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播磨灘物語(4)

新装版 播磨灘物語(4) (講談社文庫)

名軍師としての黒田官兵衛の評価を決定的なものにしたのは、秀吉への1つの献策でした。

中国地方で毛利の軍勢と対峙していた羽柴秀吉の元に、織田信長が本能寺で討たれたという使者が到着します。

主君・信長を亡くし呆然とする秀吉とは対照的に、官兵衛は全く動じること無く「今こそ天下を狙う好機」だと諭します。

口で言うのは簡単ですが、高松城主である清水宗治の切腹、そして毛利との和平交渉を短期間でまとめあげ、天王山で明智光秀を討つ下地を整えます。

歴史上"中国大返し"として名高い大軍による短時間移動を成功した時点で、秀吉の勝利が約束されていたようなものでした。

しかし秀吉は天下を手中にすると同時に、天才的な戦略を生み出した官兵衛の才能へ恐れを抱くようになります。

秀吉は「人たらし」と言われるほど人心掌握に長けていましたが、もちろんこれは表向きの顔であり、裏では計算高い思惑がありました。

軍師として政権の最高機密に関わり、こうした秀吉の心理を知り尽くした官兵衛は平和な世が訪れてしまうと秀吉にとって無用な、もっと露骨にいえば邪魔な存在になることをは容易に想像できます。

賢い官兵衛はこうした秀吉の心理さえ見透かして、さっさと家督を嫡子の長政に譲って隠居生活に入ってしまいます。

いつまでも政権の中枢にしがみつくことで有能な人物が晩節を汚すような事例は数多ありますが、官兵衛の去り際は実に鮮やかでした。

関ヶ原の戦いの混乱に乗じて官兵衛は九州で挙兵しますが、天下の帰趨が定まってしまえばあっさり兵を引いてしまいます。

たとえば同じく戦国時代の名軍師であった真田昌幸・幸村親子が最後まで執念を捨てなかったのとは対照的です。

晩年は草庵を構え、近所の子どもたちと遊んだり、庶民たちとも気軽に交流したと伝えられています。

おそらく「悲運の名軍師」として彼を評価するのは間違っています。

秀吉さえも恐れた軍師としての雰囲気を微塵も感じさせずに穏やかな晩年を送った官兵衛は、もっとも幸せな人生を送った武将だったのかもしれません。