箱根の坂(中)
引き続き、後北条家の土台を築いた早雲の一生を描いた「箱根の坂」の中巻をレビューしてゆきます。
乱世の隙に乗じて大名になる気など毛頭も無かった北条早雲が皮肉にも立身出世してゆくきっかけは少々複雑ですが、順を追って説明すると次のようになります。
- 早雲の義妹であった千萱が上京してきた駿河守護今川義忠の元へ嫁入りする。
- やがて千萱は、義忠の嫡男となる竜王丸を出産したことで北川殿と呼ばれ今川家で重要な地位を占めるようになる。
- しかし隣国遠江を争っていた義忠は、その最中に討ち死してしまう。
- 嫡男である竜王丸は幼く、義忠の従兄弟であった範満により駿河の実権を奪われてしまう。
- さらに隣国の堀越公方や扇谷上杉家が介入してくるに及んで、竜王丸と北川殿の立場が危機的なものとなる。
- 北川殿の要請により早雲が駿河へ下り、家督争いの調停に乗り出す。
ここで重要なのは、駿河へ下向した時点での早雲はこの時点で40代の半ばという当時としては初老ともいうべき年齢であり、しかも何の実力も持たない一介の浪人にしか過ぎず、唯一、北川殿の兄という立場のみが早雲を支える拠り所だったことです。
また長年に渡り繰り広げられた応仁の乱により京が荒れ果て、落ち潰れた名門のしかも傍系であった早雲が食い扶持に困っていたという経済的な問題も無視できないかも知れません。
ともかく早雲は危機的状況に立たされることによって本来持っていた政治的、また軍事的才能を存分に発揮する機会に出会ったのです。
自ら望んで殆ど空城になっていた駿府の東端にある興国寺城に入城するに及んで、小さいながらも一国一城の主となる早雲ですが、それはまるで遅すぎた青春が彼のもとにも訪れたかのようです。
前半生を過ごした京都で旧来の権力者たちの力が没落する様を身近に見てきた早雲には、新しい時代が到来する確信があったに違いありません。
箱根の坂(上)
いわゆる"日本の戦国時代"という時期には諸説あるものの、正確な年代の定義はないようです。
個人的には1495年に北条早雲が小田原城を攻略したタイミングから本格的な下克上、つまり戦国時代の幕開けとするのがもっとも象徴的で分かり易いと考えています。
本書はそんな北条早雲の生涯を描いた司馬遼太郎氏の歴史小説です。
早雲の前半生は、室町幕府(将軍)や公家の権威、つまり旧来の価値観が色濃く残っていた時代であり、その後半生は人生観や宗教観が新しく切り替わりつつある時代を生きたといえます。
よって早雲の前半生は没落しつつある名門に所属しながら平穏に生きていた時期であり、彼が駿河へ下向して活動を始めるのは40代半ばという、当時では隠居して余生を送っていてもおかしくない年齢から世に出ます。
当然のように早雲の前半生には特筆すべき出来事もないのですが、司馬遼太郎氏の手にかかると抜群に面白い小説になるのです。
有力な守護代、足利将軍家に端を発する後継者争いが発展した応仁の乱、こうした支配層に業を煮やした人々が起こした国人一揆、さらに民衆たちの間で急速に広がった時宗や一向宗といった新興宗教など、1つの時代が終わることを暗示するような出来事が連鎖するように次々と起きています。
このような時代の雰囲気を著者は俯瞰しながらも、序盤の展開を京都の南東の山奥にある田原荘(たはらのしょう)から出てきた農民、山中小次郎の視点を中心にストーリーを進めてゆきます。
そんな小次郎が出会った早雲(新九郎)は、そんな時代の変化を肌身で感じながらも代々の生業である鞍作りを細々と続けるしか選択肢のない冴えない中年男に過ぎませんでした。
大きな時代の境目を生きた早雲(この頃は新九郎と呼ばれていました)ですが、のちに次々と現れてくる戦国大名のような豪快な野心家とは異なる雰囲気があります。
没落しかけた、たとえ傍系ではあっても名門武家の出身であった早雲には、自らの才覚のみを頼りに裸一貫で成り上がろうとする野望はありませんでしたが、結果的に戦国大名の先駆者となる数奇な運命を辿ることになるのです。
日米同盟の難問
2012年に坂元一哉氏によって書かれた、還暦を迎えた日米同盟の課題を主題にした1冊です。
著者の坂本氏は大阪大学の教授であり、いわゆる有識者の一員として2002年の外務省主催の外交政策評価パネルの副座長として、また2006年には安倍晋三首相の私的諮問機関の有識者委員を務めた経歴があります。
現在、安保関連法案の閣議決議の是非を巡って国会が紛糾していますが、もっとも焦点となっている集団的自衛権の行使について本書では肯定的な立場をとっており、著者の集団的自衛権や憲法解釈に対する考えが自民党へ対し、ある一定の影響力を与えていると推測することが可能です。
本書は1冊を通じて著者の考えを起承転結で書いたものではなく、学会報告や国会での参考人陳述の原稿なども収められています。
著者の安保条約に関する論点は多岐に渡っていますが、そのポイントを以下に挙げてみます。
- 政府は安保条約に関する密約(朝鮮半島有事に関する密約、核持ち込み)を公開すべき時期に来ている
- 現在の「基地と安全保障の交換」という形での日米同盟はいびつであり、出来る限り相互防衛という本来あるべき形に近づけるべきである
- 憲法改正を行わずとも、集団的自衛権の行使を容認する解釈は可能である
- 昨今の国際情勢を考えると、日本の安全のために日米同盟強化が必要であり、その実現のために集団的自衛権の容認は必須条件である
- ただし集団的自衛権の行使は慎重、かつ制限的であるべきである
おおよそ安部首相を中心とした自民党の説く安保関連法案の必要性と一致しています。
本書を読み進めると、「安保関連法案の成立=日本が戦争に巻き込まれる」という単純な理論では反論できないことが分かります。
戦争に反対するという立場は著者も一貫しており、つまり集団的自衛権を認めない憲法第九条の遵守と、集団的自衛権の行使を含めた第九条の解釈のいずれかが日本の安全保障にとってより戦争の「抑止力」となり得るかが論点になるのです。
集団的自衛権の行使を認めればアメリカと敵対する国との戦争に巻き込まれる可能性がありますし、その行使を認めなければ日本が一方的な侵略戦争の標的になったときに現行の日米同盟が充分に機能しない可能性もあるのです。
本書の内容と少し逸れますが、もっとも極論でいえば日米同盟を世界最強の軍事同盟に発展させて将来脅威となりうる国を先制して殲滅するという選択肢もあれば、一切の武力を放棄して侵略戦争の際には無条件降伏によって日本人の命を守るという選択肢もあり得るのです。
もちろん本書で著者の主張する考えは理論的であり決して荒唐無稽なものではありませんし、著者の考えに反論する識者の理論も同様です。
国際情勢含めた未来を完璧に予測することは誰にとっても不可能であり、どちらの理論も現実的である以上、やはり重要になってくるのは国民1人1人の考え、ひょっとすると個人の主義・信条、宗教観にまで関わってくる問題になるのです。
いずれにしてもその答えを出すためには、頭の中を一度リセットして両方の考えを客観的に聞いて考えるフェーズが必要なのではないでしょうか。
ただし少なくとも慎重かつ充分に民意を問わないままアメリカ議会で安保関連法案の改定を約束し、その閣議決議を目指そうとする今の自民党の姿勢には賛同できません。
藪の中
巷で騒がれている芥川賞ですが、今回は本家である芥川龍之介の作品を紹介します。
本書には芥川龍之介の代表的な短篇作品が6篇収められています。
- 藪の中
- 羅生門
- 地獄変
- 蜘蛛の糸
- 杜子春
- 鼻
芥川龍之介の小説は、川端康成のような綿密に構成された物語のような小説でも、太宰治のようないわゆる私小説とも系統が違います。
本書に収められている作品は古典を題材したものでありながらも、単に現代日本語によって書き直した通り一遍の昔話としてではなく、優れた小説として再構築されている感があります。
私自身も国語で羅生門を読んだ記憶がありますが、古典を題材にとっている点で教科書にも掲載しやすい作品であり、多くの日本人に馴染みのある作家ではないでしょうか。
大家の作品だからといって、格式の高い洗練された日本語で書かれている小説だと評価するつもりはありません。
ただし情景描写が大変分かり易く、大人が読んでも、中学生が読んでも芥川龍之介の作品は印象に残りやすいのではないでしょうか。
2時間もあれば読めてしまう分量のため、本格的に読書に取り組もうといういう気概が無くとも、ちょっとした時間に楽しむ小説としては最適ではないでしょうか。
安保条約の成立
普天間基地移設問題、国会で紛糾している安全保障法案。
この2つの問題に共通するキーワードは"アメリカ"であり、この問題の源流を遡ると、1951年に締結された日米安全保障条約(通称:安保条約)に辿り着くことが分かります。
本書は今から約20年前の1996年に出版されていますが、当時の外務省から公開された文書、アメリカの公開文書、そして当事者たちの証言を整理してその真相に迫った1冊です。
安保条約の締結までに幾つかの草案が作成され、また水面下で数多くの交渉を経て締結されたことが分かります。
細やかな経緯については本書を読んでもらうとして、ここでは幾つかのポイントを紹介したいと想います。
まず1点目に安保条約を結ぶにあたり、必ずしも戦勝国のアメリカの立場が強く、そして敗戦国である日本の立場が弱かったわけではないという点です。
ソ連を筆頭とする共産主義陣営との対立、そして当時勃発した朝鮮戦争においても日本の戦略的地位の重要性は高まり、アメリカの安全や権益の維持にとっても日米安保条約締結は不可欠な要素でした。
マッカーサーが示唆したように、日本にはいずれの陣営にも属さない"中立国"の立場を目指すといった選択肢もあったのです。
しかし日本はこのカードを有効に活用するとが出来ず、日本からの原案が「日本は米国軍隊の駐在に同意する」であったにも関わらず、アメリカの「米国軍隊の駐在を日本は要請し、合衆国は受託する」といったアメリカの理論にすり替わり、相互平等の防衛条約とはならなかった点です。
この基本理念が、安保タダ乗り論、米地位協定の根本的な問題となっています。
著者は「日本が米国軍に駐屯してもらいたい」という関係だけでなく、むしろ「米国が日本に駐兵したいこともまた真理」という「五分五分の理論」を明確にした上で交渉で望むべきであったと主張しています。
次に日米安保条約によって在日米国軍隊による日本防衛の確実性が担保されていない点です。
日本側は、日本の防衛がアメリカにとっての国益にも叶うという目的で安保条約の締結を目指しましたが、実際には極東条項に代表されるように、"日本と極東の平和に寄与する"というものに置き換えられた点です。
しかも極東の解釈は中国全土、ソ連も含む広大なものであり、明らかにアメリカにとっての戦略上の都合であることは明らかです。
これは米国軍隊は日本から借用している基地を"日本の防衛"に直接関係のない軍事行動にも自由に使用できることを意味しており、アメリカが第三国と交戦した場合、日本が標的にされる危険性を持っています。
予想通りというべきか、今やこの地域は全世界的に及び、のちのベトナム戦争、まだ記憶に新しいアフガニスタン、イラクとの戦争の出撃基地として日本国内のアメリが軍基地が利用されてゆくことになりました。
自衛隊の海外派兵問題も、こうした拡大解釈され続けた安保条約に起因している部分が少なくありません。
最後に断片的に残された、あるいは公開されている記録を辿ってゆくと、日本は安保条約の締結にあたり二重外交を行ったという仮説を立てている点です。
もちろん外交の主体は当時の首相である吉田茂ですが、もう1つの交渉の軸として昭和天皇の影響力に言及しています。
戦後の新憲法において天皇は政治に関与しない「象徴天皇」となりますが、連合軍最高司令官マッカーサー、そしてアメリカの外交責任者であるダレスと接触していたのは事実です。
当時国内外で脅威になりつつあった共産主義、そして共産主義国家が国内に成立したときに決して存続することの許されない天皇制という不安要素を前に、危機感を募らせた昭和天皇が吉田茂を叱責し、安保条約締結を急がせたというものです。
戦前から官僚、また政治家として活動していた吉田茂にとって、たとえ戦後であっても昭和天皇の影響力は少なくないと考えるのは不思議ではなく、実際に吉田は戦後も天皇へ対し自らを「臣茂」と称するほどだったのです。
外見からは戦後70年が平和に経過したように見えても、先の大戦の影響は色濃く現在でも残り続け、歴史は連続していることを痛感します。
またその"連続性"を知らなければ、現在起きている問題も正しく議論できないのではないでしょうか。
ニホンミツバチが日本の農業を救う
長年に渡りニホンミツバチを養蜂し、その生態の研究を続けてきた元高校教師でもある久志冨士夫氏による著書です。
はるか昔から日本の自然と共生してきた野生昆虫であるニホンミツバチの名前を知っていても、その生態に詳しい人は少ないのではないでしょうか。
例えば普段人間たちが食用にしているハチミツは大部分が輸入品、もしくは外国から持ち込まれたセイヨウミツバチを日本の養蜂家が飼育して採取したものであり、アフリカを起源とするセイヨウミツバは日本の自然環境下において人間の保護なしには生存できない種類のハチです。
もちろんニホンミツバチの巣からもハチミツを採取することは可能であり、しかも美味らしいのですが、そのハチミツが広く流通されていないのは、その生産効率がセイヨウミツバチの8分の1程度であり、何よりもニホンミツバチへ対する理解不足から正当な評価をされていないことに起因すると著者は主張しています。
かくいう私も本書を読むまでは、ニホンミツバチとセイヨウミツバチの見分け方さえ知りませんでした。
生息数が減少したとはいえ、未だ日本各地に生息しているニホンミツバチは身近な存在であり、古くから人間と共存してきた友人でもあるのです。
そのニホンミツバチの持つ驚異的な能力、生態には驚くばかりであり、例えばセイヨウミツバチはオオスズメバチへ対して何の防御手段も持たない無力な存在ですが、ニホンミツバチは蜂球と呼ばれる群れでスズメバチを取り込み熱殺するという対抗手段を持っています。
また農作物や雑木林の受粉にも大きな役割を果たしており、ニホンミツバチは人間にとって有益ではあっても決して恐れる存在ではありません。
ちなみに、その殺傷能力で恐れられているススメバチでさえも他の昆虫を捕食することで、増え過ぎた害虫を駆除してくれるという点で有益といえます。
本書では人間に馴れることが出来るニホンミツバチに留まらず、危険なオオスズメバチとの付き合い方、またニホンミツバチをオオスズメバチから保護する巣箱の作り方まで広範囲に紹介しています。
加えてニホンミツバチはセイヨウミツバチとは違い、巣からの採蜜でさえも防護服なしで行えるほどの穏やかな性格を持っています。
一方で近場の山へ行っても人工的な杉をはじめとした針葉樹が目立ち、ニホンミツバチの食料となる広葉樹が少ない人工的な自然が多いことに悲しみを覚えます。
つまり「ニホンミツバチの生息が難しい環境」=「日本本来の自然ではない」ことを意味するからです。
ニホンミツバチは人間が住み着くはるか古来より日本中の山々の樹木を豊かにし、人間が農作物の栽培を開始した後にもその受粉を助け、さらには美味しいハチミツさえも提供してきたのです。
本書の後半ではそんなニホンミツバチが絶滅してしまった長崎県の多くの離島で、ニホンミツバチ復活プロジェクトに取り組む著者の活動記録が紹介されています。
普段ほとんどの人が見向きもしないニホンミツバチの驚くべき生態系を知ると、思わず野外でその姿を探さずにはいられなくなります。
ローマ人の物語〈43〉ローマ世界の終焉〈下〉
約4ヶ月に渡ってブログで紹介し続けた「ローマ人の物語」もいよいよ今回で最終回です。
残念ながらローマ帝国は前回で滅亡していますが、本巻ではローマ帝国の中枢だったイタリア半島を巡る蛮族たちにの統治時代、そしてその奪還を試みる東ローマ帝国(ビザンチン帝国)との抗争が中心に紹介されています。
蛮族の混成軍を率いたオドアケル、続いて東ゴート族を率いたテオドリックによって約半世紀に渡ってイタリア半島は蛮族の支配を受けることになります。
そして意外なことに、西ローマ帝国が蛮族との戦いに明け暮れた時代よりも平和を取り戻すことになるのです。
"蛮族"と表現すれば当然のように"野蛮"というイメージに結びつきますが、敵対関係とはいえ長年に渡りローマ人を見てきたオドアケルやテオドリックは、もはや未開の蛮族などではなく、内政に精通したローマの旧支配者階級(旧元老院階級)の人材を活用することで安定した治世を実現するのです。
つまり「パクス・ロマーナ(ローマによる平和)」から「パクス・バルバリカ(蛮族による平和)」の時代へと移り変わったのです。
しかし皮肉なことに、この束の間の平和を壊すのは元同胞たちであった東ローマ帝国なのです。
すっかりオリエンタル地方特有の絶対君主制が根付いた東ローマ帝国のユスティニアヌス大帝は「ローマ法大全」を編纂させたことで歴史上有名ですが、カトリック教徒を蛮族の支配から解放するという大義名分の元、滅亡した西ローマ帝国の旧領を回復するという事業にも熱心に取り組んだ人物でした。
軍事の経験が一切なく、自ら戦場へ赴くなど微塵も考えなかったユスティニアヌス帝は、ベリサリウス将軍へ軍勢を預けて遠征を実行します。
一方でかろうじて安全保障を保っている東ローマ帝国には大軍を編成できるほどの国力を持っていませんでしたが、このベリサリウスが司令官として抜群に有能だったことから、少数の軍勢で目を見張る活躍を見せます。
相手の数に劣る軍勢で敵軍を破る指揮官ならばアレキサンダー大王、ユリウス・カエサルはじめ6世紀の時点でも数々の先達がいましたが、彼らとベリサリウスが決定的に違うのは、前者が指揮官として優れていただけでなく、将来への大きなビジョンと野望を持っていたのに対し、ベリサリウスは皇帝の命令に忠実な根っからの軍人に徹したことです。
そしてイタリア半島を巡る18年間に及ぶ戦役が開始され、ローマを含めたイタリアは徹底的に破壊され続けます。
人口は激減し、土地は荒廃し、生き残った住民たちも重税によって苦しみ続けるのです。
結果として東ローマ帝国の国力も疲弊し、やがてマホメットによって開かれたイスラム教が拡大し、のちにイスラム国家の台頭に伴い中世が幕を開けるのです。
もはや古代ローマ人といえる人物は皆無であり、「ローマ人の物語」は終焉を迎えます。
本書「ローマ人の物語」を分類するのであれば歴史小説になりますが、基本的には史実にのみ基づいて一人称ではなく、ローマ史を俯瞰的に描いています。
文献が少ない出来事については著者の想像や推測で補うことはしても、はっきりとそれを読者へ伝える方法をとっています。
しかしそれだけであれば本書は「ローマ通史の教科書」ということになりますが、やはり歴史小説と断言できるのは、著者の主観、そして何よりも古代ローマ人への想いが作品の隅々にまで散りばめられているからです。
1200年以にも及ぶ期間、そして数々の登場人物を考えれば文庫本にして全43冊という分量となるのは当然であり、著者の塩野七生氏がラテン語、イタリア語に精通して長年に渡りイタリアを拠点に活動し続けた作家ということを考慮に入れても、やはり日本人が本書のような作品を完成することができたのは快挙ではないでしょうか。
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