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法然と親鸞


法然親鸞の名前を並べると、真っ先に思い浮かぶのは師弟関係です。
本書の内容もまさにその通りで、宗教学者である山折哲雄氏が2人の師弟関係について考察した本になります。

法然の浄土宗、親鸞の浄土真宗が誕生した背景には、当時の末法思想が深く関係しています。

末法思想を簡単に説明すると、釈迦の入滅後に正法、像法、末法という3つの段階を経て、しだいに仏教が衰退の道をたどるという歴史観です。

日本では平安時代末期から鎌倉時代前半がそれにあたり、源平合戦の戦乱と重なったこともあり、当時の人びとの精神に末法が深く根ざしていました。

つまり「この世の終わり」、「世も末」という雰囲気であり、多くの人びとが現世に絶望または悲観していたといえば分かりやすいでしょうか。

よって2人の教えは、死生観でいえば""よりも""に重点を置いたものであり、信者たちにとっては現世のご利益よりも極楽浄土への往生が重要であったといえるでしょう。

後の戦国時代に織田信長をもっとも苦しめたのは武田や毛利、浅井・朝倉連合でもなく、浄土真宗の門徒であった一向一揆の武力蜂起でした。

彼らが手強かったのは、「死んだら極楽浄土へ行ける」と考える死を恐れない戦闘集団だったからであり、門徒の大部分が農民で構成されながらも各地の大名がその鎮圧に手を焼くことになります。

少し話がそれましたが、本書は2人の唱えた細かい教義の違いを論じたものではなく、あくまでも師弟関係にテーマを絞った内容になっています。

法然は200人以上の弟子を持っていたと言われますが、意外にも弟子の中で親鸞が特別な位置を占めていたわけではなく、むしろ多くの弟子の1人であったに過ぎませんでした。

一説には、親鸞は法然の87番目の弟子であったとされ、会社でいえば弟子全体の数から考えて係長、もしくはせいぜい課長といったところでしょうか。

法然上人の高弟であったとはいえない親鸞でしたが、こうした表面的な見方が結論であったら本書の意義が無くなってしまいます。

重要なのは弟子として何を考え成したかであり、こうした点について著者は自らの師弟関係を振り返りながら、内面的な視点で2人の関係を語っています。

詳しい内容は本書に譲りますが、私のように念仏を唱えた経験すらない人にとっても、日本の宗教史において大きな役割を果たした2人の関係を点ではなく線として捉える考えは無駄ではないように思えます。