箱根の坂(上)
いわゆる"日本の戦国時代"という時期には諸説あるものの、正確な年代の定義はないようです。
個人的には1495年に北条早雲が小田原城を攻略したタイミングから本格的な下克上、つまり戦国時代の幕開けとするのがもっとも象徴的で分かり易いと考えています。
本書はそんな北条早雲の生涯を描いた司馬遼太郎氏の歴史小説です。
早雲の前半生は、室町幕府(将軍)や公家の権威、つまり旧来の価値観が色濃く残っていた時代であり、その後半生は人生観や宗教観が新しく切り替わりつつある時代を生きたといえます。
よって早雲の前半生は没落しつつある名門に所属しながら平穏に生きていた時期であり、彼が駿河へ下向して活動を始めるのは40代半ばという、当時では隠居して余生を送っていてもおかしくない年齢から世に出ます。
当然のように早雲の前半生には特筆すべき出来事もないのですが、司馬遼太郎氏の手にかかると抜群に面白い小説になるのです。
有力な守護代、足利将軍家に端を発する後継者争いが発展した応仁の乱、こうした支配層に業を煮やした人々が起こした国人一揆、さらに民衆たちの間で急速に広がった時宗や一向宗といった新興宗教など、1つの時代が終わることを暗示するような出来事が連鎖するように次々と起きています。
このような時代の雰囲気を著者は俯瞰しながらも、序盤の展開を京都の南東の山奥にある田原荘(たはらのしょう)から出てきた農民、山中小次郎の視点を中心にストーリーを進めてゆきます。
そんな小次郎が出会った早雲(新九郎)は、そんな時代の変化を肌身で感じながらも代々の生業である鞍作りを細々と続けるしか選択肢のない冴えない中年男に過ぎませんでした。
大きな時代の境目を生きた早雲(この頃は新九郎と呼ばれていました)ですが、のちに次々と現れてくる戦国大名のような豪快な野心家とは異なる雰囲気があります。
没落しかけた、たとえ傍系ではあっても名門武家の出身であった早雲には、自らの才覚のみを頼りに裸一貫で成り上がろうとする野望はありませんでしたが、結果的に戦国大名の先駆者となる数奇な運命を辿ることになるのです。