レビュー本が1000冊を突破しました。
引き続きジャンルを問わず読んだ本をマイペースで紹介してゆきます。

遠き落日(上)

遠き落日(上) (集英社文庫)

日本の偉人列伝の中に名を連ねる"野口英世"。

私自身も子どもの頃に家族旅行、修学旅行と2度ほど猪苗代湖の湖畔にある野口英世記念館に訪れた思い出があります。

その記念館で買ってもらった伝記を小学生の頃に読みましたが、一般的な野口英世のイメージをなぞる内容だったと記憶しています。

特に幼児の頃に囲炉裏で大やけどを負い、左手にハンデを抱えるというエピソードは、あらゆる伝記で有名なエピソードです。

また大変貧しい家庭の中で育ち、不自由な左手を馬鹿にされる英世(精作)を庇い、励ます母・シカの元で勉強に励み、やがて世界的に有名な細菌研究者として名を馳せるといったものが、多くの伝記に共通するあらすじではないでしょうか。

たしかに親であれば、子どもへ野口英世の爪の垢を煎じて飲ませたいほどの美談ですが、当時の私にとってあまりにも現実離れした内容であり、また彼の偉業の具体的な内容を理解できる知識が無かったこともあり、"何となく偉い人"という印象に留まっていました。

蛇足ながら当時の千円札は"伊藤博文"であり、なおさら"野口英世"を身近に感じる機会がありませんでした。。

本書は外科医出身であり、日本を代表する作家でもある渡辺淳一が8年におよぶ構想の末に描き上げた、野口英世の伝記小説です。

著者は野口英世の辿った足跡を追って、アメリカ、南米、そしてアフリカにまで取材に行ったという熱の入れようです。

そして偉人の伝記にありがちな虚像と実像の溝を埋めて等身大の人間・野口英世を描いたという点に本書の特徴があり、大人向けの伝記であるといえます。

英世の母・シカは朝早くから夜遅くまで身を粉にして働き、貧しい中で3人の子どもを育てますが、その原因は母子家庭であることではなく、父親が怠け者でおまけにアルコール中毒者であり、貧乏に嫌気が差して失踪してしまうことに原因がありました。

彼は行き場を失って英世が成人ののちに家に帰ってきますが、英世自身は生涯、父親として認めることはなく冷淡に遇し続けました。

そんな環境にも関わらず英世が研究者として就職できた最大の理由は、彼自身の天賦の才能によるものでした。

それは級友、恩師や友人から"金をせびる"ことであり、教科書から学校へ通うための教育費、更には遊興から女遊びまで借金で賄うという才能です。

実際には"借金"というべきものではなく、返済されることは皆無といっていいものでした。

研究者として渡米する際にも、渡航費用の一切をスポンサーたちからの資金集めで賄い、また渡米直前となってそのすべてを遊興(正確には羽目を外し過ぎた自らの送別会)で使い果たすといった逸話は、通常の人間では考えられません。

つまり彼自身の金銭感覚が皆無であり、一種の人間的欠陥といえるまでに酷いもだったということです。

それでも人のいい恩師の血脇守之助は、英世の世間体を取り繕うために家財を担保に入れてまで渡米費を作り出すといった涙ぐましい援助を行います。

また地元の旧友であり、金持ちの薬屋の息子である八子弥寿平にいたっては、家業が傾くほどの莫大な援助を英世へ行い続けました。

これだけの金をせびるという行為は、やはり通常の神経を持った人間であればとても真似できるものではありません。

勉学上の援助の枠をはるかに超えた援助にも関わらず、無限の浪費癖のある英世はいつも金に困っていました。

驚きべきことに、彼が名声と地位を得るに従って膨大な報酬を得るようになってからも状況はまったく変わりませんでした。

小・中学生向けとしてはお薦めできませんが、大人にはぜひ読んでもらいたい伝記です。