本と戯れる日々


レビュー本が1000冊を突破しました。
引き続きジャンルを問わず読んだ本をマイペースで紹介してゆきます。

死者の書・身毒丸



民俗学の分野を切り開いた柳田國男の弟子の中でもっとも有名なのが、本書の著者である折口信夫(おりくちしのぶ)です。

折口氏は民俗学者であると同時に、文学や詩人・歌人としても活躍しており、柳田氏とは違った角度から民俗学に取り組み、「折口学」として一派を形成するまでに至ります。

大まかにいえば、柳田氏が今に伝わる伝承などを細やかに収集し、比較検討する現場重視型の研究家であったのに対し、折口氏はその幅広い見識で仮説を打ちたてて、その裏付けを証明しようとした理論派の研究家であるといえます。

私自身は生々しい民間伝承がそのまま収録されている柳田氏の著書の方が面白く読めますが、舌鋒鋭い柳田氏の著書も捨てがたいものがあります。

本書には折口氏が発表した代表的な文学作品である「死者の書」、「身毒丸」が収められています。

つまり折口氏の文学者としての側面をクローズアップした1冊であり、近代日本文学の金字塔と評価する声もある「死者の書」を中心に取り上げていきます。

物語は奈良時代の平城京が舞台になっています。

あらすじそのものはシンプルに構成されており、主人公である藤原南家の郎女(いらつめ)が、二上山に葬られた大津皇子の霊魂に誘われ館を抜け出し、女人禁制の当麻寺に入り込み、そこで鎮魂のための蓮糸で織った曼荼羅を完成させるといったものです。

本作品は綿密に構成されたストーリーからなる"小説らしい小説"というタイプではなく、作品全体から漂う古代日本の雰囲気を感じながら読む作品であるといえます。

まず作品中で使われている仮名遣いが古く、また漢字のヨミも古風であることです。
読者によっては明らかに読みづらいため、ストーリーや情景が頭に入ってこないという人も出てくるような好き嫌いが分かれる部分だといえます。

しかしこれは、作品の雰囲気を演出する上で欠かせない要素になっています。

たとえば郎女に何者かが憑依したかのように家を彷徨い出た場面の一部は以下のように描写されています。

姫は、何処をどう歩いたか、覚えがない。唯家を出て、西へゝと辿って来た。降り募るあらしが、姫の衣を濡らした。姫は、誰にも教はらずに、裾を脛(ハギ)まであげた。風は、姫の髪を吹き乱した。姫は、いつとなく、髻(モトゞリ)をとり束ねて、襟から着物の中に、含(クゝ)み入れた。夜中になって、風雨が止み、星空が出た。

短く簡潔な文章でありながら、古代の風情を保ちつつ、その情景が浮かんでくるような表現にまとまっています。


次に物語の中に時間軸を取り入れ、その奥行きを演出している点が挙げられます。

あらすじがシンプルであることは先ほど述べましたが、約100年前の飛鳥時代、時には神話の時代を行き来することで、時間的な奥行きを持たせています。

古代日本の人々は時間的な概念がゆるく、語部(かたりべ)が語る伝説が人々にとって、現代に生きる我々よりも身近に実感できる時代だったことが作品の中から漂ってきます。

つまりストーリーそのものよりも洗練された表現、そして神秘的な古代日本の雰囲気や情景を楽しめる作品であり、折口氏の国学者、民俗学者としてのバックボーンを存分に発揮されています。

ストーリー重視の現代小説に食傷気味でいつもと違う小説を読んでみたい方は、本書を手にとってみては如何でしょうか。

「尖閣問題」とは何か



国際政治論、外交史の専門家である豊下楢彦氏が「尖閣問題」を解説しつつ、その裏にある真実を浮き彫りにし、打開する道筋を探ってゆく1冊です。

外務省がインターネットなどを通じて啓蒙活動を続けていますが、尖閣諸島は"日本固有の領土"であり、その領有権についても正統なものである。つまり尖閣諸島には"領土問題は存在しない"というのが日本政府の公式な見解です。

なぜ"日本固有の領土"であるかについては、メディアでも多く取り上げられており、日本政府も特設ページで詳しく解説しているため、ここでは置いておくとして、"領土問題は存在しない"については、多くの日本人が疑問を抱いているのではないでしょうか。

なぜなら隣国である中国も1992年以降、尖閣諸島を"中国固有の領土"であると主張しており、それは宣言のみに留まらず、近年はその強大な軍事力を背景に尖閣諸島周辺の日本の領海に海洋巡視船や漁船が頻繁に侵入するといった実力行使に出ています。

とくに2013年には中国海軍の巡視船が、射撃用レーダーを自衛隊の艦船へ照射するという一触即発の事態まで起こりました。

今年に入って米軍事外交誌が尖閣諸島を巡る日中軍事衝突の可能性を示唆するなど、日本国民として不安を持たない方が不思議な状態です。

また忘れてはならないのが、台湾も日本に植民地化される以前から尖閣諸島周辺で漁を営んでおり、同じく領有権を主張していることです。

こうした外交的・軍事的緊張だけが高まり、解決の糸口が見えない要因が「米国ファクター」、つまり日本の同盟国であるアメリカにあると著者は指摘しています。

まず本書で紹介されている尖閣諸島の概要を簡単に紹介すると以下の通りになります。

尖閣諸島は、魚釣島、久場島、大正島、北小島、南小島という大小五つの島と三つの岩礁からなる、総面積で約六平方キロメートルの島々である。
最も大きい魚釣島を起点にすると、沖縄本島まで約四二〇キロメートル、石垣島まで約一七〇キロメートル、台湾まで約一七〇キロメートル、中国大陸まで三三〇キロメートルに一位置する。

そのうち久場島大正島は「射爆撃場」として米海軍に貸し出されています。
つまりこの両島は、米軍の許可なしには日本人が立ち入るこのできない米軍の排他的な管理区域になっているのです。

にも関わらず米国は、ニクソン政権時の1971年から一貫して尖閣諸島の領有権についていずれの国も支持しない「中立の立場」を取り続けているのです。

日本にとって最大の同盟国である米国のこの態度は、中国・台湾への「政治的配慮」が重要だとしても、日本を侮辱するものだと著者は断言しています。

しかも日本政府は、唯一無二の同盟国であるはずの米国の無責任な態度を責めるどころか、この2島の返還を求めることさえしていないのです。

さらに驚くべきことに、30年以上に渡ってこの島が訓練に使用された実績がなく、その必要性さえ疑われる状態にも関わらずです。

著者はこうした異様な状態を政界もメディアも正面から取り上げないことの危機感を訴えると同時に、米国のオフショア・バランシング戦略に基づいたジャパンハンドラーであるとことを指摘しています。

オフショア・バランシング戦略については、防衛省のホームページでも解説されていますが、簡単に説明すると米国は(ユーラシア)大陸における闘争に直接関与することは極力回避し、これを同じ地域の他の大国によって抑止させることで米国の負担を軽減し、関係諸国で負担を均等化するといったものです。

聞こえはよいですが、実際には米国にとって遠い海の向こうに現れた強大な中国という勢力に対し、同じく海の向こうにある日本という別の勢力を擁して支援を与え、日中間で緊張を高めることで、米国自身は安全を確保するといった戦略にあると著者は指摘しています。

これは著者に指摘されるまでもなく。過去のフセイン(イラン)ビンラディン(アルカイダ)と米国の関係を連想させるものがあります。

ジャパンハンドラーについては言うまでもなく、米国が主導権をもって日本政府を操っていることを指します。

本書では北方領土竹島にも尖閣諸島と共通する問題が潜んでいると指摘し、そこから日本のとるべき新しい戦略的、外交的方針を示唆するまでに及びます。

冷静に考えれば日本は、中国(尖閣諸島)、韓国(竹島)、ロシア(北方領土)と隣接する3国と領土に関する問題を抱えており、そのすべてにおいて好転の兆しが見えないという尋常でない状況です。

にも関わらず、日本は遠く離れた米国との間に安保関連法案の成立などによって同盟関係をますます強化しようとしています。

本書の冒頭に書かれていますが、領土問題となると人の住めないようような岩礁であっても、両国の世論はいとも簡単に沸騰します。
この「領土ナショナリズム」は、国内矛盾を外部に転換しようとする「扇動型政治家」にとって格好のターゲットになる危険性があり、中国だけでなく、日本国内にもこうした風潮が明確に現れ始めています。

著者である豊下氏の考えに賛同する、しないは別としても、メディアや国民が見失いがちな角度から「尖閣問題」に迫った本書を少しでも多くの人に読んで考えて欲しいと思います。

僕がアップルで学んだこと



ウォルター・アイザックソン氏のスティーブ・ジョブズの伝記を読んで間もないということもあり、ついタイトルに惹かれて手にとった1冊です。

本書の出版が2012年4月であることを考えると、スティーブ死去の話題に乗じて出版された本の1冊だと思われますが、昨今の出版不況を考えると頭から否定する気にはなれなく、むしろ出版社のしたたかさを感じます。

著者である松井博氏の経歴には、1992年にアップルへ入社し、米国アップル本社のシニアマネージャーとして2009年まで勤務したとあります。

つまりアップルの業績がどん底にある時期から同社を追放されたスティーブが不死鳥のごとくCEOに復帰し、次々と新製品を発表して時価総額世界一の企業にまで成長してゆく過程を体験した貴重な人物です。

本書の構成は次のようになっています。

  • 第1章 腐ったリンゴはどのように復活したのか
  • 第2章 アップルの成功を支える方程式
  • 第3章 最良の職場を創る
  • 第4章 社内政治と賢く付き合う
  • 第5章 上司を味方につける
  • 第6章 己を磨く

大きな流れとしては、前半で著者がアップルで経験したこと、後半ではその経験を踏まえてビジネスマンへ向けた啓蒙的な内容になっています。

ここでは特に印象に残った部分のみをピックアップしてみようと思います。

まずアップルは、その製品自体の「美しさ」を世界的に評価されています。
それも"複雑な造形美"ではなく、"シンプルで直感的な美"といったポリシーを貫き続けています。

とくに"シンプル"に徹する志向は、世界的なグローバル企業に成長した今も組織作りにも適用されています。

守るべき社内ルールは最低限に抑えられ、組織階層は出来る限りフラットであるため、規模の大きな組織にしては驚くほど機敏に動くことが出来ます。

その機敏性を利用してやるべきことにフォーカスを絞り、その集中力によって世界が驚くような製品が次々と生まれてくるのです。
また特定の事業に集中するためには、「やること」を決めるのと同じくらいの重要度で「やらないこと」を決める必要があるという主張には説得力があります。

そのため自然と社員に与えられる裁量と責任は大きくなり、社員同士の競争を促進し、それが賞与にもダイレクトに反映される文化であるというのは併せて知っておく必要があります。

とくにアップルがライバルとしていた追い続けていたソニーをあっという間に抜き去った最大の要因はここにあると思います。


もう1つ「社内政治と賢く付き合う」と断言する著者の主張は珍しいといえるでしょう。

どちらかといえば、率直な意見を言い合えるオープンな職場を作り、社内政治を生み出さない企業風土を作るのが重要だと説くビジネス書が多いのではないでしょうか。

しかし競争の激しいアップル社内において社内政治は必要悪であり、そこから逃げてしまうと、自分ばかりか部下たちの成果さえも横取りされかねないといいます。

自分の部署の上手なアピールの仕方はもちろん、仁義の切り方など普通のビジネス書には書かれないような内容が紹介されています。

良くも悪くも多くの特徴を持った個性的な企業であり、「世界最強」のアップルの内部にこうした文化があるというのは知っておいて損はありません。

海賊とよばれた男(下)



出光興産の創業者・出光佐三をモデルとした、国岡鐵造国岡商店の成長を描いた長編小説「海賊とよばれた男」の下巻をレビューしてゆきます。

戦前に海外進出を果たし大きく成長を遂げた国岡商店は、その海外進出が仇となって敗戦によってすべてを失うことになります。

企業としては大きな負債を抱え、創業者である鐵造自身も終戦時には60歳を迎えていました。

戦後はあらゆる物資が不足し石油も例外ではなく、販売できる商品すら仕入れることが出来ない状況の中では会社を清算するのが普通ですが、作品の冒頭で「ひとりの馘首もならん」と鐵造が厳命した通り、赤字に苦しみつつも1人の従業員さえも解雇することはありませんでした。

ここで上巻~下巻と読み進めてゆくと、本作品がまるでマンガのストーリーのようであることに気付きます。

それは主人公である国岡鐵造をはじめとした国岡商店の従業員たちは、多くの困難を乗り越えて成長してゆきますが、その度に強大な敵が次々と登場するからです。

その中で最大の敵となるのがセブン・シスターズと呼ばれる7社の国際石油資本です。

世界の石油生産を独占していたセブン・シスターズは、GHQ、日本政府、アメリカ政府やイギリス政府へ対しても強い影響力を持っていました。

日本人による民族資本企業であることに誇りを持っていた国岡商店は、彼ら外国資本を受け入れず日本国内の石油シェアを広げていったため、さまざまな妨害を受けることになるのです。

いくら国岡商店が大企業とはいえ、彼ら全員を敵に回すとなると原油を入手できる術がありません。

そこで鐵造は、国内最大の石油タンカーを建造し、当時正式な国交のなかったイラン国営石油会社から単独で原油を輸入することを決断するのです。

この部分はストーリー全体を通じてのクライマックスとなるため詳しくは説明しませんが、絶体絶命に陥った主人公が起死回生の必殺技を放つのに似ています。

しかしこれは行く手を遮る敵を倒すといった単純な動機からではありません。

国際石油資本が結託し、産業にとって血液ともいえる石油を通じて世界中を支配下に置こうとする野望を挫くという決意が根底に流れているのです。

作品中にある鐵造の「俯仰天地に愧じず」というセリフ、つまり現代風にいえば「正義は勝つ」という信念を持って事に臨み続ける姿が、自社の利益だけを追求し、都合の悪い真実を隠し続けようとする現代の大企業に対するアンチテーゼとなり、多くの読者に受け入れられた作品となったように思えます。

海賊とよばれた男(上)



今や国民的人気作家となった百田尚樹氏の作品です。

200万部以上を売り上げ、2013年の本屋大賞(書店員による投票で決められる文学賞)を受賞した同氏の代表作品といえる1冊です。

明治18年生まれの主人公・国岡鐵造が創業した国岡商店が、戦争や外国資本の大企業(石油メジャー)の妨害といった荒波を乗り越えて大企業に成長してゆく過程を描いた長編小説です。

国岡鐵造は架空の人物ですが、出光興産を創業した出光佐三をモデルにしていることは広く知られており、城山三郎氏に代表される経済小説のように、企業とその創業者の歴史を追ってゆく手法がとられています。

出光」といえばガソリンスタンドが真っ先に思い浮かびますが、出光興産はガソリン販売だけの企業ではなく、石油精製から化学製品の製造、資源開発までその事業は広範囲に及び、2014年時点で4.5兆円にも及ぶ売上を誇る日本有数の巨大企業です。

この出光興産を一代で築き上げた出光佐三は、まさしく立志伝中の人物であるといえます。

本作品の構成は以下のようになっています。

  • 第一章 朱夏 昭和20年~昭和22年
  • 第二章 青春 明治18年~昭和20年
  • 第三章 白秋 昭和22年~昭和28年
  • 第四章 玄冬 昭和28年~昭和49年
  • 終章

上巻では一章・二章が収められていますが年代を見てもらえれば分かる通り、物語は終戦直後の日本から始まります。

国岡商店は戦前から海外進出していたこともあり、敗戦によって壊滅的な打撃を受けました。

にもかかわらず鐵造は、重役たちの人員整理の意見を退けて「ひとりの馘首もならん」と厳命します。

そこには「店員は家族と同然である」という信念があり、就業規則も出勤簿もないという独自の社風がありました。

万が一の時には「ぼくは店員たちとともに乞食をする」とさえ言い放つ鐵造には、明治生まれの頑固なまでに信義を重んじる精神を持っていました。

そもそも国岡商店は、その成り立ちからして異様でした。

神戸高商(現・神戸大学)を卒業した鐵造は、同級生が銀行や商社へ就職する中で従業員がわずか3人の酒井商会に入社します。

そこで商売のイロハを学んだ鐵造は、日田重太郎という資産家から6000円もの大金を借りて独立します。

日田は資産家ではありましたが、「国岡はいずれ立派なことを為す男だ」と見込んで、私財を投げうち利子も返済の必要もないと前置きして鐵造へ大金を渡すのです。

当時は国内で車が普及しておらず、鉄道や船さえも石炭を燃料としていた時代であり、その中で鐵造はいち早く"石油"の持つ可能性に着目します。

しかし時代の流れを先読みし過ぎたため需要が供給に追いつかず、また古くからの縄張り意識の中で国岡商店は苦戦を続けます。

そこで鐵造は土地で販売することをやめ、伝馬船に軽油を積んで海上で販売する手法を思いつきます。

門司や下関の漁船相手に関門海峡で急速に勢力を伸ばす国岡商店の伝馬船は、「海賊」としてライバル商店に怖れられ、その由来が本書のタイトルになっています。

やがて国内での成長に限界を感じた鐵造は、海外へ活路を開くべく満州上海、そして東南アジアにまで進出してゆくのです。

江戸時代生まれの岩崎弥太郎渋沢栄一といった実業家が国内産業を興した人物ならば、国岡鐵造(出光佐三)は国内企業が海外進出するきっかけを作った実業家の1人といえます。

埼玉化する日本



2014年の新語・流行語大賞に、“マイルドヤンキー”という言葉がノミネートされました。

これは地方に住む若者の消費文化を表した造語であり、上京志向を持たず、生まれ育った土地で学生時代からの親友と家族を大事にして暮らす新保守層を指しているようです。

実際にマイルドヤンキー論をテーマにした書籍もそれなりに出版されており、特にマーケティング業界の界隈において"マイルドヤンキー"が定着しつつあるようです。

関連書籍を読んでいるわけではありませんが、何となく言わんとしていることは分かりますし、本書はこうした文脈の延長線上に執筆された本です。

ただし著者は「マイルドヤンキー論」に理解を示しつつも、一定の距離を置き、大型ショッピングモールが点在する埼玉県をモデルケースとした新しい消費の行方を模索しています。

著者の中沢明子氏は東京生まれ東京育ちであり、自らを"消費バカ"と認めるように、最先端のファッションとグルメにアンテナを張り続けてきました。

しかし埼玉で出会ったショッピングモールの便利さ楽しさに衝撃を受け、埼玉県へ移住までした著者はこれからの消費を表す指標として、感度の高い・低いをキーワードにした消費に着目するようになります。

分かり易く表現すれば"ユニクロ"のような地方でも購入できる大量生産される商品は感度が低く、高品質・高価格で銀座や青山でなければ入手できないような小ロットの最先端で高価な商品を感度が高いと分類することができます。

本書では、日常生活の消費活動を賄うことが出来るショッピングモールが近くにあり、月に数回は少しだけ遠出して東京で最新の消費活動を楽しめる"埼玉"という地域をポジティブな意味で使用しています。

つまり都会から"ダサイタマ"と軽蔑されていた地域に特徴ある巨大ショッピングモールが次々とオープンし、東京とほど近い距離感もあって、今や消費者にとって理想的な場所になりつつあるということです。

著者独自の視点で東京近郊ショッピングモールの特徴、そして採点を行い、さらにエキナカといったJR駅と直結した商業施設の新しい可能性、地域に根付いたチェーン店の解説、埼玉県川越市を例にした町おこしの事例という感じで話題がどんどん広がってゆきます。

そして本書の後半で、それらの試みをシャッター商店街が増え続ける地方都市再生のヒントとして示してゆくのです。

著者の中沢氏は、マーケティングの専門家ではなく、まして経営者でもありません。
ファッション、グルメに興味を持つ1人の消費者という視点から本書を執筆しているだけあって、難しいマーケティング用語は殆ど登場せず、かわりにショップやブランドの実名が次々と登場します。

最新ファンションやグルメに疎い私には馴染みのない名称が登場することもありますが、具体的かつ分かり易く解説しようとする著者の姿勢には共感できます。

マーケティングや実際に商売をされている人に限らず、ごく普通の消費者にとっても新しい視点でこれからの商店街やショッピングモールの将来を考えさせてくれる1冊になっています。

スティーブ・ジョブズ 2



引き続きウォルター・アイザックソン氏によるアップル創業者スティーブ・ジョブズ伝記の下巻のレビューです。

自らの言動が災いして自らが創業したアップルを追い出されたスティーブ・ジョブズでしたが、すぐにネクストというコンピュータ会社を設立し、ジョージ・ルーカスからピクサーというアニメーション会社を買収します。

いずれの会社も順風満帆とはいえない状態でしたが、ジョブズのいなくなったアップル社もまた低迷期に入ります。

やがてピクサーにはジョン・ラセターという天才的なアニメータ作家の活躍もあり、「トイ・ストーリー」をヒットさせたことにより、株式公開を行い安定した成長を期待できる状態になりました。

そしてジョブズがアップルにアドバイザーとして復帰するやいなや当時のCEOであったギル・アメリオを追い出し、アップルの最高責任者へ返り咲きます。

もちろんジョブズにかぎって過去の苦い経験によって性格が丸くなることなど決してなく、最前線で陣頭指揮を取りながら新製品の開発に携わります。

その結果は火を見るより明らかで、ジョブズの要求や罵倒に耐えられなくなった部下たちは次々と辞めてゆき(あるいはクビにされ)ます。

ジョブズにとって完璧な製品を作り上げることのみが最優先事項であり、彼の「現実歪曲フィールド」によって困難と思われていた製品が完成するのです。

彼は完璧な作品を求めるアーティストのような激しい気性を持ち、目的のためなら業界の常識やルールなど簡単に無視し、他人の立場になって気持を理解するつもりなどまったくありませんでした。

社員の雇用を守り、その幸福を実現するつもりなどなく、アップリには一流の能力を持った人間のみが残るべきであり、B級の能力を持った人間を組織から排除することが、よい製品を作るためには必要だという考えを明確に持っていました。

私個人はアップル製品のファンではなく、同社のとるクローズド戦略よりもグーグルやマイクロソフト社のオープン戦略の方が好みですが、それでも本書を読み進めるにしたがい経営者として欠点だらけのジョブズの魅力に引きこまれてゆきます。

ジョブズが陣頭指揮を取る新製品開発の現場は戦場さながらの緊張感と厳しさがありましたが、彼は自らに対しても妥協を許さない姿勢で臨み、社長室にふんぞり返って指示をする経営者ではありませんでした。

アップルのような世界的な大企業において、新製品開発の細かい部分にまで関わる最高責任者は前例がありません。

誰よりも熱い情熱とビジョンを持ち、部下たちはその力に牽引されるかのように達成困難と思えるような、自分自身が驚くほどの成果を生み出すのです。

ジョブズのこの姿勢は、死に至る病魔(がん)に侵されたあとも変わることはありませんでした。

30年に渡って失わなかった常に前に進み続ける情熱、類まれな直感想像力を持っていたジョブズの功績を本書では次のようにまとめています。

  • アップルⅡ - ウォズニアックの回路基板をベースに、マニア以外にも買えるはじめてのパーソナルコンピュータとした。
  • マッキントッシュ - ホームコンピュータ革命を生み出し、グラフィカルユーザインターフェースを普及させた。
  • 『トイ・ストーリー』をはじめとするピクサーの人気映画 - デジタル創作物という魔法を世界に広めた。
  • アップルストア - ブランディングにおける店舗の役割を一新した。
  • iPod - 音楽の消費方法を変えた。
  • iTunesストア - 音楽業界を生まれ変わらせた。
  • iPhone - 携帯電話を音楽や写真、動画、電子メール、ウェブが楽しめる機器に変えた。
  • アップストア - 新しいコンテンツ製作産業を生み出した。
  • iPad - タブレットコンピューティングを普及させ、デジタル版の新聞、雑誌、書籍、ビデオのプラットフォームを提供した。
  • iCloud - コンピュータをコンテンツ管理の中心的存在から外し、あらゆる機器をシームレスに同期可能とした。
  • アップル - クリエイティブな形で想像力がはぐくまれ、応用され、実現される場所であり、世界一の価値を持つ会社となった。ジョブズ自身も最高・最大の作品と考えている。

PCやスマートフォン、デジタルコンテンツに至るまで、ジョブズの存在がなかったら今のインターネットは違ったもの、つまり今ほど便利でない別のものであった可能性は高いと言わざるを得ません。

氾濫している過去の経営者の金科玉条を寄せ集めたようなビジネス書よりも、ジョブズの生涯を赤裸々に描いた本書から得られるものの方が大きいように思えます。

ジョブズほどの功績を残した人間でさえ完全な人間ではなく、むしろ多くの欠点を持った人間だったのです。


本書を生み出した著者であるアイザックソン氏の丁寧な取材、そして作家としての真摯な姿勢を感じることができ、他の作品も読んでみようという気にさせてくれます。

スティーブ・ジョブズ 1



言わずと知れたアップルの創業者であり、2011年に亡くなったスティーブ・ジョブズの伝記です。

著者のウォルター・アイザックソンはアメリカの伝記作家として有名であり、本書はジョブズ自身が伝記の執筆を依頼したという経緯がありますが、依頼されたアイザックソンは、ジョブズが内容へ対して一切干渉しないことを条件に承諾したと言われています。

そしてアイザックソンはジョブズへの独占取材を重ね、また関係者からの多くのインタビューによって本書を完成させました。

もっともジョブズは本書の原稿を読むことのないまま亡くなってしまったという説が有力です。


アップルは時価総額世界一を誇る企業であり、同社の製品であるiPhoneの存在を知らない人は殆どいないはずです。

ほかにもMacシリーズやiPodiPadなど数々の世界的ヒット製品を世の中へ送り出し、そのスタイリッシュなデザインから多くの熱心なファンがいることでも知られています。

このアップルに加え、同じく時価総額2位のグーグル、3位のマイクロソフトによってインターネットのプラットフォームが支配されているといっても過言ではありません。

私がアップルの名前を知ったのは1990年台後半ですが、当時はWindowsがOS(オペレーションシステム)として圧倒的な強さを持っており、アップルは過去に一世を風靡したものの凋落しつつある企業といった印象でした。

したがってマイクロソフトの創業者であるビル・ゲイツの方が有名でしたが、2000年代へ入りiPod、iPhoneといった製品が日本でも大ヒットするに至ってスティーブ・ジョブズの名前は誰もが知るようになります。

日本では松下幸之助盛田昭夫、アメリカでいえばヘンリー・フォードトーマス・エジソンといった伝説の経営者に比肩する実績を残したジョブズだけに起業家、経営者として完璧な能力を兼ね備えた人間というイメージを抱きがちです。

しかし本書に書かれているジョブズは等身大の、私たちと同じく多くの欠点を持った人間であることが分かってきます。

学生時代は勤勉とは言い難い学生でしたが(実際に大学を中退している)、そればかりかマリファナやLSDといった麻薬を使用し、インドへ放浪して禅に傾倒するなど彼には多くの側面があります。

そんなジョブズを表現する代表的な言葉が「現実歪曲フィールド」です。

取材を受けたジョブズを知る人々はそれを次のように説明します。

「カリスマ的な物言い、不屈の意志、目的のためならどのような事実でも捻じ曲げる熱意が複雑に絡み合ったもの - それが現実歪曲フィールドです。」

「自己実現型の歪曲で、不可能だと認識しないから、不可能を可能にしてしまうのです」

日本で用いられる「信ずれば通ず」に近く、どちらかといえば肯定的な意味で使われますが、ジョブズのフィールドに囚われた人々にとってはそう簡単に片付けられるものではありません。

目的を達成するためなら相手が誰であれ罵倒し、脅し、それでもダメなら裏切ったりクビにすることも躊躇しないのがジョブズだからです。

彼とともに働く人々は、達成が不可能と思われるノルマを不眠不休でこなした挙句、「クソ野郎」と評価されることさえ日常茶飯事だったのです。

つまり理想を求める彼の評価は、つねに「最高」か「最低最悪」の両極端しかなく、世間的なルールに自分は従う必要がないという信念さえ抱いていたのです。

優れた経営哲学、人心掌握術を持った経営者というよりも、混乱と混沌、そこから生まれる理想と情熱に燃える人間がジョブズでした。

そんな言動が災いしたジョブズは、自らが創業したアップルを追放されるという屈辱を経験しますが、ここで終わらないのがジョブズたる所以です。

上下巻で800ページ以上にも及ぶ長編は、まさしく"怒涛"という表現がピッタリ合うようなジョブズの人生が綴られており、下巻では不死鳥のごとくアップルに復帰したジョブズが、世界を一変するような製品を次々と世に送り出すことになるのです。