水滸伝 1 曙光の章
中国でもっとも有名な古典の1つ「水滸伝」。
学生時代に柴田錬三郎氏の小説、横山光輝氏のコミック、そしてゲームなどで「水滸伝」に興味を持った時期がありますが、同じく中国の四大奇書で有名な「三国志」よりマイナーな存在であることは確かです。
モチーフとなった出来事はあるものの、基本的には史実ではない創作された物語です。
さらに数多くの著者により編纂が繰り返されたこともあり、水滸伝の原典や全体像が分かりづらい印象があります。
本書は通称「北方水滸伝」といわれるほど有名なシリーズであり、作家・北方謙三が再構築した"新しい水滸伝"です。
私が知っている(より原典に近い?)水滸伝と異なる部分も散見されますが、従来存在していた矛盾や飛躍を丁寧に埋めてゆき、連続した1つの物語として完成度の高い作品に仕上げています。
ハードボイルド作家として有名な北方氏ですが、"ハードボイルド"と"水滸伝"は相性が良さそうです。
水滸伝は12世紀初頭の宋の時代が舞台であり、当時の役人たちの腐敗や圧政に対抗するため梁山泊に終結した英雄たちの物語です。
英雄といっても、人殺しや窃盗などの経歴を持つお尋ね者も多く含まれており、一方でエリートでありながらも官僚的な社会をはみ出して梁山泊に集った男たちが多く含まれています。
悪く言えば世の中に馴染めない偏屈な、良く言えば志を曲げない信念を持った個性的なキャラクターが多く、ハードボイルドの世界観と共通する部分があります。
内容は完全な現代小説であり、歴史小説に敷居の高さを感じている人でも、まったく抵抗なく読むことができます。
吉川英治氏の「三国志」のように、そう遠くない将来に水滸伝といえば、北方謙三氏の本書が定番となる日が来るのではないでしょうか。
単行本で19巻もの長編であることは読み始めてから知りましたが、これだけ長いシリーズ小説を読むのは本当に久しぶりで、しばらくは「水滸伝」を楽しむ日々が続きそうです。
風神の門 (下)
大阪の役は戦国時代の終焉を告げる戦いでした。
そして結果だけを見れば、強力な軍事力を擁する徳川軍が豊臣軍を圧倒した戦いでもありました。
さらには豊臣方は政略上の駆け引きでも老練な家康の前に為す術なく翻弄されたといえます。
つまり事実上、関ヶ原の戦いで天下の帰趨が決定していたといえるでしょう。
もちろんこれは後世から見た結果でしかなく、当時大阪城に入場した真田幸村をはじめとした豊臣方の武将たちは、わずかなチャンスに望みを賭けていたのだと思います。
だから圧倒的な実力差をもった徳川方を題材にして小説を書いても、当然のようにドラマチックな展開は見込めません。
逆に豊臣方を題材にするとドラマチックにはなりますが、どうしても悲劇寄りの内容に偏りがちです。
そこで結果的には豊臣方の武将・真田幸村に協力する忍者として活躍しながらも、自らの自由な意志で戦国時代最後の瞬間を駆け抜けた霧隠才蔵を主人公にした本作品が生まれたのだと思います。
この作品の霧隠才蔵は常に武士の格好で登場し、忍者でありながら変装することも殆どありません。
また忍術で敵を翻弄するというより、正面から敵と戦うことを好む、忍者というより剣豪のイメージが似合う主人公です。
才蔵は"絶望"や"悲哀"といった感情を殆ど表に出しません。
彼は悲劇のヒーローになるつもりなどまったくなく、己の腕で運命を切り開こうとする人間として描かれています。
そのため作品全体を通して陽気で痛快な物語という印象を受けます。
読者サービスのために、才蔵が当時はまだ無名の剣豪・宮本武蔵と対決するシーンなどもあり、エンターテイメント性を意識して書かれた作品です。
風神の門 (上)
司馬遼太郎といえば日本を代表する歴史小説化ですが、本書のような忍者小説も幾つか手掛けています。
その中でも忍者小説の王道ともいうべき真田十勇士をモチーフにして書かれている作品です。
本書の主人公は十勇士の1人、伊賀忍者・霧隠才蔵です。
主人公が真田幸村でも猿飛佐助でもないところが作者らしい設定です。
物語の舞台は慶長18年。
関ヶ原の戦いから十数年が経過し、太平の世が訪れたかに見えましたが、水面下で家康が天下統一最後の仕上げを行うべく動き出します。
再び戦乱の世が迫りつつある京の郊外に、ふらりと才蔵が現れます。
そこで才蔵は、人違いで徳川方の刺客に襲われ、やがて出会う1人の謎の美女によって大きく運命が変わってゆきます。。。
司馬氏の小説には珍しいほどに、次々と美女が才蔵の目の前に現れます。
やがて甲賀の忍者、そして風魔の忍者が才蔵たちの行く手に立ちはだかるようになります。
大阪の役では徳川、もしくは豊臣いずれかの陣営に所属するというのが武将やその配下で働く忍びの者にとって常識でしたが、霧隠才蔵はそのいずれにも属することを拒みます。
もっとも天下の大勢は徳川家に定まりつつあり、豊臣家には関ヶ原の戦いで所領を失った武将たちが起死回生のために集ったという雰囲気がありました。
猿飛佐助は最初から真田幸村の配下として登場しますが、才蔵は自らの技能を売る忍者として中立の立場を貫きます。
つまり幸村の配下でもなく、佐助の仲間でもない用心棒のような存在といった方がしっくりくるかもしれません。
司馬氏の作品で似たような主人公を探すとすれば、雑賀孫市に近いでしょうか。
歴史小説を執筆している時の著者は、小説の奥行きを持たせるために話が脇道にそれることがよくありますが、本作ではストーリーに集中して書かれています。
つまり登場人物同士の会話や情景描写の密度が多く、純粋に物語を楽しめる作品ではないでしょうか。
沈黙
遠藤周作氏の代表作の1つに数えられる小説です。
遠藤氏はキリスト教を題材とした文学作品を多く発表していますが、"殉教"や"弾圧"といったテーマで書かれたものが多いようです。
舞台は鎖国政策が完成し、キリスト教が禁止された江戸時代初期。
その日本へ果敢にも潜入したポルトガル宣教師、そして厳しい弾圧を受けながらもキリスト教を信仰する"隠れキリシタン"を中心に物語が進んでゆきます。
当時は「島原の乱」が鎮圧されて間もない頃で、隠れキリシタンへの詮索がもっとも厳しかった時代です。
2人の宣教師ロドリゴとガルペは、もし幕府に露見すれば死刑をも覚悟の上で九州へ密かに上陸します。
そもそも彼らが日本へ潜入した目的は布教ですが、2人の指導者であり日本で布教活動を行っていたフェレイラ教父が「穴吊り」(逆さ釣り)の拷問に屈して棄教したという噂を聞きつけ、その真相を確かめるという理由もありました。
多くのキリスト教徒たちが幕府の手によって悲惨な拷問の末に亡くなってゆきましたが、一方で棄教した人びとがいたことも事実です。
日本へ密入国した宣教師の身の周りで起こった出来事を追ってゆきますが、本作品のストーリーはきわめてシンプルです。
一方で宣教師たちが初めて目にする日本の景色、そこで暮らす民衆たちの姿、そして何よりも迫害されるキリシタンたちの姿を目の当たりにした心の葛藤を深く掘り下げてゆきます。
厳しい弾圧にも屈せず、命の危険を顧みずに信仰を守りぬく教徒たちがロドリゴたちを慕ってきますが、そこに立ちはだかるのが幕府側のキリシタン弾圧政策の責任者・井上筑後守です。
かれは元キリシタンという経歴を持ちながら、もっとも急進的なキリスト教弾圧者として知られています。
それだけに筑後守は、キリシタンの心理を鋭く観察することができるとともに、敬遠な信者に棄教させることにも長じた人物でした。
はたしてロドリゴたちは、自分たちの師・フェレイラ教父と同じように棄教の道を歩むのか・・・?
遠藤氏の深くまで人間の心理に潜り込み、その内面の葛藤を深く切り取る描写は、物語自体の起伏の少なさをまったく忘れてしまうほど内容の濃いものです。
マンボウ 最後の大バクチ
著者の北杜夫氏は2011年に84歳で亡くなっています。
よって2009年に出版された本書は、40作品以上にもなる北氏のエッセー「マンボウシリーズ」最晩年の作品になります。
以前ブログで紹介した記念すべき第一作「どくとるマンボウ航海記」の出版が1960年であることを考えると、実に半世紀にも渡ってコンスタントにエッセーを書き続けてきたことになります。
正直に言うとエッセーはまったくの創作ではないため、80歳近くの老人が一般読者へ好奇心をそそるような話題を提供できるかどうか一抹の不安がありありました。
しかし本書を読み始めて、それがすぐに杞憂であることを知ります。
そもそも北氏のエッセーは教訓めいたものを読者へ押し付けることはせず、とことん肩の力を抜いた作風で知られます。
北氏は若い頃から躁鬱症であり、70歳を過ぎて人生最後(!?)の躁病を発症したところから話がはじまります。
そこで北氏は、家族そして古くからの友人とともに国内外問わずギャンブルの旅に出かけることになります。
韓国のカジノ、国内地方競馬、そして競艇といった具合に次々とギャンブルに手を出してゆきます。
杖なしでは歩行できない状態にも関わらず、徹夜でカジノへ入り浸る北氏の意欲は並々ならぬものを感じさせます(もっとも北氏いわく躁病のせいなのですが。)。
老年を迎えた北氏にとってギャンブルはすでに一攫千金の手段ではなかったのかもしれません。
夢中になり興奮すること自体が目的かのように、最後は有り金を失い悔しがる北氏の姿は、どこか半分満足しているかのような微笑ましい姿でもあります。
ギャンブル旅行記のあとには、北氏にしては珍しく「消え去りゆく物語」と題して、すでに亡くなってしまった親交の深かった知人たちを追憶するかのようなエッセーを載せています。
それでも内容はあくまでも楽しいエピソードやユーモアが中心で、決して湿っぽくならないのが北氏らしいところです。
50年にも渡って書き続けられたエッセーの作風が殆ど変わらないことに驚きを覚えるとともに、まったく色褪せない内容であるのは、北杜夫が世代を超えた昭和を代表する作家である証明なのです。
播磨灘物語(4)
名軍師としての黒田官兵衛の評価を決定的なものにしたのは、秀吉への1つの献策でした。
中国地方で毛利の軍勢と対峙していた羽柴秀吉の元に、織田信長が本能寺で討たれたという使者が到着します。
主君・信長を亡くし呆然とする秀吉とは対照的に、官兵衛は全く動じること無く「今こそ天下を狙う好機」だと諭します。
口で言うのは簡単ですが、高松城主である清水宗治の切腹、そして毛利との和平交渉を短期間でまとめあげ、天王山で明智光秀を討つ下地を整えます。
歴史上"中国大返し"として名高い大軍による短時間移動を成功した時点で、秀吉の勝利が約束されていたようなものでした。
しかし秀吉は天下を手中にすると同時に、天才的な戦略を生み出した官兵衛の才能へ恐れを抱くようになります。
秀吉は「人たらし」と言われるほど人心掌握に長けていましたが、もちろんこれは表向きの顔であり、裏では計算高い思惑がありました。
軍師として政権の最高機密に関わり、こうした秀吉の心理を知り尽くした官兵衛は平和な世が訪れてしまうと秀吉にとって無用な、もっと露骨にいえば邪魔な存在になることをは容易に想像できます。
賢い官兵衛はこうした秀吉の心理さえ見透かして、さっさと家督を嫡子の長政に譲って隠居生活に入ってしまいます。
いつまでも政権の中枢にしがみつくことで有能な人物が晩節を汚すような事例は数多ありますが、官兵衛の去り際は実に鮮やかでした。
関ヶ原の戦いの混乱に乗じて官兵衛は九州で挙兵しますが、天下の帰趨が定まってしまえばあっさり兵を引いてしまいます。
たとえば同じく戦国時代の名軍師であった真田昌幸・幸村親子が最後まで執念を捨てなかったのとは対照的です。
晩年は草庵を構え、近所の子どもたちと遊んだり、庶民たちとも気軽に交流したと伝えられています。
おそらく「悲運の名軍師」として彼を評価するのは間違っています。
秀吉さえも恐れた軍師としての雰囲気を微塵も感じさせずに穏やかな晩年を送った官兵衛は、もっとも幸せな人生を送った武将だったのかもしれません。
播磨灘物語(3)
天正6年(1578年)。
摂津を統治していた荒木村重が毛利家、本願寺の一向宗門徒と結び、突如、織田信長へ反旗を翻します。
この村重の裏切りは、まだ中央での支配を確立する過程にあった信長にとって大きな衝撃でした。
摂津の隣にある播磨の豪族たちも、この出来事をきかっけに一斉に毛利方へなびいたことからも影響力の大きさが分かります。
当然のように織田家に良い感情を持っていなかった黒田官兵衛の主人・小寺藤兵衛も毛利へ味方することを密かに決意します。
ここで官兵衛は人生最大の危機を迎えることになります。
荒木村重と面識のある官兵衛は、単身で村重の説得に向かうことを決意します。
一方で彼の主人・藤兵衛は村重へ密使を出し、説得へ赴いた官兵衛の殺害を依頼します。
つまり官兵衛は家臣の立場にありながら、完全に主人から見放されてしまうのです。
さすがに村重は知古である官兵衛を殺害することはせず、牢獄へ閉じ込めることにします。
さらに悪いことは重なり、村重の説得から戻らない官兵衛が荒木方へ裏切ったと見なし、信長は人質として預かっている彼の嫡子(後の長政)を殺害するように命じます。
すべての背景を正確に把握した秀吉の軍師・竹中半兵衛の機転によって嫡子は無事に匿われますが、後の官兵衛からすれば信じられないほど軽率な行動だったといえます。
当時の牢獄は吹きさらしの環境で、栄養も衛生面もまったく考慮されない狭い空間でした。
つまり監禁のための施設というより、投獄された人間を衰弱死させることを目的としたものでした。
そこで官兵衛は1年以上にわたり拘束され続けることになります。
やがて城主である荒木村重が逃亡し、伊丹城から救い出された官兵衛は、肉は削げ落ち、関節は動かなくなり、皮膚病によって頭髪が抜け落ちた壮絶な姿に変わり果てていました。
官兵衛にとっては災難としか言えない出来事でしたが、この時の体験が官兵衛を生まれ変わらせ、戦乱の時代へ大きく羽ばたくきっかけとなったのは間違いありません。
播磨灘物語(2)
播磨灘物語は今まで何度か読み直してきたお気に入りの作品ですが、今回読んではじめて気付いたことがあります。
それは数多くの歴史上の人物を描いていきた司馬遼太郎氏にとって、黒田官兵衛へ対してかなりの愛着を抱いていたということです。
"戦国時代"という名称が示す通り、日本全土が群雄割拠の様相を呈し、古い中世の常識が破壊されるとともに倫理や道徳が軽んじられた時代ともいえます。
冷静さよりも勇猛さが重要視され、忠義よりも損得勘定に走る武将が多数を占めていました。
その中にあって官兵衛は、荒れた世相に自らは染まらず、"如水"という彼自身の号が示すように泰然として構え続けたイメージがあります。
そんなところが普段は控えめな性格であった著者の好みに合ったのかもしれません。
官兵衛自身にも立身出世位を目指す野望があったことは確かだと思います。
しかし多くの戦国の英雄たちが行ったように、自らの仕える主家を倒してまで這い上がるような"アクの強さ"はありませんでした。
まして彼は、播磨の豪族である小寺家の家老の地位を世襲で手に入れる幸運にも恵まれ、さらに主人の小寺藤兵衛(政職)は決して聡明な人物とは言えず、官兵衛ほどの能力があればその地位を奪うのも容易だったに違いありません。
しかし官兵衛は主家の小寺家を裏切ることなく、早くから織田信長と接触するなどして主家の生き延びる道を見つけようとしてきました。
やがて織田家との外交の窓口となった部将・羽柴秀吉との距離が近づくに従い、天下の情勢に関心のない主家や、ほかの家臣から疎んじられるようになります。
中国地方にも織田軍の足音が聞こえるようになり、ようやく3巻から官兵衛の運命も大きく変わろうとしています。
播磨灘物語(1)
宇喜多直家・秀家の歴史小説に影響され、黒田官兵衛の歴史小説を手にとってみました。
黒田官兵衛は宇喜多父子が活躍した備前の東にある播磨で同時代に活躍し、(決して仲はよくありませんでしたが)いわば隣人ともいえる存在です。
NHKの大河ドラマは見ていませんが、今年の注目度ナンバーワンの戦国武将であるといえるでしょう。
とっくの昔に大河ドラマの主人公になっていても不思議ではない有名な武将のため、黒田官兵衛を主人公とした歴史小説は数多く存在します。
その中も今回取り上げる司馬遼太郎氏の「播磨灘物語」は是非読んでおきたい作品です。
戦国時代の魅力の1つに、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康といった個性の異なった人物が次々と時代の中心に登場したという点が挙げられます。
しかしこの3人に家臣として仕えながらも着実に出世してゆき、最後まで大名として生き残った武将は驚くほど少ないのです。
おそらく加賀の前田家、肥後の細川家、土佐の山内家、そして官兵衛が事実上の開祖となった筑前の黒田家くらいではないでしょうか。
官兵衛は前田利家や加藤清正のように武勇、つまり槍働きで出世した武将とはタイプが異なり、また石田三成や小西行長のように文官タイプの武将でもありません。
ずばり知略を駆使して頭角を現した智将タイプの武将です。
もちろん頭が良いだけでは、欲望が渦巻く戦国時代を生き抜くことはできません。
「策士策に溺れる」ではありませんが、斎藤道三や明智光秀、松永久秀など、自ら破滅を招いた智将も少なくありません。
秀吉に天下を取らせ、のちに秀吉から恐れられたと言われる戦国屈指の軍師の物語がはじまります。
蠅の帝国: 軍医たちの黙示録
帚木蓬生(ははきぎ ほうせい)氏が日中戦争、太平洋戦争時における軍医の戦争体験を小説化した作品です。
兵士や下士官、もしくは将校による戦争体験を小説家したものはよく見かけますが、軍医のみにスポットを当てた作品は珍しいのではないでしょうか。
著者は医師としても活動している作家であり、帚木氏ならでは着眼点です。
「戦争当時の医師たちがどのような形で戦争に関わったのか?」
これは現代の医師であっても知らない人が殆どではないでしょうか。
かつての著者自身もその1人であり、あとがきで実態を知った時の驚きが書かれています。
調べていくうちに、偏見が打ち砕かれていった。それまで、軍医などは医師のうちほんのひと握りがなるものとばかり考えていたのだ。
事実は異なった。委託学生は軍医に直結する道だが、先の大戦では軍医補充制度によって、ほとんどすべての医師が根こそぎ、動員されていた。
手記なども含めた幅広い文献を元に書かれており、15人の軍医をそれぞれ短編の主人公する形で構成されています。
いずれも共通するのは、登場する軍医たちの名前は伏せられ、常に「私」の視点で、あたかも自分自身の戦争体験記という形式で書かれていることです。
それだけに作品を読んでいると、つい昨日まで壮絶な戦場に身を置いていたかのような説得力と迫力があります。
今までも戦争体験記には、銃弾や疫病、飢えによって次々と兵士たちが倒れていく悲惨な光景がしばしば登場します。
もちろん兵士たちは為す術もありませんが、たとえ地獄のような光景を目の前にしても、医師たちは冷静な判断で彼らの治療に当たらなければなりません。
そして彼らの治療により一命を取り留め、再び祖国で家族と再会できた多くの兵士たちが存在します。
一方で、軍医たちの懸命の努力にもかかわらず、失われた命も多くありました。
時には手の施しようがない致命傷を負った瀕死の兵士が運び込まれたり、投与する薬がないため助かる見込みのない兵士の手を握り励ますしかない場面などに遭遇します。
死んでゆく兵士たちも哀れですが、人の命を救う立場にある医師が直面する無力感、そして悲壮感が読者の心に残ります。
戦争体験記としては今までにない新しい視点を与えてくれる作品であり、著者の丁寧な取材と真摯な執筆への取り組みが伝わってきます。
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