本と戯れる日々


レビュー本が1000冊を突破しました。
引き続きジャンルを問わず読んだ本をマイペースで紹介してゆきます。

王国への道



久しぶりに遠藤周作氏の作品を手にとってみました。

本作品は山田長政を主人公にした歴史小説です。

戦国時代から江戸時代にかけて現在のタイ王国はシャムと呼ばれ、戦国時代後期にはその首都であるアユタヤに日本人町が形成されていました。

当時は主に交易を目的として中国、東南アジアの各都市に日本人が住み着いており、鎖国が行われる江戸時代以前は日本人がかなり海外進出していたことが伺われます。

この山田長政は単身シャムへと渡り、そこで日本人町の頭領として、また王国の日本人傭兵の隊長して爵位を授けられるまでに出世します。

その頃の日本では大坂の陣も終わり、長く続いた戦乱の世から徳川家による太平の世へと時代が変わりつつありました。

長政は日本ではもはや果たすこのできない立身出世を遠く離れたシャムで目指した人物であり、最後の戦国武将が異国の地で活躍したかのようなロマンを感じます。

作者の遠藤周作氏は宿敵といった歴史小説を手掛けていますが、いずれも普通の歴史小説ではありません。

カトリック教徒でもある著者は日本のキリスト教文学の代表者としても知られ、こうした歴史小説の中にも著者が持つ死生観というものを取り入れ、作品のバックボーンには必ず大きなテーマが横たわっているのです。

そのため本書には長政のほかにもう1人の主人公が登場します。

それがペトロ岐部です。

彼は幕府のキリシタン追放令により海外へ渡航し、さらに本格的にキリスト教を学ぶためインドのゴアから陸路でローマまで辿り着くという当時の日本人では考えられない大冒険を成し遂げます。

結果として日本人としてはじめてエルサレムを訪れた人物としても知られています。

彼はローマで勉学へ励み司祭となりますが、驚いたことに幕府によって迫害されているキリシタンを励ますために日本へ再び舞い戻るのです。

これは完全な自殺行為であり、周囲の人間は岐部を必死に止めるよう説得しますが、彼の決意は固く翻すことはありませんでした。

実際にこの2人が知り合い同士だったという記録はありませんが、作品中で2人は出会い、そしてお互いを認めながらも別々の道を歩くことになるのです。

長政は異国の地で立身出世を目指すため戦いと権謀術数が渦巻く世界へ身を投じ、一方の岐部は世俗と離れた信仰の世界に生きることを選びます。

もちろん作品中で2人のうち、いずれかの生き方が正しいという答えが明示されることはありません。

この2人に共通しているのは平穏が訪れつつある狭い日本を飛び出して、広い世界で自分の生き方を貫いたことであり、その対比が余りにも鮮やかであり、読者に強烈な印象を残すのです。

プロ野球・二軍の謎



アマチュアならともかくプロスポーツで選手やチームが目指すものはただ1つ、それは勝利のみです。

勝利こそが選手やチームの知名度を上げ、それによって観客やスポンサーが集まり、選手の現役活動やチームの運営を続けることができます。

しかし物事には例外があります。
その1つが本書で紹介されているプロ野球二軍です。

もちろん二軍チームにとっても勝敗は重要ですが、大前提として二軍は一軍のために存在します。

将来一軍で活躍できる若手選手に経験を積ませたり、ケガ明けやスランプに陥った一軍選手の調整の場として使われたりするのです。

本書ではメディアで取り上げられる機会の少ないプロ野球の二軍について書かれたものであり、実際にオリックス二軍監督を努めた田口壮氏によって執筆されています。

本書は著者がはじめて二軍監督に就任した2016年シーズンより日経電子版で連載された「2軍監督 田口壮!」を加筆・修正して新書にまとめたものです。

著者にとってはじめての指導者デビューのタイミングでもあったため、経験を積んだ指導者が執筆する場合と違い、著者のこれからの意気込みや手探り感などが読者に伝わってきます。

さらに1年を振り返って失敗した部分や、来季に向けて改善してゆきたい部分も素直に書かれており、読者が新米監督を応援したくなる気持ちになります。

しかし田口壮といえば約20年に渡りオリックやMLBで活躍した名選手であり、現役選手としての実績は充分です。

しかも日米両方の1軍や2軍の経験も豊富なため、本書ではNLBとMLBの二軍(MLBであれば3A以下のマイナーリーグ)を比較して、その制度や指導方法の違いについて言及しています。

1軍だけを見るとMLBではNLBのスター選手と比較して、年俸の額が1桁多い破格な待遇となりますが、こと二軍に関しては日本の方がはるかに恵まれていることが分かります。

日本では監督含めたコーチ陣が一丸となって将来有望な選手を育て上げるという風潮がありますが、マイナーリーグではまず所属する選手の人数からして桁違いということもあり、細やかな指導は行われません。

また日米の1軍枠の選手数にそう大差ないことを考えると、その競争倍率は日本よりも厳しいものになり、自らの力だけで一軍に這い上がる必要があります。

本書では日米比較に限らず、日本のプロ野球に二軍観戦ガイドのようなものも紹介されています。

私自身もファンである西武ライオンズの二軍の試合を何度か観戦したことがありますが、一軍の試合とは違って応援歌や鳴り物が響き渡ることもなく応控えめです。

ファンの視点も二軍の勝利というよりは、将来一軍で活躍しそうな選手を見守るような雰囲気があります。

また本書でも触れらていますが、フェンスを挟んでわずか数メートル先で選手を見れる点も醍醐味だと思います。

著者自身もプロ野球二軍に少しでも興味を持ってもらうために本書を執筆したと語っていますが、これを機会に気軽に出かけて応援できる二軍の試合会場へ足を運んでみてはいかがでしょうか?

黒衣の宰相 (下)



上巻のレビューで本作品は1人の僧(金地院崇伝)が、持てる知識と人格すべてを賭けて立身出世を目指してゆく物語であると紹介しました。

崇伝は敵やライバルが現れるたびに知恵を絞り策を練り、ときには実績を挙げるためには手段を選ばないといった方法で徳川家臣団の中で存在価値を高めてゆきます。

実際、大坂の陣の引き金となった有名な鐘銘事件において文章中の言いがかりを作り出しのは崇伝とも言われ、そこから派生した無理難題が最終的に豊臣家を滅亡へ導くことになります。

もちろんこうした人物が嫌われるのは今も昔も変わず、タイトルにある黒衣(法衣)の宰相はともかく、彼のやり方を嫌った当時の人たちからは「寺大名」、「天魔外道」、「僭上和尚」、「大欲山悪長老」など散々なあだ名を付けられています。

それでも作品の中の崇伝は、平和な世の中を実現するために自身が権力を持ち毒をもって毒を制すことも辞さないという固い意志によって支えられ、世間から嫌われようとも意に介しません。

一方でそれだけで崇伝の生涯を語り尽くしてしまうと殺伐としたストーリーとなってしまうことが避けられませんが、作者(火坂雅志)はそこに紀香という結ばれない恋、そして幼い頃より一緒に過ごした唯一心を許せる六弥太との友情というサイドストーリーを用意することによって作品の色彩を豊かにしています。

巻末で吉川英治宮本武蔵」と物語の構図が似ていると解説されていますが、まったくその通りで「紀香=お通」、「六弥太=又八」と当てはめることができ、武蔵は剣の道を極めるため、崇伝は知謀の道を極めるため孤独で修羅の道を歩み続けたのです。

天下無双を目指し剣の道を極めようとする武蔵の方が分かりやすく、読者からの多くの賛同を得られるかも知れませんが、現代に目を向けて大企業=徳川幕府と置き換えてみると、サラリーマンとして出世を目指すという意味では知力を振り絞った崇伝にも親近感が湧くのではないでしょうか。

もっとも武蔵は佐々木小次郎との決闘を最後に若くして実戦から引退しまたが、崇伝は最後まで幕府の中枢にあってその知謀を発揮し続けました。

本作品は上下巻ともに400ページを超える大作でありながらも秀吉、家康、そして秀忠、家光といった時代を渡り歩いてゆく崇伝の物語がテンポよく展開されてゆき、長編小説であることを忘れて一気に読めてしまう作品です。

黒衣の宰相 (上)



火坂雅志氏の史小説です。
サブタイトルに「徳川家康の懐刀・金地院崇伝」とある通り、徳川家の家臣として活躍した以心崇伝(いしんすうでん)を主人公にした小説です。

彼は僧籍にありながら家康の右腕として武家諸法度禁中並公家諸法度寺院諸法度などを制定したことで知られています。

中世日本において寺院は宗教的な目的のほかに、学問を身に付けるのための場所という側面もありました。
そのため当時の知識人といえば僧というくらい一般的であり、戦国時代に武将としても活躍した僧として今川家の太原雪斎、北条家の北条幻庵、毛利家の安国寺恵瓊などが有名ですが、ほかに何人も挙げることができます。

戦で槍一本で大名にまで出世した武将、もしくは戦場で華々しく散った武将を主人公にした歴史小説が殆どの中で、あえて表舞台にはあまり出ない参謀役を主人公にしたところが面白い試みであるといえます。

極端な言い方をすると、武力だけの猛将タイプの人物は平和な世の中が訪れると活躍する場所を失います。

天下泰平であっても権力の中枢では絶え間ない派閥争いや出世争いが行われているものであり、そこでは知勇兼備の武将、もしくは本書の主人公である崇伝のような智将でなければ活躍できません。

秀吉が亡くなり、家康の時代が到来するにあたり豊富な知識を身に着けた崇伝の存在価値は戦場で活躍する武将以上に貴重な戦力となり、実際に彼が江戸幕府の基礎を固めてゆくことになるのです。

一方、高い知識や知恵を持つ武将は崇伝以外にも数多く抱えていたのが家康であり、簡単に出世できるほど甘くはありません。

鷹匠あがりで家康の軍師として活躍した本多正信、猿楽師として武田家から徳川家へと主君を変えて財政的基盤を築き上げた大久保長安、家康が重宝し続けた知勇兼備の武将の代表格として藤堂高虎など、家康家臣団には崇伝のほかにも多くの智将が存在していました。

その中でももっとも崇伝と近い位置で出世争いをしたのが、真言宗の僧である南光坊天海です。

崇伝と家康は親子ほど年齢が離れていますが、天海は家康よりさらに年上であり、最終的には107歳まで生きたといわれる怪僧です。

もともと崇伝の禅宗(臨済宗)と天海の真言宗は宗派が違うこともあり仲は余りよくなく、何より家康が天海を深く信頼していました。

宗教的な縄張り争いにおいても崇伝らの反対にも関わらず、家康の死後に自身の宗派にのっとり東照大権現という神号を贈ったのも天海であり、最大のライベルだったといえます。

本作品は1人の僧が自ら知識や人格すべてを賭けて権力の中枢を目指して駆け上がってゆく立身出世の物語であり、自らの槍一本で成り上がってゆく武将たちの物語と同じような感覚で楽しめる作品なのです。