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遠い日の戦争



以前、吉村昭氏の「逃亡」をレビューしましたが、この作品では戦時中に不本意ながら軍律を犯して逃亡する青年が主人公でした。

本作品の主人公は、日本が連合国軍に無条件降伏をしたのちにGHQや警察から戦犯として罪に問われることを避けるために逃亡を続けた元軍人です。

主人公・清原琢也はかつて米兵捕虜を自らの手で処刑した経験を持ちます。

主人公が処刑した米兵は都市(福岡)へ無差別爆撃を行ったB29の乗組員であり、兵士ばかりでなく多くの市民を殺した敵兵であることから、当時は軍人だけでなく多くの民間人の感情として捕虜となった米兵は殺しても飽き足らないという気分がまん延していたのです。

ところが日本が敗戦国となった瞬間から、捕虜虐待を行った日本兵は戦争犯罪者として裁かれることになったのです。

しかも今度は日本人全体の感情が悲惨な戦争を引き起こした犯罪者は当然裁かれるべきだという真逆の方向へ傾き、主人公は身を隠して追及の手を逃れることを決意します。

極東裁判のために巣鴨プリズンに収容されたかつての司令官や将軍たちの中には、互いに罪をなすりつけあったり、捕虜の処刑をする命令を下した記憶はなく、部下が勝手にやったことだと供述したりと、かつての帝国軍人の威厳が微塵も残っていないような、刑務所の中でひたすら死刑を恐れて怯えるばかりの老人となった人物も多くいました。

若かった主人公は負けたとはいえ敵国の捕虜のようになり一方的に裁かれてたまるかという、半ば元日本帝国軍人の意地としてから逃亡を始めますが、やがてその心境にも変化が起こってきます。

それは警察に察知されぬよう故郷の家族と連絡を絶って偽名を使って逃亡生活を続けるうちに、すれ違う人がどれも自分を捕まえるために来た警察官だと思えるようになり、元軍人としてのプライドが消え失せてしまい、ひたすら怯えながら日々を過ごすようになるのです。

迫りくる国家権力や世間からの圧力を避けながらの生活は、ゆっくりと時間をかけて人間の精神を蝕んてゆくのです。

果たして主人公は追求の手を逃れられるのか、そしてどのような結末を迎えるのか?

善悪の基準は時代によって簡単に変わってしまうという事実、それに伴い周囲の自分に対する視線も態度も変わってしまうという不条理さ、そして逃亡を続ける人間の孤独感と緊張感が伝わってくる作品であり、戦争犯罪という言葉についても考えさせられる1冊です。