JAL 虚構の再生
日本航空(JAL)が2010年に経営破綻し、当時京セラ会長だった稲盛和夫氏が社長に就任して奇跡の再建を果たしたという事実は知識として私もなんとなく持っています。
当時、稲盛和夫氏がJALの再建に取り組んでいる様子がTVでしばしば放映されていたことも記憶にあります。
一方でJALがどのような経緯で巨額の債務を抱えて破綻へと至ったか、またどのようなやり取りを経て稲盛氏が社長に就任したかについては、殆ど知識を持っていませんでした。
本書は共同通信社の記者であった小野展克(おの のぶかつ)氏によって、まさにJALの再建が始まろうとしていた2010年に発表された本です。
よってJALという企業が破綻に至るまでの過程、再建プランが立案され決定していったかのプロセスが中心に紹介されており、まさしく私がよく知らなかった部分に焦点を当ててくれている1冊です。
本書は全6章で構成されており、はじめにJALがリーマンショックによる国際線の不振により大赤字を出し、それにより過去の放漫経営もが明るみになってゆく経緯を知ることができます。
さらに政権交代により民主党の意向によって発足した民間のタスクフォースによるJAL再生プランの立案、さらに政治家や関係各省による主導権争いよって再建の担い手がタスクフォースから企業再生支援機構へとバトンタッチされていった無体裏が描かれています。
ここまで来て一旦時間を巻き戻し、戦後まもなく国策会社としてJALが創立された経緯から御巣鷹山のジャンボ機墜落事件を経て、その経営に暗雲が立ち込み始めるまでの経緯が詳しく紹介されています。
そこかから全日空(ANA)さらには世界各国を含めた航空業界全体の現状や見通しを述べつつ、羽田国際化をはじめとした規制緩和の行く末を大きな視点から分析しています。
そして終章では、CEOに就任した稲盛氏率いるJAL再建への見通しや課題、つまり再生シナリオを予測しています。
運輸省で航空局長、事務次官を経て、最終的には成田国際空港社長に就任した黒野匡彦氏、つまりJALの歴史からその内幕の全貌を知っている人物ですが、著者の取材へ対して次のように答えています。
「なぜ日航が破綻したか-。それは、国有会社だったからじゃないかなあ」
捉えようによっては人ごとのような回答ですが、まさしくJALの紆余曲折はこの一言に集約されているような気がします。
国策会社という国民全体の利益や利便性提供を目指して設立された企業が莫大な利権を生み出し、そこへ政治家、官僚、そして歴代のJAL経営者たちのエゴが絡み合って翻弄され続けた結果であり、これを1度リセットするためには会社更生法の適用、つまり破綻という道のりは避けられなかったというのが個人的な感想です。
JALの再建をテーマにした書籍はたくさん出版されていますが、JALという企業がどのような過去を経て現在も存在し続けているのかを網羅したい人にとっては是非一読してみることをおすすめします。
絶滅危惧職、講談師を生きる
私は年に何度か寄席へ足を運ぶ程度の演芸好きであるものの、熱心なファンというわけではありません。
今やYoutubeなどで自宅にいながら様々なコンテンツを手軽に見ることができる時代になっていますが、寄席というさほど広くもない空間で生でプロの芸を聴くというのは、個人的にある意味で贅沢な時間の使い方だと感じています。
本ブログでも過去に円朝、志ん生、米朝、談志といった落語の名人と言われる人たちの本を紹介してきましたが、落語家に比べてかなり少ない講談師の本は今まで読んだことはありませんでした。
著者である神田松之丞は、本書の発表当時(2017年)では二ツ目の講談師であり、真打ちでない芸人が本を出版しているという点で異例ではありますが、今では真打ちに昇進し大名跡を継いで神田伯山へと改名しています。
それだけに本書の発表当時から将来を有望視されている講談師であったことは間違いありません。
本書は文芸評論家である杉江松恋氏が松之丞へインタビューを行うという形式で、自らの生い立ちや講談師になるまでの過程、さらに前座としての修行時代から真打ち昇進を見据えての将来像などを存分に語っています。
私自身は著者の師匠であり人間国宝でもある神田松鯉をはじめ何人かの講談師の高座は寄席で聴いたことがありますが、歴史小説が好きな私にとって宮本武蔵、忠臣蔵、清水治郎といった講談の題材が馴染み深いこともあり、すぐにその高座に引き込まれた記憶があります。
一方で著者の講談をまだ生で聴いたことはありませんが、今を代表する講談師の本ということで手にとってみました。
まず本書で驚くのは、著者がかなり早い時期に芸人を目指して計画的に行動しているという点です。
大学では定番の落語同好会などに所属せず、観客としての立場でひらすら寄席へ通い続けたという点です。
たしかに自らの芸を磨くのはプロになってから幾らでも出来るので、今しか見れない真打ちたちの芸を生でなるべく多く体験しようという考え方は理にかなっている気がします。
そして計画通り、神田松鯉一門に入門してからは、ひたすら自分の芸を磨くことに専念することになります。
下働きが多い前座時代から自分の芸を磨くことを最優先にするという姿勢は、時には脈々と受け継がれてきた伝統にはそぐわないこともあり、実績もない下積み時代から我が道をゆく松之丞の姿を一言で表すと、本人も語っているとおり面倒臭い新弟子以外の何者でもありませんでした。
それでもタイトルにある通り、落語家に比べて圧倒的に稀少な20代の講談師という立場、師匠の温かい人柄もあって前座時代を破門されることなく過ごすことができます。
私には著者が本当の天才なのかを判断することはできませんが、かつて天才と言われた人たちには多少なりとも変人扱いされてきた過去があり、たとえば志ん生は常軌を逸しているかのような半生を送った末に名人と評された師匠なのです。
著者の講談へ対する熱量が充分に伝わってくる内容ですが、自身の芸を高めてゆくだけではなく、真打ちに昇進する前から講談界全体の未来までを視野に入れて客観的に自身の役割を自覚しているという点にも驚きます。
今をがむしゃらに進むだけではなく、長期点な目標へ対して信念を持って進んでいるという点から察すると、今後の講談界は神田伯山を中心に回ってゆく可能性が高いのではないでしょうか。
ちなみに神田伯山ティービィーがYoutubeで開設されており、著者の高座も見ることができます。
さっそく数日にわたって中村仲蔵や畔倉重四郎の全話の高座を見てみましたが、神田伯山という講談師の魅力が少し分かった気がします。
"少し"という表現をしたのは、やはり演芸は生で見てこそ本当の魅力が伝わるものであり、私も近いうちに生で神田伯山を味わってみたいと思いますが、今一番チケットが取りにくい講談師ということもあり、その機会を得ることが難しそうなのが心配のタネになっています。
表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬
最近は作家や専門家だけでなく、芸能人の作品も読み始めています。
深い理由はありませんが、なるべく多くのジャンルの作品に触れてみたいという気持ちと、単純に今まで芸能人が執筆した作品を読んでこなかったからです。
本書は人気漫才コンビ・オードリーのツッコミ担当である若林正恭氏によるキューバ、モンゴル、アイスランドを訪れた紀行文です。
TV、そしてたまにラジオでも著者の声を聴くことがありますが、本人も自覚している通りインドア派でシャイな性格という印象が伝わってきます。
芸能界というきらびやかな、そしてお笑い芸人といえば明るいイメージがある中では珍しい存在なのかもしれません。
肝心の内容についてですが、比較的珍しい国を訪れているもののバックパッカースタイルというわけではなく、極地や治安の悪い危険地帯を訪れたわけでもなく、紀行文として見ると平凡なレベルに留まっています。
しかし本作品の秀逸な部分は、紀行文の中で書かれているエッセイ的な部分になります。
少年の頃より周りの人間との関わりが苦手で内向的な性格を充分に自覚している著者は、自らが生まれ育った場所とは異なる文化を持つ国を訪れることで新しい気付きを得ようとします。
一時期「自分探しの旅」という言葉が流行りましたが、著者にとってこの旅は「自分の外の世界を知るための旅」であり、つまり自分のことしか考えてこなかった著者が、他人との関わり合いによって外界を知り、自分自身の輪郭を再認識する旅だったのです。
本作品の3分の2はキューバを訪れた旅で占められています。
これは著者にとってはじめて1人で出かけた海外旅行であり、社会主義国家でありながらも明るく陽気で気さくなラテン系らしい、ある意味で自分と正反対の性格を持つ人びととの交流が強く印象に残ったからではないでしょうか。
本書を通じて思うのは、とにかく若林氏自身が心境を正直に吐露しているという点です。
それを一言でいえば自身が感じている資本主義・新自由主義という競争社会の中でのある種の生きづらさであり、競争の激しい芸能界に身を置く立場であれば多少なりとも自分を取り繕いたくなるものですが、作品からはそうした"見栄"を一切感じさません。
これはある種の才能といってもよく、それだけに著者に共感し、励まされた人たちも多いはずです。
その代表的な存在であると公言しているのが、あとがきを寄せている音楽ユニットCreepy NutsのメンバーであるDJ松永氏であり、その熱量の高さに驚くとともに、微笑ましい気持ちになれます。
メトセラの子ら
SF小説はその黎明期において、単なる妄想を描いたものとしてその地位が他のジャンルと比べて相対的に低く見られていた時期がありました。
しかし作品の中に最新の科学的知見を取り入れ、綿密なストーリーの作品を生み出すことによってその地位が見直されてゆき、やがて小説として確固たるジャンルを築いてきた経緯があります。
そのジャンル確立に貢献したSF作家の1人が本書の著者であるロバート・A・ハインラインです。
メトセラ(Methuselah)とは、旧約聖書に登場するユダヤ人指導者の名前であり、969歳まで生きたという言い伝えが残っていることから、キリスト教、ユダヤ教圏では長命な人のたとえに使われることがあるようです。
舞台は23世紀頃の地球となり、この頃の人類は金星や火星に移住できる科学力を備えていました。
そして人類の中にはひっそりとハワード・ファミリーと言われる遺伝子的に寿命が極端に長い"長命族"と言われる人たちが、ひっそりと暮らしていました。
ハワード・ファミリーは全人類の中で10万人ほどを占めており、かれらは評議会を頂点とする共同体を運営していました。
評議会における最大の論点は、自分たちが長命で何百年も生き続けることのできる存在であることを世間に公表すべきかと否かという点にありました。
なぜなら周りの人たちと比べてはるかに長生きできる彼らは、普段は一般社会に紛れて生きていますが、年月が経過するにつれ怪しまれないために定期的に移住する必要性があり、その際に身分証明書などの問題も出てきます。
つまり正体を公表した方が暮らしやすくという考えがある一方で、その際に生じるマイノリティへ対しての迫害の方が深刻であるといった考えがあります。
なぜなら彼らの持っているのは、全人類が長い年月を通じて渇望し続けてきた"不死不老"なのです。
しかし評議会で決定が下される前に、時の権力者たちによって彼らの存在が知られることになります。
さらに長命族が遺伝子的に受け継いだに過ぎない特性を、彼らが世間から隠している秘密のテクノロジーを独占しているといった誤解が広がり、マイノリティである長命族たちは人びとのねたみと憎悪の対象して迫害が本格的なものとなってゆきます。
長命族のリーダーが誤解を解くために権力者たちと交渉を行いますが、一度火の付いた迫害の嵐は止めることが困難であることを悟ります。
だた1つ残された道は、人類未踏の大宇宙への旅立ち、つまり新天地を求めての恒星間飛行へ挑戦することになるのです。
ストーリーの前半は長命族のリーダー、そして世俗の権力者たちの駆け引きが政治的に描かれており、ある意味ではSF小説らしくありません。
しかしストーリーが進むにつれ、長命族たちにとって新天地候補となる惑星において遭遇する未知の生命体との遭遇といった王道のSF小説へと移り変わってゆきます。
結末もきわめてSF作品らしいものであり、完成後の高いエンターテイメントとして読むことができます。
個人的に驚いたのは本作品が執筆されたのが、今から80年以上前の1941年であるという点であり、SF界のビッグスリーと言われたハインラインの真骨頂を味わえます。
amazonのすごい会議
本ブログでは、巨大企業アマゾンの末端で働く労働者たちの過酷な現場をルポした作品を紹介しました。
それでもアマゾンが時価総額で世界5位(2024年時点)という規模にまで急成長したという事実は揺るぎません。
著者の佐藤将之氏は、2000年にアマゾンへ入社し2016年まで勤めていた経歴があり、その成長の過程をよく知っている人物です。
そんな著者は日本の会議は総じて効率的、生産的ではないと指摘しています。
私自身、基本的に会議は好きではありません。
それでも多い時には1日に5~6時間の会議がスケジュールされ、とくにオンライン会議が普及した昨今では物理的なスペースを気にすることなく会議へ参加できるようになったため、参加者が多い時には20名以上にもなります。
当然、これだけの参加者がいれば一度も発言しない人が大多数になることもあり、私自身も心の中では他のタスクを消化する時間を奪われるだけの非効率な会議へ毒ついています。
それでもすべての会議を無くすことはできませんし、むしろ場合によっては必要です。
アマゾンでは企業のその規模に相応しく、膨大な数のプロジェクトが同時進行しており、会議もそれに比例して増加してゆきます。
一方でアマゾンは、そうした会議をいかに洗練させてゆくかの試行錯誤を続けてきた企業でもあるのです。
本書ではアマゾンので行われいる会議の具体的なルールやノウハウが紹介されており、以下のような目次から構成されています。
- CHAPTER 0 アマゾンが「減らしたい会議」「増やしたい会議」
- CHAPTER 1 アマゾン流 資料作りのルール
- CHAPTER 2 アマゾン流 意思決定会議
- CHAPTER 3 アマゾン流 アイデア出し会議
- CHAPTER 4 アマゾン流 進捗管理会議
- CHAPTER 5 アマゾンのOLP
- CHAPTER 6 会議をスリム化するヒント
まず意外なのが、アマゾンでは会議資料を簡潔に箇条書きしたものではなく、文章で書く必要があるという点です。
資料が文章で作成されることで、発表者の思考が伝わりやすく、その意図するところの解釈の違いが人によって生じにくくなるというメリットがあります。
また事前に資料へ目を通しておく必要はなく、会議の冒頭で各人がそれを黙読する時間が与えられます。
資料の上限は「1ページ」か「6ページ」に統一されている点も特徴的であり(関連データなどの添付資料はページ数に含まない)、会社にとってどんなに重大な決定事項であってもこのルールに変わりはありません。
続いて会議の目的別に、オーナー(会議の主催者)がそれらを運営するための役割やルールについて言及しています。
確かに報告や意思決定を行うための会議と、新規事業のアイデアを生み出す会議ではやり方が違って当然となります。
最後のほうでアマゾンの価値観を表した14カ条かなるOLP(Our Leadership Principles)が説明されています。
これはアマゾンの全社員が共通して持っておくべき価値観のことであり、これに則って会議も洗練されてきたのです。
つまり闇雲にアマゾン流会議のルールを自社へ取り入れてもうまくは行かず、その背景にある考え方を理解した上で行う必要があるのです。
このOLPは誰にでも公表されており、Webページで参照することができます。
ビジネス書の中ではかなり具体的で実践的な内容であり、世界的な企業の取り組みの参考として一度は目を通しておいて損はないと思います。
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