レビュー本が1000冊を突破しました。
引き続きジャンルを問わず読んだ本をマイペースで紹介してゆきます。

法師蝉



吉村昭氏の短編集です。

記録文学といわれるほど精密に史実を調査して執筆するのを得意とした著者ですが、本書のような純文学も発表しています。

史実を題材とした場合、著者は過去の出来事について登場人物の経歴を可能な限り詳細に取材し文献を調べ、誰がいつどこでどのような内容の発言をしたかだけではなく、その時の天気や月齢カレンダーまで徹底的に調査します。

こうして明らかになった細かい事実を積み重ねて過去の偉業や事件などを掘り下げていきますが、本書のような純文学にもそうした作風が生きています。

創作する物語の舞台となる街の風景、たとえば商店街にはどのような店が並んでいるか、主人公が泊まったとある地方の旅館の内装など、おそらくこうした描写は著者が頻繁に行った取材旅行の経験から生まれてきたものだと思われます。

本書に掲載されている一連の作品には共通点があります。

それは人生の秋を迎えた男たちが主人公であるという点です。

"人生の秋"というと定年、もしくは定年してから数年が經過したタイミングであり、具体的な年齢でいえば60~70歳くらいと推測されます。

次の世代に後に託して第一線から身を引き、子育てや住宅ローンといった責務からも解放される一方で、身体はある程度健康で老け込むにはまだ早過ぎる時期といったところでしょうか。

こうした境遇になり悠々自適日々を過ごす人もいると思いますが、本書に登場する主人公たちはいずれも闊達さよりも哀愁の方が強く漂ってきます。

いわゆる家に居ることが多くなり、仕事を引退してやること(やりたいこと)が無い、元気なのは妻の方というパターンです。

やはり文学作品には、若者に負けないバイタリティ溢れる老人よりも、秋風の中で襟に首をすぼめながら背を丸めて歩く初老の男性の方が絵になります。

いずれも主人公たちの心境を巧みに描いており、それは著者自身が本作品を"人生の秋"を迎えた年齢で執筆したからに他なりません。

本書には以下9作品が収められており、いずれも完成度の高い作品に仕上がっています。

  • 海猫
  • チロリアンハット
  • 手鏡
  • 或る町の出来事
  • 秋の旅
  • 果実の女
  • 法師蝉
  • 銀狐

個人的には40代以上が読むと味わい深く感じられる一方で、若すぎる読者の場合、"哀しい"よりも"悲しい"が勝ってしまうかも知れません。

また男性だけでなく、是非とも女性にも読んでほしい1冊です。