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安保条約の成立

安保条約の成立―吉田外交と天皇外交 (岩波新書)

普天間基地移設問題、国会で紛糾している安全保障法案

この2つの問題に共通するキーワードは"アメリカ"であり、この問題の源流を遡ると、1951年に締結された日米安全保障条約(通称:安保条約)に辿り着くことが分かります。

本書は今から約20年前の1996年に出版されていますが、当時の外務省から公開された文書、アメリカの公開文書、そして当事者たちの証言を整理してその真相に迫った1冊です。

安保条約の締結までに幾つかの草案が作成され、また水面下で数多くの交渉を経て締結されたことが分かります。
細やかな経緯については本書を読んでもらうとして、ここでは幾つかのポイントを紹介したいと想います。

まず1点目に安保条約を結ぶにあたり、必ずしも戦勝国のアメリカの立場が強く、そして敗戦国である日本の立場が弱かったわけではないという点です。
ソ連を筆頭とする共産主義陣営との対立、そして当時勃発した朝鮮戦争においても日本の戦略的地位の重要性は高まり、アメリカの安全や権益の維持にとっても日米安保条約締結は不可欠な要素でした。

マッカーサーが示唆したように、日本にはいずれの陣営にも属さない"中立国"の立場を目指すといった選択肢もあったのです。

しかし日本はこのカードを有効に活用するとが出来ず、日本からの原案が「日本は米国軍隊の駐在に同意する」であったにも関わらず、アメリカの「米国軍隊の駐在を日本は要請し、合衆国は受託する」といったアメリカの理論にすり替わり、相互平等の防衛条約とはならなかった点です。

この基本理念が、安保タダ乗り論米地位協定の根本的な問題となっています。

著者は「日本が米国軍に駐屯してもらいたい」という関係だけでなく、むしろ「米国が日本に駐兵したいこともまた真理」という「五分五分の理論」を明確にした上で交渉で望むべきであったと主張しています。


次に日米安保条約によって在日米国軍隊による日本防衛の確実性が担保されていない点です。
日本側は、日本の防衛がアメリカにとっての国益にも叶うという目的で安保条約の締結を目指しましたが、実際には極東条項に代表されるように、"日本と極東の平和に寄与する"というものに置き換えられた点です。

しかも極東の解釈は中国全土、ソ連も含む広大なものであり、明らかにアメリカにとっての戦略上の都合であることは明らかです。

これは米国軍隊は日本から借用している基地を"日本の防衛"に直接関係のない軍事行動にも自由に使用できることを意味しており、アメリカが第三国と交戦した場合、日本が標的にされる危険性を持っています。

予想通りというべきか、今やこの地域は全世界的に及び、のちのベトナム戦争、まだ記憶に新しいアフガニスタン、イラクとの戦争の出撃基地として日本国内のアメリが軍基地が利用されてゆくことになりました。

自衛隊の海外派兵問題も、こうした拡大解釈され続けた安保条約に起因している部分が少なくありません。


最後に断片的に残された、あるいは公開されている記録を辿ってゆくと、日本は安保条約の締結にあたり二重外交を行ったという仮説を立てている点です。

もちろん外交の主体は当時の首相である吉田茂ですが、もう1つの交渉の軸として昭和天皇の影響力に言及しています。

戦後の新憲法において天皇は政治に関与しない「象徴天皇」となりますが、連合軍最高司令官マッカーサー、そしてアメリカの外交責任者であるダレスと接触していたのは事実です。

当時国内外で脅威になりつつあった共産主義、そして共産主義国家が国内に成立したときに決して存続することの許されない天皇制という不安要素を前に、危機感を募らせた昭和天皇が吉田茂を叱責し、安保条約締結を急がせたというものです。

戦前から官僚、また政治家として活動していた吉田茂にとって、たとえ戦後であっても昭和天皇の影響力は少なくないと考えるのは不思議ではなく、実際に吉田は戦後も天皇へ対し自らを「臣茂」と称するほどだったのです。


外見からは戦後70年が平和に経過したように見えても、先の大戦の影響は色濃く現在でも残り続け、歴史は連続していることを痛感します。

またその"連続性"を知らなければ、現在起きている問題も正しく議論できないのではないでしょうか。