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遠き落日(下)

遠き落日(下) (集英社文庫)

病的な浪費癖のある野口英世ですが、彼は学問、研究においても病的なまでに熱心でした。

欠点が大きければ大きいほど、長所もまた大きいといったタイプの人間です。

アメリカ研究者時代に同僚から「24時間不眠主義者」、「人間発電機(ダイナモ)」というあだ名を付けられ、それが決して大袈裟な表現でなかったというエピソードが数多く残っています。

つまり彼の"熱心さ"は到底常人が真似できる次元ではなく、さらに地位や名誉を得てのちも日常のように続けられました。

また彼がなぜ細菌研修者としてのキャリアの大部分をアメリカで過ごしたのかといえば、学閥年功序列といったものが幅を利かせる日本医学会の中に彼の居場所は無く、肩書や出身を問わず、"実力のみがすべての世界"でしか彼が名声を得る余地がなかったといえます。

1度の面識しかないフレスキナー教授の元へアポなしで押しかけ、研究助手として無理やり居着いてしまうといった彼の無計画さには呆れるばかりですが、そこで一歩ずつ実績を残して世界的な研究者として出世する過程も、他人を押しのけてでも自らの研究成果をアピールするという当時の日本人に殆ど見られなかった自己主張の強さが良い作用をもたらした面があります。

つまり奴隷同然の待遇から世界の国々から来賓として迎えられるほどの研究者になってゆくストーリーは、綺麗事が殆ど入り込む余地のない生々しいものであり、そこから等身大の"野口英世"が浮かび上がってきます。

もちろん美談もありますが、物語全体では偉人として幻滅するエピソードの方が多いような気がします。

結果的に大きな愛情を注いでくれた母・シカ、そして多大な援助をしてくれた人びとに充分な恩返しをする間もなく、黄熱病によって世を去ることになります。

しかし猪苗代湖近くの貧しい農家に生まれ育ち、世界へと羽ばたいた偉大な学者が存在したというのは事実であり、それは決して美しい姿ではなかったもしれませんが、人びとに鮮烈な記憶を残して去っていったということは間違いありません。


世間一般に浸透している左手にハンデを負いながらも、地道な努力によって名声を手に入れたという輪郭のぼやけた聖人君主の"野口英世"よりも、人間としてさまざまな欠点のある生々しい"野口英世"に魅力的に感じてしまうのだから不思議です。