もうすぐブログで紹介してきた本も1000冊になろうとしています。
ジャンルを問わず気の向くままに読書しています。

幻の韓国被差別民


本作品には"「白丁(ペクチョン)」を探して"という副題が付けられています。

著者の上原善広氏は、自らの出自を被差別部落(同和地区)であると表明していますが、彼はそれをアイデンティティとして、差別を受ける側の立場から見た社会を描くような作品を発表しています。

もちろん表向きでは出自や職業による差別は禁じられていますが、こうした差別意識は現代においてもなお残っており、その代表的なものが日本ではかつて穢多(エタ)と呼ばれた屠畜をはじめとした精肉や皮革産業に関わってきた人びとです。

著者は穢多(エタ)とまったく同じものが隣国の韓国にもあることを知り、5年間に渡る取材を元に書き上げたルポルタージュが本書です。

つまり"白丁(ペクチョン)"とは韓国にける屠畜を生業として歴史的に差別され続けてきた人びとの名称となりますが、本書を読み進めてすぐにその取材が容易なものではないことが分かります。

それは殆どの韓国人が、歴史の授業で白丁とはなにかを知っているが、「現代では白丁は存在しない差別もない」という認識を持っているからでした。

その一番大きな理由として、第二次世界大戦と朝鮮戦争における住民の移動、それに続く1980年代の経済成長による産業構造の変化により、日本における被差別部落というべき明確な地理上の存在が消滅してしまったためだと言われています。

つまり主体的な社会運動により差別が消滅したというより、外的要因により"差別が分かりづらくなった"という現実があり、多くの当事者たちが「寝た子を起こすな」という認識のため、当然のように取材は難航します。

普通であれば取材はそこで行き詰まるのですが、著者は粘り強く取材を続けていきます。

こうした伝統的な差別意識は住民の入れ替わりが激しい大都市よりも、地方の方がより強く残っているはずだとい推測で各地へ出かけたり、専門家やかつて白丁への差別撤廃を目指した団体である衡平社の歴史を調べたりと、さまざまなルートからの取材を試みます。

こうした手がかりを元にして、おそらく多くの韓国人たちが普段は意識していない、いびつな形で残っている差別の現実を明らかにしてゆく過程が本書の醍醐味であるといえます。

はじめはかなり風変わりでニッチな分野の取材をしている作品だなと思いながら読んでいましたが、次第に本書の示唆しているテーマがかなり壮大なものであると気付かされます。

それは被差別部落問題を日本固有の差別問題であると捉えるのではなく、他国と比較することで人間社会の持つ普遍的な問題であると捉えることができるからです。

たとえば欧米で起こっている移民排斥の暴動といった時事的な出来事も、根っこは同じところに起因しているのではないかと思えてくるのです。