最高の体調
若い頃は仕事で徹夜をしたり、前日にハードな運動をしたり、または夜遅くまでお酒を飲んでいても1日しっかりと休めば体力が回復していた記憶があります。
一方で40歳を超えたあたりから徹夜をすると場合によっては1週間くらい体調や生活リズムが戻らないという経験が増えるようになりました。
これは極端な例ですが、日々の仕事の中でなんとなく体調が万全ではないと感じることがある人は多いのではないでしょうか。
また体調だけではなく、仕事や趣味へのモチベーションが下がるといった心理的な不調を感じることがあるかもしれません。
私も自分なりに疲れが溜まっていると感じたときは食事に気をつけたり睡眠時間を長めにとったり、また気分転換をしたりといった方法を取っていますが、本書はそんな症状へ対して最新の科学・医学研究の成果を元に統合的なアプローチを解説した本になります。
人類が二足歩行をはじめて600万年が経過していると言われています。
一方で人類が農耕を始め文明を形成し始めたのが約1万年前です。
つまり人類の進化は急激に変化した生活様式に対応できていない、言い換えれば現代人の心と体の不調の原因は「文明病」であると結論付けています。
これを本書では分かりやすく整理するため、古代より多すぎるもの、少なすぎるもの、存在しなかった新しいものという3つに分類しています。
多すぎる
- 摂取カロリー
- 精製穀物
- アルコール
- オメガ6脂肪酸
- 塩分
- 乳製品
- 飽和脂肪酸
- 満腹感
- 食事のバリエーション
- 人口密度
- 衛生設備
- 人生の価値観
少なすぎる
- 有酸素運動
- 筋肉を使う運動
- 睡眠
- 空腹感
- ビタミン
- ミネラル
- 食物繊維
- タンパク質
- オメガ3脂肪酸
- 自然との触れ合い
- 有益なバクテリアとの接触
- 太陽光の摂取量
- 深い対人コミュニケーション
- 他人への貢献
新しすぎる
- 加工食品
- トランス脂肪酸
- 果糖ブドウ糖液糖
- 公害
- 人工照明
- デジタルデバイス
- インターネット
- 慢性的なストレス
- 化学物質
- 重金属
- 処方箋
- 孤独
- 仕事のプレッシャー
本書によれば私たちの生活様式を狩猟採集社会に戻すことができれば、現代人の抱える体や心の不調をすべて解決できるということになります。
しかし人類は1度享受した便利さを決して手放すことはなく、現実的な解決策とはいえません。
そこで冒頭にある通り、最新の科学・医学研究の成果を元に現実的な解決方法を提示しています。
たとえば食事や衛生面から体調を万全にするための実践ガイドは以下のようになります。
- 抗生物質を無闇に使わない
- 抗菌グッズや殺菌グッズの排除
- 空気をきれいに保つ
- 発酵食品を摂取する
- 食物繊維を摂取する
本書の中では上記のような内容だけでなく、その理由と根拠、また具体的にどのような食品やサプリメントを摂取すべきかが細かく解説されています。
後半ではストレスへの対処方法、人生の満足度(幸福感)を高める方法など、精神面におけるコンディショニングを解説しています。
本書で言及されているのは広範囲に及ぶため、著者は自分が不調を感じている部分、または実践しやすい項目から始めてみることを勧めています。
もちろん人間は健康になるために生きているわけではありませんが、健康だからこそ人生の目的へ向かって進むことができるのも事実です。
コンディションを整えることを解説しているだけに広範囲な読書へ対して当てはまる1冊であり、興味が湧けばぜひ手にとって見てみることをお勧めします。
南蛮阿房列車
作家・内田百閒氏は熱心な鉄道ファン(乗り鉄)として知られていて、かつて「阿房列車」という鉄道旅行の紀行文シリーズで人気を博しました。
タイトルにある"阿房"とは始皇帝が建立した宮殿「阿房宮」が由来らしく、彼が鉄道旅行の際には金を惜しまずつねに1等車に乗るモットーであることから名付けられたようです。
それから四世紀半が経過し、内田氏も亡くなった頃に作家・阿川弘之氏が阿保列車シリーズの続編を執筆する決意をします。
それは阿部氏が自他ともに認める鉄道ファン(しかも内田氏と同じ乗り鉄)であり、本書のタイトルにある"南蛮"は日本を飛び出して世界を舞台にした鉄道旅であることから名付けたものです。
私自身が鉄道ファンというわけではありませんが、紀行文を読むのは好きなこともあり本書を手にとってみました。
本書で紹介される鉄道旅は"南蛮"と冠するに相応しく、イギリス&スコットランド、マダガスカル、タンザニア、アメリカ、カナダ、欧州各国、モロッコ、台湾と多岐に及びます。
旅の同行者として狐狸庵(遠藤周作氏)、マンボウ(北杜夫氏)といった人たちが登場し、ファンにはお馴染みの愉快なメンバーで鉄道旅を楽しんでゆきます。
しかし本当の意味でこの旅を楽しんでいるのは、阿部氏だけかも知れません。
何故なら同行者は途中までは付き合うのですが、一昼夜にわたり鉄道に乗った挙げ句、飛行機に35分乗って出発地に戻ってくるなど、まさに鉄道に乗ることが手段ではなく目的となっている著者に途中から付き合いきれなくなるからです。
著者は列車に乗って居眠りばかりしている同行者たちをユーモアたっぷりに軽蔑していますが、さすがに私に読みながら同行者の方を同情してしまうほどです。
それでも車内の様子や車窓から見える景色、さらには列車やレール、駅などの描写を見ていると、本当に著者が鉄道好きなことが伝わってきて、読む分には不愉快さは微塵もなく、むしろ微笑ましさを感じます。
また旅の中で同行者や現地の人たちとのやり取りも面白く読むことができ、私の中では硬派な作家である阿部浩之氏の意外な一面を見た気がします。
とても著者のような旅を真似する気は起きませんが、旅を疑似体験で楽しむことができる紀行文の魅力を充分に備えている1冊であることは間違いありません。
本作品は続編も刊行されているようであり、本家(元祖)である内田百閒氏の「阿房列車」も併せていつか読んでみようと思います。
家康と権之丞
火坂雅志氏の歴史小説です。
タイトルを見たとき、家康は分かりますが"権之丞"は誰だろうと思いました。
家康には11人とも13人とも言われる息子たちがいました。
武田家に内通した疑いを持たれて切腹した長男・信康、2代将軍となる三男・秀忠、九男・義直、十男・頼宣、十一男・頼房はそれぞれ徳川御三家(尾張、紀伊、水戸)の家祖となったことで有名です。
本書の主人公・権之丞は家康の七男として生まれ、旗本である小笠原広朝の養子として育てられたという説がある人物で歴史上では殆ど知られていない人物です。
権之丞は天主教(キリスト教)を信仰していましたが、よく知られている通り家康はキリスト教禁止令を命令します。
しかし権之丞は父・家康への反抗心もあり、改宗を拒んだために改易(領地没収)されることになります。
ところで権之丞の叔父である小笠原貞頼は、小笠原諸島の発見者と伝えられ現在使われている島名の由来にもなっています。
そこで権之丞はこの小笠原諸島に迫害されたキリシタンを移住させ、ノビスパニア(メキシコ)との交易で成り立つ独立国家を樹立するという目的に向かって動き始めます。
当然というべきか権之丞の言動は殆ど残されていませんが、そこを逆手にとって著者が自由な発想で物語を展開してゆくという点がこの作品の面白さでもあります。
養子として育った権之丞に実父・家康への愛情はまったくありませんが、一方でつねに家康を意識してしまうという葛藤、そしてその束縛か逃れるために自分なりの生き方を見つけて貫こうとする姿が描かれています。
ネタバレしないためにこれ以上あらすじには触れませんが、日本が戦乱に揺れる中、その日本を離れて新天地を切り開こうとする冒険的な試みは読者を引き込まずにはいません。
人間誰しも生まれ育つ環境を自分で選ぶことはできませんが、自らの意志、そしてそれに賛同する同士たちと力を合わせて運命を切り開こうとする主人公は魅力的です。
本書は600ページにも及ぶ長編小説ですが、作品中で描かれている時代はおもに1609~1614年という短い期間であり、それだけ密度の濃いストーリーが展開されます。
一方で歴史に精通している著者だけに、幕を閉じようとしている戦国時代の情勢やそこに登場する武将たちの心理もよく描かれており、それだけに時代の流れに抗おうとする権之丞の姿が鮮やかに浮かび上がってくるのです。
砂の女
安部公房氏の代表作の1つに挙げられるのが本書「砂の女」です。
普段は教師をしている男が趣味の昆虫採集のため、あるうらぶれた漁村を訪れます。
やがて日が暮れ、主人公は村人の紹介で女が1人で暮らす一軒家に泊まることになりますが、その家は蟻地獄のように砂に埋れた場所にあり、やがて男はその砂穴に閉じ込められたことに気付くのです。
ここまでが物語の導入部ですが、中盤まではホラー作品のような印象を受けながら読み進めました。
主人公が理不尽に砂穴の底へ閉じ込められるというシチュエーション、男と一緒に穴底で暮らす女、彼を逃がすまいと見張り続ける村人たちの不気味さ、さらには砂を人力で掻き出し続けるという不思議な風習など、どことなく作品中の雰囲気はラヴクラフトのクトゥルフ神話シリーズに似ています。
しかし作品中には異形の神々やそれを信仰する謎の宗教集団などが登場することはなく、ひたすら人間のみが描かれていることが分かってきますが、ミステリー小説とも違った作品であることもが分かってきます。
読み終わってみれば登場人物も少なく、村人たちの名前は誰1人明かされることはありません。
次に作品に登場する要素を挙げてみたいと思います。
- 砂丘に埋もれかかった周囲から孤立した部落
- 砂穴に閉じ込められた主人公(男)
- 砂穴の中にある朽ちかけた一軒家
- そこに住む30歳くらいの1人の女
- そこから自由を求めて脱出を試みる男
- 自由を求めようとせず砂穴の中で男を引き留めようとする女
- 男を逃がすまいと見張りを続ける村人たち
- ひたすら部落が埋れることを防ぐために人力で砂を掻き出し続ける日々
- やがて繰り返されるようになる男と女の砂穴での暮らし
- やがて脱出すること以外にも関心を持ち始める男
狭い砂穴に理不尽に閉じ込められ続ける主人公の立場はこの上なく不自由なものであり、まるで囚人のようです。
そもそも部落を訪れる前から教師という仕事に嫌気が差し始めていたていた彼にとっての"自由"とは何を指すのでしょう。
穴や部落から脱出できたとしても男にとって灰色の日常に戻るだけです。
本作品は1962年(昭和37年)に発表されていますが、この作品が何を風刺しているのかを考えながら読むと味わい深い文学品になってくるから不思議です。
たとえば本来は自分の意志で自由な場所へ行けるはずであるが、ひたすら自宅と職場との間を往復する不自由な毎日を繰り返すサラリーマンへの揶揄。
ひらすら手作業で砂を掻き出し続ける場面からは、思考停止して古い風習にこだわり続ける組織への批判。
さらには狭い砂穴の中での不自由な暮らしに満足している女の姿からは、どんな環境でも心の持ちようで人間は幸せを感じることができるという示唆。
ストーリー自体はシンプルながらも、色々と考えさせられる要素が幾つも見つかります。
本作品が世界20数カ国に翻訳され、海外でも高い評価を受けていることに頷けるのです。
北の海(下)
井上靖氏の自伝小説「北の海」下巻のレビューです。
主人公の洪作は受験に失敗したものの、参考書も開かず目的のないまま沼津で日々を過ごします。
たまたま四高(現在の金沢大学)の蓮実と出会い、練習量がすべてを決定する柔道(七帝柔道)という存在を知り、浪人生の身でありながらも夏休みに彼らの合宿に参加すべく単身金沢へ向かいます。
洪作には具体的な将来の夢や目標を持っていませんでしたが、ひたすら柔道に打ち込む柔道部員の姿に引き込まれ、四高への進学を決意することになります。
一方で柔道部の練習は厳しいもので、部には次のようなモットーががありました。
- 学問をやりに来たと思うなよ、柔道をやりに来たと思え
- この世に女はいないものと思え
- いっさいものは考えるな
それは半世紀以上のちに北大で同じく柔道に打ち込んだ日々を描いた増田俊也氏の「七帝柔道記」と驚くほど似ている価値観であり、伝統が受け継がれ続けてきたことが分かります。
その世界観は独特で、いわゆる「体育会系」とは違い、「バンカラ」的な要素も多分に入っている価値観で、この空気感がそのまま本作品の魅力になっています。
洪作は夏の間、ひたすら金沢で柔道に明け暮れますが、彼の身分は浪人生であり、そもそも勉強などせずに教師に「極楽とんぼ」と揶揄されるほど自由奔放に過ごしてきました。
そんな洪作が練習も規律も厳しい柔道に打ち込むことになったのは皮肉ですが、それがまた青春らしさを感じさせてくれます。
またこの作品に出てくる登場人物はいずれも個性的であり、それぞれの魅力を備えているという点も見逃せません。
大天井、鳶、杉戸といった金沢で出会った柔道部員、中学時代からの悪友である藤尾、木部、金枝、地元の柔道仲間である遠山、色々と世話を焼いてくれる宇田先生夫妻など、いずれも損得勘定抜きで洪作と付き合ってくれる人たちばかりで、心が温まるエピソード、ときには感情的になって口論や喧嘩になるシーンなど、印象に残る場面が数多く登場します。
男ばかりの汗臭い物語に終始するわけではなく、料理屋でバイトをしているれい子はマドンナ的存在であり、洪作へ密かに想いを寄せるエピソードなども登場します。
青春小説としてはほぼ完璧な構成であり、時代を超えて多くの読者を惹きつける名作であるといえます。
唯一惜しいのは、洪作が四高へ入学したあとのエピソードは小説化されていないという点だけでしょうか。
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