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死者の書・身毒丸

死者の書・身毒丸 (中公文庫)

民俗学の分野を切り開いた柳田國男の弟子の中でもっとも有名なのが、本書の著者である折口信夫(おりくちしのぶ)です。

折口氏は民俗学者であると同時に、文学や詩人・歌人としても活躍しており、柳田氏とは違った角度から民俗学に取り組み、「折口学」として一派を形成するまでに至ります。

大まかにいえば、柳田氏が今に伝わる伝承などを細やかに収集し、比較検討する現場重視型の研究家であったのに対し、折口氏はその幅広い見識で仮説を打ちたてて、その裏付けを証明しようとした理論派の研究家であるといえます。

私自身は生々しい民間伝承がそのまま収録されている柳田氏の著書の方が面白く読めますが、舌鋒鋭い柳田氏の著書も捨てがたいものがあります。

本書には折口氏が発表した代表的な文学作品である「死者の書」、「身毒丸」が収められています。

つまり折口氏の文学者としての側面をクローズアップした1冊であり、近代日本文学の金字塔と評価する声もある「死者の書」を中心に取り上げていきます。

物語は奈良時代の平城京が舞台になっています。

あらすじそのものはシンプルに構成されており、主人公である藤原南家の郎女(いらつめ)が、二上山に葬られた大津皇子の霊魂に誘われ館を抜け出し、女人禁制の当麻寺に入り込み、そこで鎮魂のための蓮糸で織った曼荼羅を完成させるといったものです。

本作品は綿密に構成されたストーリーからなる"小説らしい小説"というタイプではなく、作品全体から漂う古代日本の雰囲気を感じながら読む作品であるといえます。

まず作品中で使われている仮名遣いが古く、また漢字のヨミも古風であることです。
読者によっては明らかに読みづらいため、ストーリーや情景が頭に入ってこないという人も出てくるような好き嫌いが分かれる部分だといえます。

しかしこれは、作品の雰囲気を演出する上で欠かせない要素になっています。

たとえば郎女に何者かが憑依したかのように家を彷徨い出た場面の一部は以下のように描写されています。

姫は、何処をどう歩いたか、覚えがない。唯家を出て、西へゝと辿って来た。降り募るあらしが、姫の衣を濡らした。姫は、誰にも教はらずに、裾を脛(ハギ)まであげた。風は、姫の髪を吹き乱した。姫は、いつとなく、髻(モトゞリ)をとり束ねて、襟から着物の中に、含(クゝ)み入れた。夜中になって、風雨が止み、星空が出た。

短く簡潔な文章でありながら、古代の風情を保ちつつ、その情景が浮かんでくるような表現にまとまっています。


次に物語の中に時間軸を取り入れ、その奥行きを演出している点が挙げられます。

あらすじがシンプルであることは先ほど述べましたが、約100年前の飛鳥時代、時には神話の時代を行き来することで、時間的な奥行きを持たせています。

古代日本の人々は時間的な概念がゆるく、語部(かたりべ)が語る伝説が人々にとって、現代に生きる我々よりも身近に実感できる時代だったことが作品の中から漂ってきます。

つまりストーリーそのものよりも洗練された表現、そして神秘的な古代日本の雰囲気や情景を楽しめる作品であり、折口氏の国学者、民俗学者としてのバックボーンを存分に発揮されています。

ストーリー重視の現代小説に食傷気味でいつもと違う小説を読んでみたい方は、本書を手にとってみては如何でしょうか。