きりぎりす
専門的知識を習得したい、先人たちの偉業を知りたい、感動したい、時間つぶしをしたい。
読書の動機は様々だと思いますが、太宰治氏の作品は読書好きにとって、単純に小説を読みたい時に手にとってしまう作家です。
本書は14本の短編からなりますが、どれも太宰治の特徴が良く出ています。
そこに壮大なテーマや哲学があるわけではないのですが、なぜか自分の人生というものを振り返らずにはいられなくなります。
人間というちっぽけな存在が内面に抱えている自己顕示と自己嫌悪を赤裸々に、そして自由に描いている彼の作風がそうさせると言わざるを得ません。
作品にはユーモラス、シリアスなものが混在していますが、それは切り口が異なるだけで、その根底にはどれも人間の悲哀が流れています。
もちろん自己啓発、自己研鑚を続けてゆく努力は必要だと思いますが、ひたすら成功だけを目指す人生だけではつまらない。人間の悲しい性をも受け入れてこそ人生は味わい深いものになる。
太宰治の作品はそんなメッセージを読者に伝えてくれます。
参考までに本書に収められている作品です。
- 燈籠
- 姥捨
- 黄金風景
- 畜犬談
- おしゃれ童子
- 皮膚と心
- 鴎
- 善蔵を思う
- きりぎりす
- 佐渡
- 千代女
- 風の便り
- 水仙
- 日の出前
ぐうたら人生入門
遠藤周作氏は作家として2つの顔を持っています。
1つは、ノーベル文学賞の候補に挙られた実績から分かる通り、日本文学の大家としての顔。
そしてもう1つが狐狸庵山人として隠者のような生活を送りつつ手がける随筆家としての顔です。
こうした一連の随筆は、"ぐうたらシリーズ"として発表されており、本書「ぐうたら人生入門」はシリーズ最初の作品です。
もともと渋谷に居を構えて作家活動を続けていた遠藤氏ですが、都会の空気の悪さ、そして喧騒に嫌気が差して自然豊かな柿生に移り住むことを決意します。
とはいっても都会からは1時間程度の場所であり、都会から遠く離れた完全な田舎へ引っ越さないところが遠藤氏らしいといえます。
この作品が発表された1967年当時の日本は高度経済成長期であり、サラリーマンたちは豊かさを追い求めて必死に働いていた時代でした。
その中でまるで世の中の流れに取り残されたかのように、肩の力を抜いて書かれたエッセーは一見の価値があります。
書かれている内容は、決して汗水流して働く世間のサラリーマンの生き方を否定するものではなく、女性に愛の告白を堂々と行うことが出来ない男の気弱さ、そして自分の出世のため他人を押しのけるような厚顔無恥な人間になりきれない男の奥ゆかしさ、挙句の果てに嫁や子供に家庭での居場所を奪われた男の哀愁をこよなく愛するといった、ぐうたらな人間への愛に満ちています。
それはまるでサラリーマンたちへの応援歌とさえいえます。
読者も狐狸庵山人の波長に合わせて、肩の力を思いっきり抜いて読んでほしい1冊です。
風呂にでも浸かりながら読むのがおすすめでしょう。
とんび
人気作家・重松清氏が父と息子の絆をテーマに描いた作品です。
ちょうどドラマ放映されて注目が集まっている"旬の作品"です。
(TVはあまり見ないので、ドラマの出来はまったく分かりませんが。。。)
舞台は昭和30年代の岡山県の備前市。
主人公は運送会社で働く通称"ヤスさん"です。
短気で喧嘩っ早く、酒とギャンブル好きなヤスさんでしたが、結婚して待望の息子"アキラ"が生まれてからは仕事に打ち込み、好きな酒やギャンブルも控えて息子を溺愛する親バカっぷりを見せます。
慎ましいながらも絵に描いたような幸せな家庭でしたが、それが長く続くことはありませんでした。
それはアキラが3歳のときに、息子の身代わりとなって妻の"美佐子"が事故で亡くなってしまうからです。
それから父親と息子の2人の生活が始まります。
父親1人の手で息子を育てるのは大変ですが、温かいヤスさんの隣人や知人たちの温かい助けもあって、息子のアキラは、学歴もないヤスさんにとって「とんびが鷹を生んだ」と言われるほどの自慢の息子に育ってゆきます。
ここではこれ以上内容を詳しく書きませんが、あらすじを細かく書いても特別な設定は殆どありません。
片親として息子を育ててゆく苦悩、例えば思春期を迎えての息子の反抗期、大学進学、就職、結婚、そして初孫の誕生など親子にとって節目となる出来事を時間軸に沿って書き綴っただけのようにも見えます。
しかしながら、なんの変哲も無い(どこにでありそうな)日常の出来事を重松氏が描くと、どれも感動的になるのだから不思議です。
逆の見方をすれば、日常の中に感動が溢れていることを重松氏が小説を通じて読者へ気付かせてくれているのかも知れません。
文章の描写がまるで映画のスクリーンを見ているような感覚で流れてゆき、普段あまり読書をしない人もすらすら読めてしまいます。
逆に(私含めて)根っからの小説好きにとっては、場面描写がすこし鮮明過ぎて、もう少し読者の想像を駆り立てる余地が欲しいところでした。
雰囲気で言えば、大ヒットした映画「ALWAYS 三丁目の夕日」と似ているので、この作品のファンであれば特にお薦めだと思います。
ロゼッタストーン解読
1798年。ナポレオン・ボナパルト率いる5万のフランス軍は、敵対するイギリスを牽制するためにエジプト遠征を決行します。
それはフランス軍がはじめてエジプトに上陸した歴史的な第一歩の瞬間でもありました。
しかしフランス軍は灼熱の太陽、渇き、そしてペストに苦しめられ、最後はイギリスとオスマン帝国の攻勢によって撤退を余儀なくされます。
生き残った兵士は1万5千人にまで減り、決して名誉ある遠征とはいえない結果でした。
一方でナポレオンのエジプト遠征は、思わぬ副産物をもたらします。
それはナポレオンは軍勢とともに同行した学術調査団が持ち帰った、多くのエジプトの古代遺跡です。
やがて空前のエジプト・ブームがヨーロッパを席巻し、本書のタイトルである"ロゼッタストーン"はその象徴的な存在として広く知られるようになります。
"ロゼッタストーン"には古代エジプトの文字であるヒエログリフ、デモティック、そしてギリシア語という3つの文字で同じ内容が併記されており、長年にわたり神秘だったエジプトの歴史を明らかにする手がかかりとして重要な役割を果たすことになります。
失われた言語であり、誰も読むことのできなかったヒエログリフを解読したのが、高校の世界史でもお馴染みの"ジャン=フランソワ・シャンポリオン"であり、本書はそのシャンポリオンの生涯を描いた伝記です。
本書はシャンポリオンの人生を丁寧に追い続け、残された彼の書簡についても作品中で数多く紹介しています。
現代に生きる我々が、古代エジプトの歴史や文化を知ることができるのはシャンポリオンの功績によるところが大きく、彼が「エジプト学の父」と称される所以でもあります。
シャンポリオンはフランス革命による混乱期に育ちながらも少年期より非凡な才能を見せ、次々と外国語を習得してゆきます。
成人になる頃には10ヶ国にも及ぶ言語を理解し、その中にはエジプトの現代語である"コプト語"も含まれていました。
まさしく言語学の天才であり、その才能を生涯に渡ってヒエログリフの解読に注ぎ続けました。
彼は世渡りが上手なタイプではなく、自らの探究心を最優先するために、多くのライバルたちとの競争、そして研究を有利に進めるための駆け引きにはむしろ疎かったとさえいえます。
そこで忘れてはならいのが、12歳年上の兄"ジャック=ジョゼフ・シャンポリオン"の存在です。
弟の少年期には家庭教師として、青年期には教育のための資金を兄が援助しており、弟の才能を誰よりも早く見抜き、そして開花させます。
その後も生涯に渡ってその弟の研究活動を支え続け、この2人の関係は兄弟というより、親子のような感さえあります。
世界史の教科書では2~3行でしか書かれていないシャンポリオンの功績ですが、人間シャンポリオンの素顔を知るための伝記としては最適な1冊になっています。
甦るロシア帝国
本ブログではお馴染みになりつつある佐藤優氏の著書です。
過去に紹介した「国家の罠」では自らが逮捕・起訴された国策捜査を振り返っており、「交渉術」では日本の北方領土返還を巡る一連の舞台裏を克明に描いています。
そして本書「甦るロシア帝国」は、ソ連~ロシアという国家を思想面で支えている社会主義・共産主義、そしてロシア人の宗教観をテーマにした内容になっています。
具体的にはマルクス・レーニン主義を中心とした思想、そしてロシア正教会を中心とした神学をテーマにしており、今までの作品の中ではもっとも専門的な内容になっていることもあり、はじめて著者の作品を本書を手にとった人にとっては、少し敷居が高いかもしれません。
佐藤氏は大学時代に学んだプロテスタント神学の専門知識を生かし、外交官として活躍する傍らでモスクワ大学で神学の講義をしていた異色の経歴を持っており、その時代を回顧しつつ当時のソ連・ロシアの内部情勢、そして知識人や学生たちとの交流を中心に展開されてゆきます。
専門的な内容にも関わらず会話の内容が克明に書かれており、著者の記憶力、(たぶん日記などの)記録のこまめさ、そして何よりも自分の中へ知識として吸収する能力には、どの著書を読んでもいつも驚かされます。
戦後の冷戦時代下で、民主主義・資本主義国家アメリカと世界の覇権を争ったソ連ですが、バルト三国の独立などによりソビエトは解体することになります。
しかし国家そのもが消滅したわけではなく、エリツィン、そしてプーチンといった指導者に受け継がれたロシア連邦は、ソ連と極めて連続性の高い国家であるといえます。
表題にある「ロシア帝国」とは、皇帝の専制政治により世界を席巻した過去の"帝政ロシア"であり、すなわち現在のロシアが目指すものが帝国主義であることを暗示しています。
それが長年にわたりロシア一流の知識人との意見交換を通じ、著者が至った結論です。
昨今のニュースでも報じられ、そして今までも度々行われてきたロシア戦闘機による領空侵犯は、新生帝国主義ロシアの意志が行動に表れたものといえます。
著者と親交のあるロシア人たちはいずれも政治、経済の混乱の中にありながらも祖国を心から愛し、その未来のために貪欲に知識を吸収しようとする意欲に溢れています。
プーチン大統領、そしてメドベージェフ首相のタッグによる体制は盤石であり、政策にブレが感じられません。
一方で、ロシアの隣国である日本の政治は混乱と迷走を続けており、その先行きに不安を感じざるを得ません。
マスコミやネットなどの世論に左右されず、自分の考えをしっかりと持った日本人が増えて欲しいと思いますし、自分自身もそうありたいと考えさせられる1冊です。
侍
伊達政宗の命令により、エスパーニャ王国(スペイン)、そしてローマへ派遣された支倉常長をモチーフとして書かれた歴史小説です。
一般的には、慶長遣欧使節団として知られています。
主人公は"長谷倉六右衛門"という紹介がありますが、物語の大部分では"侍"として三人称で書かれているのが印象的です。
伊達家の家臣として東北の片田舎の領主である"侍"が、ある日突然ヨーロッパへ渡り通商契を取り付けてくることを命じられます。
これが合戦であれば侍にとって本来の仕事になりますが、外国への使者という命令に戸惑いを隠せません。
スペイン語を理解しているわけでもなく世界情勢にも疎い一介の侍が、大海原を渡ってヨーロッパまで遣わさせる姿は、名誉ある使命や未知の大冒険といった雰囲気は微塵も漂っていません。
侍の心境は、郷土を離れ未知の土地へ赴く不安、そして任務の重圧といったものに占められており、残念ながらそれは現実のものとなります。
武士たちを率いる宣教師ベラスコは日本語に堪能であり、キリスト教の布教にも熱心ですが、一方で教会での高い地位を密かに狙っている野心的な側面を持っている人物です。
つまり武士たちは教会内部での勢力争いに政治的に利用され、もとより海外の言語や風習に通じていない彼らに抗う術はありませんでした。
遣欧使節団の武士たちは異国の地で彼らと交渉するために形だけとはいえ洗礼を受けキリスト教徒となりますが、彼らがヨーロッパへ派遣されている間にキリスト教は邪宗とされる政策が決定してしまいます。
つまり徳川幕府による鎖国政策の一環として、禁教令が布かれます。
侍たち一行の使節団は目的を果たすどころか、数年の渡航を経て帰国してみれば邪宗を崇める者として非難される現実が待ち受けていました。
本作品の著者である遠藤周作はキリスト教信者として知られていますが、決してキリスト教(特にローマ教皇庁を中心とした組織)を擁護した書き方はしていません。
むしろ侍や宣教師ベラスコといった組織の歯車として利用され、そして捨てられていった人間たちの悲哀を描いているといえます。
王妃マリー・アントワネット〈下〉
引き続き、遠藤周作氏の小説「王妃マリー・アントワネット」をレビューしてゆきます。
本作品では彼女にまつわる歴史上のエピソードがかなり網羅されており、著者なりの解釈を加えてかなり詳細に描かれています。
例えば夫の父であるルイ15世の愛寵デュ・バリー夫人との確執、首飾り事件(詐欺事件)、ヴァレンヌ事件、スウェーデンの貴族フェルセンとの決して結ばれることのない愛などです。
外から見ると綺羅びやかなヴェルサイユの生活であっても、その内部では様々な人間の思惑や陰謀が見え隠れする混沌とした世界であることが分かります。
そしてこの物語では、マルグリットというもう1人の主人公ともいうべき女性が登場します。
孤児院で育てられた経歴を持ち、困窮した生活から抜け出すためにパリで娼婦として働くという設定ですが、彼女の内面には庶民を虐げる貴族たち、とりわけその象徴ともいえるべきマリー・アントワネットを激しく憎む心が潜んでいます。
この対照的な2人を互いに織り込むように物語を展開する構成力は、読者を飽きさせません。
(実際のこの2人がどのように交わるかは本書を読んでからのお楽しみです)
貴族たちの圧政から逃れるために王室を打倒し、自由を勝ち取る市民たちの姿。そして指導者からの扇動により、特には凶暴化する民衆たちの心理。
その民衆の心理を体現化する存在として、マルグリットが描かれているように思えます。
何不自由なく生きてきたマリー・アントワネットは革命で囚われの身になってからは、往年の美しさも消え、孤独でみずほらしい姿で幽閉されることになります。
様々な心境の変化を経ながら、王妃の威厳を失わずに最期を迎えるに至った繊細な心理描写は是非読んで欲しいところです。
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