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引き続きジャンルを問わず読んだ本をマイペースで紹介してゆきます。

蠅の帝国: 軍医たちの黙示録

蠅の帝国: 軍医たちの黙示録 (新潮文庫)

帚木蓬生(ははきぎ ほうせい)氏が日中戦争、太平洋戦争時における軍医の戦争体験を小説化した作品です。

兵士や下士官、もしくは将校による戦争体験を小説家したものはよく見かけますが、軍医のみにスポットを当てた作品は珍しいのではないでしょうか。

著者は医師としても活動している作家であり、帚木氏ならでは着眼点です。

戦争当時の医師たちがどのような形で戦争に関わったのか?

これは現代の医師であっても知らない人が殆どではないでしょうか。

かつての著者自身もその1人であり、あとがきで実態を知った時の驚きが書かれています。
調べていくうちに、偏見が打ち砕かれていった。それまで、軍医などは医師のうちほんのひと握りがなるものとばかり考えていたのだ。
事実は異なった。委託学生は軍医に直結する道だが、先の大戦では軍医補充制度によって、ほとんどすべての医師が根こそぎ、動員されていた。

手記なども含めた幅広い文献を元に書かれており、15人の軍医をそれぞれ短編の主人公する形で構成されています。

いずれも共通するのは、登場する軍医たちの名前は伏せられ、常に「私」の視点で、あたかも自分自身の戦争体験記という形式で書かれていることです。

それだけに作品を読んでいると、つい昨日まで壮絶な戦場に身を置いていたかのような説得力と迫力があります。

今までも戦争体験記には、銃弾や疫病、飢えによって次々と兵士たちが倒れていく悲惨な光景がしばしば登場します。

もちろん兵士たちは為す術もありませんが、たとえ地獄のような光景を目の前にしても、医師たちは冷静な判断で彼らの治療に当たらなければなりません。

そして彼らの治療により一命を取り留め、再び祖国で家族と再会できた多くの兵士たちが存在します。

一方で、軍医たちの懸命の努力にもかかわらず、失われた命も多くありました。

時には手の施しようがない致命傷を負った瀕死の兵士が運び込まれたり、投与する薬がないため助かる見込みのない兵士の手を握り励ますしかない場面などに遭遇します。

死んでゆく兵士たちも哀れですが、人の命を救う立場にある医師が直面する無力感、そして悲壮感が読者の心に残ります。

戦争体験記としては今までにない新しい視点を与えてくれる作品であり、著者の丁寧な取材と真摯な執筆への取り組みが伝わってきます。