レビュー本が1000冊を突破しました。
引き続きジャンルを問わず読んだ本をマイペースで紹介してゆきます。

深重の海


いつの間にか本ブログでは津本陽氏の著書を40册以上紹介していることになります。

本書は第79回直木賞受賞作であると同時に津本氏が作家として世間に知られるきっかけとなった作品です。

津本氏といえば剣豪小説や歴史小説の名手として知られていますが、本作品はそのいずれにも属しません。

舞台は紀伊半島南東部にある太地湾(現・和歌山県太地町)であり、かつて日本における捕鯨文化の中心地として栄えた地域です。

そこで17世紀から続く伝統的な古式捕鯨が時代の激流に呑み込まれて衰退してゆく過程を描いた作品です。

作品を読めば分かるため詳細は割愛しますが、古式捕鯨とは網や銛を用い、さらには灯台からクジラの動きを見張る人たちを含めると数百人にも及ぶ規模で行われる捕鯨方式のことです。

クジラは肉や脂、さらには骨やヒゲ、皮に至るまで余すところなく利用できる資源であり、江戸時代には「一頭で七郷が潤う」と言われるほどの一大産業でした。

実際に代々鯨方棟梁を務めてきた和田家は、井原西鶴の「日本永代蔵」において日本十大分限者(日本の富豪TOP10)の1人として鴻池家や紀伊国屋と並んで紹介されるほどの繁栄を誇っていました。

一方で古式捕鯨に用いられる勢子舟や網船は小さな木造船であり、暴れるクジラによって、さらには海の難所として知られている熊野灘によって多くの命が失われてきた危険な漁場でもあったのです。

本作品の山場であり、古式捕鯨を一気に衰退させるきっかけとなったのが明治11年に発生した大背美流れです。

これは不漁が続き、年越しの支度金も無いほどの困窮に陥った漁師たちが熊野灘に現れた巨大なセミクジラを危険を承知で深追いした結果、100人以上の漁師が犠牲になった海難事故を指します。

本作品ではその一部始終がこと細かく描かれており、ドキュメンタリー映画のような緊張感があります。

そもそも不漁となったのはアメリカを中心とした蒸気船や爆薬付の捕鯨砲を用いた近代捕鯨によるクジラの乱獲が原因であり、古式捕鯨とは桁違いの効率性を備えていました。

多くの仲間を失い困窮する漁師たちは、それでも古式捕鯨を再興させるために資金集めなどに奔走します。

本作品はこうした経緯を代々続く漁師である弥大夫孫才次親子の視点から描いいますが、大きな時代の流れによって1つの文化が滅んでゆく生々しさと哀しさを感じさせると同時に、著者の出身地である和歌山県を舞台にしている郷土愛も感じられます。

ちなみに同じ熊野太地の捕鯨を扱った作品に吉村昭氏の「鯨の絵巻」があり、併せて読むことでより奥行きを持った歴史を知ることができます。