坂の上の雲〈4〉
日清戦争で勝利した後に帝政ロシアとの国交悪化が明確になってゆき、ついに日露戦争に至ることになります。
広大な領土と強大な軍事力を持つロシアとの戦争は、誰の目から見ても無謀といえるものでした。
しかし日本の指導者たちは、一旦はロシアとの戦いを回避したとしても、やがてロシアが朝鮮半島を支配下に置き、更に強大となった後には絶望的な戦況となり、日本も朝鮮半島と同じ運命に陥ってしまうという危機感を強く持っていました。
確かに列強各国(先進国)が清や東南アジアなどを次々と侵食している世界情勢にあり、まして国連などといった組織が存在すらしていない時代の世論に期待など持てるはずもなく、当時の後進国である日本が他国の征服対象になった場合には、甘んじて征服を受け入れるか、もしくは国運を賭けて抗戦するしかないといった切迫感がありました。
海軍では西郷従道や山本権兵衛、陸軍では山形有朋や大山巌といった人物が中心となり、日清戦争終結直後から10年以上をかけて対ロシアを想定した準備を着実に進めてきました。
外交では、小村寿太郎や林董を中心とした人物が、対ロシアを完全に見据えた日英同盟の締結を行い、一方で伊藤博文や井上馨といった重鎮たちがロシアとの戦争を回避すべく働きかけるなど、意見の衝突はあったものの、国難を目の前にして日本は皇帝の独裁が続くロシアと比べれば驚くほどの団結力を発揮します。
また政府の外にあって財政界からも渋沢栄一をはじめとした経済人のバックアップがあったことも大きく影響しています。
しかし国の財政が破綻しかねないほどの軍備増強を行い、外交において日英同盟を結んだとしても大国ロシアとの戦争の勝算は極めて薄く、「僅差の判定勝利で優位な和平へ持ち込む」という、現実的な路線での決着を開戦前から想定していました。
内閣と軍部が対立して外交との連携も取れない状態で、戦争後の青写真も見い出さないまま太平洋戦争前に突入してしまった後世から考えると、戦力の不利を大和魂といった精神論で煙に巻くことなく、どこまでも冷静だった判断力に驚かされます。