蛙の子は蛙の子:父と娘の往復書簡
阿川弘之・佐和子親子の往復書簡を掲載するという出版社の連載企画を1冊の本にまとめたものです。
今でも娘の佐和子氏はテレビでよく見かけますが、父・弘之氏も名物親父として知られています。
まず大正9年生まれで旧海軍の軍人という経歴があるだけに筋金入りの頑固者であり、しかも瞬間湯沸かし器とあだ名されるほどの短気な性格は、娘の佐和子氏だけでなく同世代の作家であった遠藤周作氏らのエピソードでもたびたび触れられています。
この往復書簡は1997年に行われたものであり、当時父は77歳、娘は44歳という年齢でした。
書簡には1往復ごとに編集部が決めたテーマが設けられていますが、"手紙について"、"仕事について、"怒り"や"笑いについて"など比較的幅広い括りで設けられています。
これまで親子間で正式な手紙のやりとりをした経験が無いという2人だけに、最初は文面から照れが感じられます。
とくに父側(弘之)は、
ある問題に関して手紙をやりとりして意見交換するなぞ、何だか甘つたるい感じで-、極言すれば変態的且つ偽善的な感じでいやだ。とまで言い切っています。
それでも2人とも一流の文章書きだけに、すぐにテンポのよい文面に変わってゆきます。
多くの読者がこの父娘の性格を理解した上で読むことを想定しているように思えますが、2人のパーソナリティの違いだけでなく、佐和子氏はエッセイストらしく自身の身近な出来事の中にテーマに沿った話題を滑り込ませるのがうまく、弘之氏は作家だけに歴史的教訓や自身の戦時体験、古典の例などからテーマに合ったものを選び出すという、どちらも得意分野を発揮した文章を書いています。
1テーマ(1往復)につき10分もあれば読めてしまうという点で、気軽なエッセイ風の作品に仕上がっています。
本書と似たような作品として、やはり同性代の作家である北杜夫・斉藤由香氏の親子対談である「パパは楽しい躁うつ病」も本ブログで紹介しているので、機会があればセットで楽しんでみるのはいかがでしょうか。
やめられない ギャンブル地獄からの生還
作家であり精神科医でもある帚木蓬生氏が、自らも多くの患者を治療してきた経験を持つギャンプル依存の実態を紹介し、警鐘を鳴らしいる本です。
帚木氏の作品は何冊か読んできましたが、作家ではなく医師としての立場から執筆された本を読むのは今回がはじめてです。
まずアルコールや薬物依存という言葉はニュースなどでよく聞きますが、ギャンブル依存に関してはそこまで大きく報道されていないような気がします。
一方、日本にはギャンブル依存症者が推定で320万人もいるとされ、大きな社会問題になりつつあります。
かなり前に「パチンコ「30兆円の闇」」という本を紹介しましたが、パチンコはギャンブル場としてではなく遊技場という名目で日本各地に点在しています。
つまり日本は成人であれば誰でも気軽にギャンブル場へ入り浸れる環境にあり、実質的に世界一のギャンブル大国という状態にあります。
著者もこの環境こそが深刻なギャンブル依存を生み出していると本書で指摘しています。
競馬やオートレースなどの公営ギャンブルもありますが、ギャンブル依存症者100人のうち実に82人が、パチンコ・スロットによってギャンブル地獄にはまり込んだという統計があります。
私も本書を読むまではギャンブルで借金を作る人は、賭け事が好きな性格なんだろうという程度の認識でしたが、精神疾患であるギャンブル依存症となった人間がギャンブルを続けるのは「意志」と関係ないと解説しています。
つまり覚醒剤中毒者と同じく脳の機能変化が生じてしまい、通常の意志が働かなくなっている状態なのです。
親や配偶者が借金を肩代わりして二度とギャンブルに手を出さないと誓約書を書いたところで、そこに個人の「意志」が存在しない以上、治療を行わない限り決してギャンブルを辞めることは無いと著者は解説しています。
本書ではギャンブル依存症者が陥る悲劇的な内容についても多くの具体的な例を紹介しています。
ある意味でアルコールや薬物依存以上にギャンブル依存が怖いのは、嘘によって借金や横領を際限なく繰り返し、経済的に本人のみならず家族の人生まで破滅させてしまう点です。
本書は作者が医師であることからギャンブル依存の治療についても詳しく解説しており、ギャンブラーズ・アノニマスやギャマノンといった自助団体も大きく取り上げています。
ギャンブル依存から国民を守る強力な政策が必要な時期に来ている感じ、少なくともカジノ誘致など論外であるとことを実感した1冊です。
実録 脱税の手口
著者の田中周紀氏は共同通信社、テレビ朝日報道局で5年9ヶ月の間にわたり国税局と証券取引等監視委員会(SESC)を担当し、フリージャーナリストとなった今でも脱税事件や経済事件を取り扱い続けている経歴を持っています。
日本人の9割は会社員であり、勤務先の会社が所得税を源泉徴収して年末調整まで手続きしてくれるため、給料から税金が引かれていることは分かっても自分から納税手続きをする機会は滅多にありません。
私もその1人であり、確定申告を行った経験も人生に1度しかありまぜん。
そもそも納税は国民の義務であるにも関わらず、学校では税金の種類や納税の仕組みを教わる機会すらなく、日本人の大部分は納税は勝手に行われるものであるという認識で無関心な人が多いのではないでしょうか?
一方で意図的に税金を払わない行為は違法であり、悪質な場合は重加算税と懲役刑が課せられる場合があります。
マスコミで報じられる場合には以下のケースがあるようです。
- 「申告漏れ」・・・単なる経理ミス
- 「所得隠し」・・・意図的な仮装・隠蔽行為があると認定された場合
- 「脱税」・・・所得隠しの中でも特に悪質なもの
- 第1章 著名人はなぜ狙われるのか
- 第2章 税への無知が招いた悲劇
- 第3章 犯罪になり得る高額の無申告
- 第4章 マルサが追い詰めた巨額脱税事件
- 第5章 法の穴を突く悪い奴ら
- 第6章 脱税指南ビジネスの闇
- 第7章 罪が罪呼ぶ"ハイブリッド脱税"の末路
本書では世間でも大きく報道された若手実業家やお笑い芸人などの税金にまつわる事件を取り上げ、マスコミが報じなかった深層をじっくり解説しています。
事件の性質別に7章に分かれています。
やはり脱税に手を染める人たちに共通するのは、それなりの資産を持っているという点です。
逆に言えば生活する資金に困って脱税をするケースは皆無ということであり、それだけに脱税報道に関する世間の目は厳しいものがある気がします。
数十、数百億円という事業収入があれば脱税によって得られる金額もかなりの額となり、少しでも多くの金を残しておきたいという心理が働くのでしょうし、人間の欲深さには際限が無いという一端を見ることができます。
大人のための昭和史入門
本書の冒頭は次のような言葉ではじまります。
本書のタイトルは「大人のための昭和史入門」です。
「大人のための」とあえて銘打ったのは、かつて学校で習ったような「戦争はいけない」「軍部が悪玉だった」「指導者が愚かだった」では片付かない、そのとき日本人が直面した複雑な問題と向かい合おうと考えたからです。
たしかに学校の教科書で主要な事件や出来事を追うことはできますが、肝心な戦争や敗戦の原因については上記のようにほんの数行で触れているだけに過ぎません。
教科書の内容を補足すべき立場の教師にしても、たいていの場合、紋切り型の説明を付け加えるだけではないでしょうか。
私自身、今まで日中戦争、太平洋戦争、そして東京裁判やGHQ占領時代を題材にした本を読んできましたが、本書の序文にあるようにそれぞれの出来事に複雑な事情が潜んでおり、本を読めば読むほど、かつて日本が戦争を始めた理由をとても一言で説明することは不可能だとう実感を抱くようになりました。
本書はこうした当時の日本、そしてそれを取り巻く世界の情勢といった複雑な背景を1つ1つ解きほぐしてゆくための入門書なのです。
第1章では戦後70年という区切りを機会に、座談会という形で戦争を改めて振り返っています。
そこでは日本の戦略が裏目に出てしまった要因、日本と欧米諸国が抱く理念のズレ、戦争から学ぶべき教訓といった内容などが4人の知識人たちによって語られています。
その中には私にとってまったく新しい視点の考えた方もあり、新鮮かつ刺激的な内容で楽しみながら学ぶことができる充実した内容になっています。
続いて2章では学者や作家たちが小論文、またはコラムという形で、およそ時代順にそれぞれのテーマで戦争を振り返っています。
- リーダーに見る昭和史 日本を滅ぼした「二つの顔」の男たち
- 満州事変 永田鉄山が仕掛けた下剋上の真実
- 張作霖爆殺事件 軍閥中国は「イスラム国」状態だった
- 国際連盟脱退 松岡洋右も陸相も「残留」を望んでいた
- 五・一五事件 エリート軍人がテロに走るとき
- 二・二六事件 特高は見た「青年将校」の驕り
- 日中戦争 蒋介石が準備した泥沼の戦争
- 三国同盟 「幻の同盟国」ソ連に頼り続けた日本
- 日米開戦 開戦回避チャンスは二度あった
- 原爆投下 ヒロシマ・ナガサキこそ戦争犯罪だ
- ポツダム宣言 日本は「無条件降伏」ではなかった
- 東京裁判 東京裁判の遺産
- GHQ占領 日米合作だった戦後改革
- 人間宣言 天皇・マッカーサー写真の衝撃
- 日韓歴史認識 和解が今後も進まない三つの理由
本書から見えてくるのは、日本はけっして戦争へ向かって一直線に進んでいったわけではなく、まして特定の人物によって開戦の火蓋が切られたわけでもありません。
それははさまざまな人間の思惑や利害関係、そして時には偶然と思えるような出来事が複雑に絡み合い、幾つもの分岐点を経過して起きた結果であるということです。
そしてそれは戦後の高度経済成長についても言えることです。
歴史を学ぶというのは奥深いものであり、安易な結論はまがい物でしかなく、幾つもの思考を重ねた結果でしたか得られないものなのです。
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