残夢
副題には「大逆事件を生き抜いた坂本清馬の生涯」とあります。
坂本清馬は、1910年(明治43年)に起きた社会主義者や無政府主義者への政治弾圧である幸徳事件における24人にも及ぶ逮捕者の1人であり、メンバーの中で最後まで生き残り、戦後に再審請求を起こした人物です。
結果だけを書くと再審請求は棄却され、坂本の念願は叶うことなく1975年(昭和50年)に89歳の生涯を閉じることになります。
著者の鎌田慧氏は、国家権力が不当に無実の人間の自由と命を奪いかねない危険性、例えば冤罪事件などを積極的に取り上げるノンフィクション作家として知られています。
そもそも現代において"大逆"はあまり聞き慣れない言葉ですが、君主へ対する反逆を意味する言葉で戦後までは普通に使われていました。
かつて日本では、大日本帝国憲法の刑法第73条に該当する人物を大逆罪として定義していました。
天皇、太皇太后、皇太后、皇后、皇太子又は皇太孫に対し危害を加へ又は加へんとしたる者は死刑に処す
名目上、戦後までの日本は天皇を頂点とした国体であったため、大逆の対象は天皇だったと考えればわかり易いはずです。
場合によっては「天皇へ危害を加えようと考えた時点で死刑」という意味にもとれるかなり厳しい内容ですが、実際にこのような解釈で利用されることになります。
24人が逮捕された幸徳事件では12人が死刑、12人が無期懲役となりますが、まず首魁とされた幸徳秋水自身が事件に関与した確固たる証拠がなく、明らかなのは逮捕者のうち3人の若者が実現性のない放談レベルで天皇暗殺を話題にしたという程度だったといいます。
問題はそれを話し合ったのが明治政府を批判する社会主義者であったという点であり、政府の立場から見れば国家転覆を狙う社会主義者を一網打尽にする好機として利用した出来事だったといえます。
今から振り返れば幸徳秋水らに国家を転覆させるような影響力、経済力、軍事力が無かったことは明らかであり、実際には日々の暮らしにも困窮していたほどです。
そこからは明治の元勲と言われる首脳陣らがロシアに代表される社会主義革命を必要以上に恐れていた時代背景が見えてきます。
例えば当時「社会学」、「社会教育」、「昆虫社会」など、内容に関係なく"社会"の二文字が付く本は片っ端から発行禁止にされていたらしく、まるでアレルギー反応のような思想弾圧が行われていました。
本書で取り上げられている坂本清馬は、25歳のときに逮捕されて49歳に仮出獄するまで実に23年以上も監獄で過ごしました。
彼の性格は典型的な直情径行型であり、融通が効かない分、一途な行動力は有り余るほどありました。
獄中でも自分が正しいと思ったことは曲げず何度も懲罰を受けたといい、そのせいもあって釈放された人の中ではもっとも長い刑期を過ごすことになります。
人生における貴重な時間を監獄で過ごし、また彼の性格もあって出所後も決して器用に生きることは出来ませんでしたが、それでも彼の行動力は健在であり、支援者らとともに再審請求を起こすことになります。
著者も決して坂本を偉人として取り上げたわけではなく、彼の人生を通じて過去だけでなく、現在でも起こりかねない国家権力暴走の危険性を訴えかけているのです。
本来、法律は自分を守る武器となるはずですが、それを国家が濫用した場合には個人を抹殺する兵器にもなり得るのです。