病と妖怪
弘化三年(1846年)、肥後国の海中より現れた妖怪は次のような言葉を残して再び海に姿を消したといいます。
私は海中に住む"アマビエ"という者です。
当年より六ヶ年の間、諸国豊作となるでしょう。
しかし、同時に病も流行します。
早々に私の姿を描き写して人々に見せない。
この絵は当時配られた瓦版に描かれたアマビエの姿ですが、愛嬌のあるイラストということもあり、コロナ流行に伴いあっという間に有名になり、厚労省のポスターにも採用されるようになりました。
本書はアマビエに代表されるように、疫病と妖怪との関係を考察した本です。
実際にこの当時の日本では、コレラ(赤痢という説もある)が流行り、多くの人びとが亡くなりました。
しかしアマビエ同様に、未来の疫病を予言して自らの姿を描き写して人びとに見せることで厄災から逃れることができると言った妖怪は日本各地で伝わっており、姫魚(般若の顔をした人面魚)、アマビコ(三本足の猿)などが有名だそうです。
ただし彼らの姿を写した絵図は、祈祷絵を売る商売人たちにとって貴重な収入源であり、自分の姿を描き写すという忠告の部分は商業的な意図で創作された可能性もあります。
アマビエのような存在は、広い意味では予言をする妖怪と定義することもでき、件(くだん)と呼ばれる老人の顔をした牛も紹介されています。
しかも件については、アマビエよりも数段有名だったようであり、明治以降もさまざまな場所に現れては予言を残しており、昭和に入ってからも太平洋戦争の敗戦を予言した件も現れたという記録があるようです。
またこの件は非常に短命であり、予言を残して3日程度で絶命してしまうそうです。
さらにそこから平安時代や鎌倉時代に遡り、同様の妖怪を紹介してゆき、昔から日本には予言を行う怪鳥など不思議な生き物が記録として残っていることが分かります。
さらに予言と厄災よけの妖怪から一歩踏み込んで、幸福を呼び込む幻獣が紹介されています。
ここでは麒麟(キリン)、龍、鳳凰といった現代人にも馴染みのある幻獣が紹介されおり、その多くが中国から輸入されて日本独自に解釈されてきた歴史的な流れが分かってきます。
電子顕微鏡によってウィルスの存在を目で認識できるようなってから100年も経過していませんが、それ以前の疫病は原因のよく分からない厄災であり、本書に登場する妖怪たちが活躍した時代でもあったのです。
一方で科学医療が発達した現代においても、世界中で疫病(ウィルス)の蔓延を防ぐことは出来ておらず、その存在が分かっているだけで、人知を超えた恐ろしい存在であることは今も変わらないのかも知れません。
妖怪を通じて昔の人びとが疫病や災害とどうやって向き合って来たのか、どういう民間信仰を持っていたのかを知ることは決して無駄なことではなく、例えば精神的にコロナ禍を乗り越えてゆくためのヒントが隠されているような気がするのです。
マスクをするサル
過激なタイトルというのが第一印象です。
つまり最初は「コロナ禍においてマスクをしている間抜けをサル呼ばわりする」挑発的な評論家なのかと思いました。
しかし本書を読み始めると、すぐに著者の正高信男氏は霊長類学者、つまりサルの研究者であるため、侮蔑的な意味で"サル"という言葉を使う立場の人ではないことが分かります。
そして著者は医学の専門家ではないため、コロナウィルスそのものには言及していません。
あくまでもタイトルにある"マスク"を中心として、コロナ禍が人類へもたらす影響をユニークな視点から考察しています。
霊長類学に留まらず、人類学、社会学や心理学、文学など多様な視点からポスト・コロナを論じていますが、それをわかり易く要約すると次のようになります。
マスクを着けることに不自然さを感じなくなった時、それは下半身にはいた下着と同じものになるかもしれない。
その時、マスクなしに人目に晒されることに、今度は恥じらいを感じ始めるのではないかと推測される。
人類史全体から見れば下着を付け始めたのはごく最近の出来事ということになります。
そして時代とともに自らの身体の一部を人目から隠すための衣類・装飾品が増えているのは事実であり、著者が論じるように、そこにマスクが加わる可能性はゼロとは言い切れません。
また最近流行りの芸能人の不倫報道を意識した、性の解放といった話題にも言及しています。
倫理的、道徳的な観点から不倫は世間から非難されるべき行為とされていますが、その大前提にあるのが一夫一妻制です。
一方で数百万年前に人類の祖先が地球上に出現して以来、つい最近(紀元前5000~3000年頃)までは乱婚、つまり気の向くままに性交渉と営んできたといいます。
これは人類の生活スタイルが、狩猟採集生活から農耕・牧畜生活への様式へと変わっていたことに密接に関係しているといいます。
元々芸能人の不倫報道には関心がありませんが、人類学、歴史学という壮大なスケールから考察してゆくと、不倫が何だかちっぽけな問題に見えてくるから不思議です。
こうした内容を大雑把に総括するならば、歴史が進んでゆくに従い人間が構成する社会の仕組みは変容してゆき、制度やそこで生活する人間の心理も一緒に変化してゆくということです。
ただし本書はあくまでも一個人が、コロナが人類へ及ぼす影響は独自の視点から思案したものに過ぎなく、その主張を他者へ押し付けるといった性質の本ではありません。
コロナ禍で日常を窮屈だと感じている人が、手軽に知的好奇心を満たすための1冊として読んでみては如何でしょうか。
深海の使者
第二次世界大戦において枢軸国(三国同盟)が連合国に敗れた要因の1つとして、同盟国間の連携が取れていなかった点が挙げられます。
特に主力となったヒトラー率いるドイツはヨーロッパ、北アフリカ、日本は太平洋全域、中国、東南アジアが主な戦場となり、作戦エリアが重なることはありませんした。
たとえばノルマンディー上陸作戦で連合国側が同じ戦場で大規模な連携をした例と比べると、対照的であるといえるでしょう。
しかし本作品からは大戦中において日本とドイツがまったく連携をしなかった訳ではなく、むしろ積極的に試みようとしたことが分かります。
まず陸路はドイツの交戦中であるソ連が横たわり、物資や兵器のやり取りをするのは不可能です。
そこで空路か海路の選択肢となりますが、空路は日本側が領空侵犯によって中立条約を結んでいるソ連を刺激することを恐れ、かつ当時の航空技術の限界もありイタリアとの間で1度成功しただけでした。
残るは海路となりますが、まず戦艦や巡洋艦ではアメリカやイギリスが優勢である大西洋を無事に航行するのは不可能であり、消去法として海中を航行できる潜水艦が唯一の手段となりました。
本書では戦時中に日本~ドイツ間で幾度となく行われた潜水艦による両国の軌跡がまとめられています。
インド洋を横切りアフリカ大陸を迂回して大西洋を北上するというルートですが、その距離は3万キロにも及び、片道で約3ヶ月間もの時間を要しました。
当時の潜水艦は艦内の空気を定期的に入れ替える必要があったため、連続して潜水できるのは1日が限界であり、かつ水中速度が遅いという技術的な課題がありました。
しかも第二次世界大戦からは電波探知機(レーダー)が本格的に導入され、広い海域であってもつねに敵に探知される可能性があり、かつ日本のこの分野の技術力は遅れをとっていました。
つまり唯一残された潜水艦によるドイツへの航行でさえも決死行となり、実際に無事に航行できた潜水艦よりも海底へ沈んでいった潜水艦の方が多いという悲劇的な結果となります。
斬新な視点で描かれた戦争小説であり、わずかに残った行動日誌や断片的な記録、生存者への取材を元に作品を完成させた吉村昭ならではの作品といえるでしょう。
航行中の出来事、艦内の様子が詳細に描かれているのはもちろん、その背景にある両国上層部の思惑についても丁寧に解説されており、壮大で完成度の高い長編小説になっています。
一方で本作品で触れられている詳細な航海の様子は、前述のように運良く任務を果たすことのできた一部の潜水艦の記録であり、大部分は多くの乗組員の命と一緒に暗黒の海底へ没してしまったことを考えると、何とも言えない気持ちになります。
本作品が発表されたのが昭和48年(1973年)であり、戦争から経過した月日を考えると、今後本作品のような戦争記録小説が生まれる可能性が無いのが残念です。
それだけに大切に後世へ読み継いでゆきたい作品です。
たとえば、謙虚に愚直なことを継続するという習慣
本ブログではビジネス書を滅多に紹介していませんが、これは単純に私が普段読まないためです。
もともとビジネス書を読まなかったわけではなく、社会人になって数年間はそこそこの数を読んできましたが、どれも似たような内容に食傷気味になり、いつしか遠ざかってしまったのが原因です。
最近流行っている妙にタイトルの長い本ですが、文庫本として手軽に読めるビジネス書ならば久しぶりに読んでみようと、新刊コーナーに置かれていた本書を何気なく買い求めてみました。
著者の杉本宏之氏は、20代で独立した不動産業で業界史上最短&最年少で上場を果たしますが、リーマンショックにより業績が急転直下し、会社は民事再生となり自らも破産するという憂き目を見ます。
しかしそこから再起を図り、現在は株式会社シーラホールディングスの社長として順調に業績を伸ばしているやり手の経営者です。
1977年生まれで私とほぼ同年代にも関わらず、波乱万丈の経験を送ってきたと言えます。
著者は若くして上場企業の社長になった頃はとにかく勢いで業績を伸ばし、自分の欲求に任せ何も考えずに片っ端から買い物をしていたといいます。
しかし一度挫折した後には真剣に経営や財務、投資の勉強を続け、失敗の経験を次に生かしたために再起に成功したのです。
著者は本書を高尚な経営指南の本ではなく、こうした経験から学んだ備忘録であると述べています。
本書の目次を一部抜粋してみると、誰にとっても基本的で目新しい内容ではないいように見えます。
- 日頃から倹約を心がければ経費削減など必要ない。
- 分からない事を分かるふりをすることは最も愚行である。
- 人こそが最重要資産である。
- 成功者にとって謙虚さと感謝が最も大事な想いである。
- 常に自問自答せよ
- 悔しいなら、圧倒的な努力をせよ。
普通に基本的な内容を書き連ねても、読者にとっては退屈なだけです。
一方で、どんな分野でも基本こそがもっとも大事なことも変わりありませんし、「基本=愚直なことを継続すること」というタイトルに繋がっています。
本書の優れている点は、基本的な内容と共に著者の成功や失敗といった浮き沈みの激しい経験談が一緒に語られることで、読者を飽きさせないビジネス書になっている点です。
さらに付け加えるならば、過去に手痛い失敗を犯してしまった人間でも学び続けることで再起を図ることができるという勇気を読者へ与えています。
本書ではじめて知った会社と著者ですが、今後の動向を追い続けてみようと思わせる1冊でした。
兵士は起つ
ノンフィクション作家である杉山隆男氏は「兵士シリーズ」として長年に渡り自衛隊を題材とした作品を発表し続けています。
本書は3.11 東日本大震災で活動した自衛隊員たちの姿をノンフィクションとして発表した作品です。
当時は自衛隊の活躍が連日メディアで報道され続け、日本中がその存在に注目するきっかけとなりました。
その後も洪水などの自然災害でたびたび自衛隊が派遣され、迷彩服姿の自衛隊員が被災地で活動する姿に違和感を感じる人は少なくなったのではないでしょうか。
本書では自衛隊員1人1人の体験、そしてその心の声にフォーカスを当てたノンフィクション作品ならではの魅力が詰まっています。
震災が家族に及ぶ可能性があるにも関わらず、職場を離れることの出来ない人はそう多くはないと思います。
いざとなれば仕事よりも家族の安否確認を優先する人がほとんどでしょうし、それはまったく非難されることではありませんが、自衛隊においては震度6以上の地震が発生した場合に以下の行動基準が存在します。
別命なくば駐屯地に急行せよ
つまり職場はもちろん休日に自宅にいようが外出していようが、駐屯地へ向かうことが優先されるのです。
そしてこれは自衛官の服務宣誓に基づくものであることは明らかです。
「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に努め、もって国民の負託に応える」
実際に自衛隊は真っ先に震災地へ入り、人命救助、同時に犠牲者となった遺体の回収任務に当たることになるのです。
本書には自らが津波に押し流されながらも、助けを求める人を救助する隊員、湖面のようになった町の中へゴムボートで漕ぎ出し人命救助を続ける隊員たちの体験が生々しく描写されています。
そして多くの隊員たちにとってはじめて体験することになるのが、瓦礫の中から遺体を見つけ出し、運び出すという任務です。
隊員たちは不眠不休に近い極限状態の中で、辛い気持ちを押し殺してひたむきに何体もの遺体を運び出し続けます。
そんな屈強な隊員たちでも子どもや親子の遺体には「こたえる」と言います。
まして自分に同じ年頃の子どもがいればなおさらです。
福島第一原発事故の現場へいち早く駆けつけた中央特殊武器防護隊、そして彼らとともに原子炉への海水投下や地上からの放水を行った第一ヘリコプター団も本書では紹介されています。
"特殊武器防護隊"とは、核・生物・化学兵器などを利用した無差別テロが起こった際に、いち早く現場に急行して除染などの作業を行う部隊のことです。
放射能という目に見えない脅威に国民が不安になっている中、正しい専門知識を身に付けたスペシャリストを現場へ派遣できるのは自衛隊だからこそといえます。
それでも何が起こるか分からない現場へ派遣される隊員を家から送り出す家族の気持ちは不安であり、そうしたエピソードも本書では触れられています。
自衛隊の活躍が大きく報道され、私も人命救助に従事する彼らをヒーローと称えることを否定しませんが、逆に自衛隊が目立つ状況だということは、それ相応の危機が起こっていることを意味し、彼らの存在が目立たない日常の方が私たちにとっても自衛隊員にとっても本望なのは言うまでありません。
本書ただひたすらに東日本大震災に際しての自衛隊の現実を描き出した作品であり、日本の防衛問題を論じたものではありません。
それでもその延長線上には、日本の有事、つまり国民に命の危機が訪れた時の自衛隊のあり方という問題が確実に存在するのです。
残夢
副題には「大逆事件を生き抜いた坂本清馬の生涯」とあります。
坂本清馬は、1910年(明治43年)に起きた社会主義者や無政府主義者への政治弾圧である幸徳事件における24人にも及ぶ逮捕者の1人であり、メンバーの中で最後まで生き残り、戦後に再審請求を起こした人物です。
結果だけを書くと再審請求は棄却され、坂本の念願は叶うことなく1975年(昭和50年)に89歳の生涯を閉じることになります。
著者の鎌田慧氏は、国家権力が不当に無実の人間の自由と命を奪いかねない危険性、例えば冤罪事件などを積極的に取り上げるノンフィクション作家として知られています。
そもそも現代において"大逆"はあまり聞き慣れない言葉ですが、君主へ対する反逆を意味する言葉で戦後までは普通に使われていました。
かつて日本では、大日本帝国憲法の刑法第73条に該当する人物を大逆罪として定義していました。
天皇、太皇太后、皇太后、皇后、皇太子又は皇太孫に対し危害を加へ又は加へんとしたる者は死刑に処す
名目上、戦後までの日本は天皇を頂点とした国体であったため、大逆の対象は天皇だったと考えればわかり易いはずです。
場合によっては「天皇へ危害を加えようと考えた時点で死刑」という意味にもとれるかなり厳しい内容ですが、実際にこのような解釈で利用されることになります。
24人が逮捕された幸徳事件では12人が死刑、12人が無期懲役となりますが、まず首魁とされた幸徳秋水自身が事件に関与した確固たる証拠がなく、明らかなのは逮捕者のうち3人の若者が実現性のない放談レベルで天皇暗殺を話題にしたという程度だったといいます。
問題はそれを話し合ったのが明治政府を批判する社会主義者であったという点であり、政府の立場から見れば国家転覆を狙う社会主義者を一網打尽にする好機として利用した出来事だったといえます。
今から振り返れば幸徳秋水らに国家を転覆させるような影響力、経済力、軍事力が無かったことは明らかであり、実際には日々の暮らしにも困窮していたほどです。
そこからは明治の元勲と言われる首脳陣らがロシアに代表される社会主義革命を必要以上に恐れていた時代背景が見えてきます。
例えば当時「社会学」、「社会教育」、「昆虫社会」など、内容に関係なく"社会"の二文字が付く本は片っ端から発行禁止にされていたらしく、まるでアレルギー反応のような思想弾圧が行われていました。
本書で取り上げられている坂本清馬は、25歳のときに逮捕されて49歳に仮出獄するまで実に23年以上も監獄で過ごしました。
彼の性格は典型的な直情径行型であり、融通が効かない分、一途な行動力は有り余るほどありました。
獄中でも自分が正しいと思ったことは曲げず何度も懲罰を受けたといい、そのせいもあって釈放された人の中ではもっとも長い刑期を過ごすことになります。
人生における貴重な時間を監獄で過ごし、また彼の性格もあって出所後も決して器用に生きることは出来ませんでしたが、それでも彼の行動力は健在であり、支援者らとともに再審請求を起こすことになります。
著者も決して坂本を偉人として取り上げたわけではなく、彼の人生を通じて過去だけでなく、現在でも起こりかねない国家権力暴走の危険性を訴えかけているのです。
本来、法律は自分を守る武器となるはずですが、それを国家が濫用した場合には個人を抹殺する兵器にもなり得るのです。
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