吉が名を馳せた理由はそれだけなく、頼まれると断らない侠気があったという点も挙げられます。
正確には侠気というよりも病的なほどのお人好しといった方が正しく、そのために何度も命を落としかねない危機を経験することになります。
そして何といっても面白いのは、この風変わりな任侠である万吉が、幕末の争乱という歴史的な節目に生きたという点です。
当時すでに高名だった万吉は、ひょんなことから武士の身分となり、新選組や長州藩士たちと関わりを持つようになり、鳥羽伏見の戦いにおいては60名の子分たちを率いて幕府方とした参戦する羽目になります。
もちろん万吉自身に佐幕や勤王といった思想はいっさいなく、頼まれて一肌脱いだ結果であり、その軍資金も開帳している賭場から捻出するといった有り様です。
大阪のおもだった博徒の親分たちは勝利した薩長軍によって次々と斬首されてゆきますが、困った人を見捨てられない万吉はかつて苦境に陥った長州藩士を命がけで匿ったこともあり、間一髪で命拾いすることになります。
作品中での軽快な大阪弁でのやりとり、万吉が行くところ何かしらトラブルが起こり、命も金も惜しまないが思慮もすこし足りないところなどは上方漫才を思わせるようであり、作品を読み進めるほどに万吉の魅力に取り憑かれてしまうのです。