本と戯れる日々


レビュー本が1000冊を突破しました。
引き続きジャンルを問わず読んだ本をマイペースで紹介してゆきます。

シベリヤ抑留記 農民兵士の収容所記録


第二次世界大戦の終戦後、ソ連によってシベリアで強制労働に従事させられた日本人は57万5千人にも及ぶと言われ、そこで多くの人たちが亡くなりました。

多くシベリア抑留の体験記や記録が発表されていますが、本書はその中の1冊ということになります。

著者の三浦庸氏は山形県尾花沢市の出身で、終戦時には得撫島(ウルップ島)に駐留していましたが、ソ連軍によってシベリアへ連行されることになります。

このシベリア抑留を悲惨なものにしたのは、そこが極寒の地ということもありますが、何と言っても食糧事情の悪さです。

支給されるのは少量の殻付きの黒いコーリャン飯や黒パンであり、はじめは不味くて食べられるものではなかったといいます。

しかし1ヶ月も経過する頃にはコーリャンを1粒でも多く食べることだけが生き甲斐となり、家族や故郷を恋しくなる気持ちさえもはっきり思い出す力がなくなり、寝ても覚めても食べ物のことしか考えられなくなってしまったといいます。

また捕虜たちは収容場所の衛生的な問題があり、シラミや南京虫によって苦しめられる日々が続きます。

本書は著者自身の体験記であり、そこでの日々やエピソードがひたすら綴られています。

労働に従事する捕虜たちは例外なく痩せたカエルのような身体になり、体力のない者から容赦なく犠牲になってゆきます。

まさしく餓鬼道に落ちた亡者どもが現実世界に出現したかのような地獄絵図であり、そこでの体験記は悲劇的な内容になるのが当然といえます。

しかしこの体験記には、つねにユーモアの要素が垣間見れます。

喜劇王のチャップリンは「人生は近くで見ると悲劇だが遠くから見れば喜劇である」と言いましたが、たしかにこうした要素が各所に見受けられます。

たとえばシラミ対策として捕虜たちが、ドラム缶で着たきりの服を熱湯消毒し、さらに全身の体毛を剃るという対策を施しますが、服が乾くまでの間は痩せた全裸の和尚たちが集まっているような風景だったと表現しています。

ほかにもコーリャン飯によって皆が便秘に悩まされることになりますが、そこでの排便の苦痛を和らげるために発明された白川曹長考案の"白川式安産法"なるものの説明、さらには極寒の地でうず高く積み重なり凍った大便が見事な氷の彫刻のようであったこと、その芸術性を惜しいと思った捕虜の1人が収容所の入口に門松のようにそれを飾った話など、ほかにも数々のエピソードが全編にわたって散りばめられています。

一方で必ずしも捕虜となった日本人たちは互いに助け合い、励まし合いながら何とか生き延びようとしてきたという姿は、多くの場面では見られなかったようです。

とにかく他人を出し抜き、自分のための食料をすこしでも多く確保することで頭が一杯であり、そこで相互扶助という光景は見られませんでした。

これは人間性の問題ではなく、生物が極限の飢餓状態に置かれたときに見られる必然的な現象なのです。

つまり他人へ食べ物を分け与えるという行為は、自分の死へと直結する行為であったからです。

過去にホームレス体験記を読んだときにも思いましたが、今の日本ではどんなに貧乏でも飢える心配のない時代ですが、よく年寄りたちが言っていた「食べ物を粗末にするな」という言葉が重みを帯びてきます。

一括りに捕虜と言いますが、将校たちは労働を強制されることなく、住居も隔離され食料も多めに支給されていたようです。

敗戦によって軍隊は解体し、本来であれば階級の上下も存在しないはずですが、抑留生活でも待遇の違いは明確であり、抑留生活中も上官へ逆らうことは許されませんでした。

そして一部を除きほとんどの将校たちは悲惨な待遇にある部下たちを助けることもなく、まるで身分制度のような隔たりも見られました。

ページをめくるたびに色々な感情を読者へ与えてくれる1冊であり、シベリアに限らず戦争体験記としてもお進めできる1冊です。