本と戯れる日々


レビュー本が1000冊を突破しました。
引き続きジャンルを問わず読んだ本をマイペースで紹介してゆきます。

危険ドラッグ 半グレの闇稼業



1年前に池袋で危険ドラッグを吸った男が、車で通行人を次々とはね飛ばす痛ましい事件を起こしたのは、まだ記憶に新しいのではないでしょうか。

本書はそんな危険ドラッグの全容に迫った1冊です。
"まえがき"に書かれている以下の文からも著者が明らかにしようとした主題は非常に明確です。

筆者は危険ドラッグの実態を調査する上で、主に供給者側の理論を明らかにするように努めた。すわちどのような人が何を思って作り、何を思って売っているか、である。危険ドラッグを供給する側は加害者といってよかろう。加害の側を見ることで危険ドラッグ業界の構造がより明らかになるにちがいない。
~中略~
筆者が意図するのはシノギ構造の解明である。どの程度の経済規模か、危険ドラッグはどこからどのようにして入って来るのか。利益はどのくらいか、シノギとしての将来性はどうか、業界人はなぜこの業界に進出したのか、どのような人間が従事しているのか、などである。

著者の溝口敦氏は、ノンフィクション作家、ジャーナリストとして長年に渡りヤクザ(つまり暴力団)の取材を続けてきた実績があり、そのため過去にはかなり危険な目にも会っています。

つまり日本の裏社会にもっとも精通した作家の1人であるため、"危険ドラッグの供給者"という一般人が接触することが困難な人物へ対しても取材を可能にする人脈をもった、まさに本書を執筆するのに相応しい作家なのです。

製造から流通、人体へ与える有害性に至るまで、およそ一般市民が危険ドラッグへ対して持っておくべき知識のすべてが本書に詰まっているといっても過言ではありません。

危険ドラッグから自分の身を守る知識としてはもちろん、年頃の子どもがいる親であれば是非とも一読しておきたい1冊です。

少なくとも長々とワイドショーを見るよりも、本書を1冊読んでおく方がはるかに有益であると断言できます。

関係者への地道な直接取材を重ねなければ本書が完成することはなかったと思うと、著者の姿勢には頭が下がる思いです。

男の一生 (下)



前回に引き続き、遠藤周作氏による秀吉に仕えた武将・前野長康(通称:将右衛門)を主人にした長編戦国歴史小説のレビューです。

当然のように本作は将右衛門の生涯をなぞる形で物語が展開されてゆきますが、そこには将右衛門の妻あゆを始めとして、将右衛門が密かに憧れを抱く、または彼の運命を左右する女性の姿が現れては消えてゆきます。

まずは信長の側室となる吉乃、そして信長の妹であるお市と、彼女の娘でのちに秀吉の側室となる茶々(淀殿)、息子の妻となる於蝶、養女のお辰、女諜者として登場するお栄といった数々の女性が登場します。

彼女たちはヒロインとして物語を彩ると同時に、社会的地位の低かった当時の女性たちが弱者として運命に翻弄され続ける姿に戦場では勇敢に活躍する将右衛門が同情するシーンが何度も登場します。

そこには作品の時代背景、ジャンルを越えて常に世の中の弱者に焦点を当て続けた遠藤氏の一貫したメッセージが見て取れます。

やがて時代が流れ、信長秀吉の陣営に属した武将として長らく勝者の立場であり続けた将右衛門自身も例外ではなくなります。

その将右衛門の置かれた立場は、現在社会の中にも容易に見つけることができます。

たとえば墨俣一夜城小六(蜂須賀正勝)とともに奮戦し、秀吉を黎明期から支え続けてきた小豪族の将右衛門は、いわば高卒で会社に就職し、その会社の成長に大きく寄与してきた叩き上げの社員です。

彼の活躍は誰もが認めるものでしたが、やがて会社が大きく成長し、石田三成小西行長といった後輩の一流大学出身のエリート組に出世で追い抜かれ、社長の血縁組である加藤清正福島正則にも同様に追い抜かれ、さらにライバル会社から引き抜かれた徳川家康前田利家といった幹部にも大きく差を開けられます。

現場一筋で通してきた将右衛門は組織の経営やマネジメントといった分野に疎く、子会社(豊臣秀次)の重役として出向させられます。

すっかり定年間近となった将右衛門は、遠い昔に秀吉たちと共に不安定な創設期を過ごした日々を振り返り、その時代がもっとも自分が輝いていた時期だったことに気付くのです。

しかし子会社の経営に失敗した社長(秀次)の責任に連座させられ、最終的には親会社の命令で辞任(切腹)を強制されることになるのです。

もっとも長い期間に渡って苦楽を共にしてきた秀吉は大企業の社長として絶対的な権力を振るうようになった途端に人が変わってしまい、そんな将右衛門との絆を忘れてしまったかのような容赦のない決断を下したのです。

これを単純に人間にとっての幸福は地位や金では測れないという結論を導き出すのは安易に過ぎるように思えます。

そこには不器用で時代の流れに取り残されながらも、自らの人生を生き抜いた「男の一生」が堂々と横たわっているのです。

男の一生 (上)



遠藤周作氏による戦国歴史小説です。

主人公は秀吉にもっとも早い時期に仕えた家臣として、幾多の戦場で活躍した前野長康(通称:将右衛門)です。

とはいえ前野長康の名前と経歴を知っている人はかなりの戦国マニアといえます。

将右衛門の盟友であり同じ時期に秀吉に仕えはじめた蜂須賀正勝(通称:小六)は、その家系がのちに徳島藩として明治まで存続していたこともあり、その知名度が高いですが、有名な墨俣一夜城から小牧・長久手の戦いに至るまでの2人の経歴はほとんど重なります。

もっとも遠藤氏は歴史に埋もれた偉人から"前野長康"という人物を掘り起こして小説の題材にした訳ではありません。

遠藤氏の他の歴史小説にも言えることですが、やはりそこからは"文学的テーマ"を感じることができます。

将右衛門も小六も木曽川流域の海運によって勢力を蓄えた"川並衆"として生計を立てていましたが、その勢力は"小豪族"という程度の規模であり、代表的な戦国大名の前身"守護代"ほどの実力は備えてなく、かといって北条早雲斎藤道三、そして彼らの主人である羽柴秀吉のように裸一貫で成り上がるといった強烈な上昇志向も持ち合わせていませんでした。

つまり戦国時代に生きる小豪族の方針は、将右衛門や小六がそうであったように「強い勢力に味方する」といった現実的な路線だったのです。

そしてたまたま仕えた秀吉がのちに"天下人"になるのは、ある意味で幸運だったといえます。

それだけに将右衛門は、多くの栄枯盛衰、もっと具体的に言えば勝者の立場から敗者たちを多く見てきたのです。

まずは信長によって抹殺された弟や叔父といった一族にはじまり、織田家を凌ぐ勢力を誇った今川家、斎藤家、名門の朝倉や浅井といった大名たちの滅亡、やがて織田家自体の瓦解、柴田家といった有力ライバルの滅亡を間近で見てきた視点を将右衛門の目を通して描いてゆくのです。

この将右衛門の視点というのは絶妙な立ち位置だといえます。

秀吉自身は一途に立身出世位に邁進する性格であり、結果的に自身が歴史の一時代を築き上げるため冷静な視点が不足しています。
また小六については最後まで秀吉の忠実な家臣であり続けたため、やはり秀吉の視点に近すぎます。

本書は1959年に発見された「武功夜話(別名:前野家文書)」を呼ばれる古文書を原作に位置付けて小説家した作品です。

「武功夜話」自体の信憑性は高くありませんが、それは遠藤氏の作品の中ではそれほど大きな問題ではありません。

遠藤氏がどのようなテーマを読者に与えたかったのか、それを将右衛門の視点からじっくりと考えながら読むのが相応しい作品ではないでしょうか。

椿山課長の七日間



人間はいつしか死ななければならない。

それなりの寿命で家族に看取られながら死ぬのであれば幸せだと思いますが、中にはある日突然死ぬことになる不幸な人もいるわけであり、自分がどちらに当てはまるかはその時になってみなければ分からないのが人生です。

本書では不幸にして後者の運命を辿ることになった死者たちを主人公にした小説です。

著者の浅田次郎氏は多様な作風を持っていますが、本書は完全なコメディ小説として書かてれいます。

よって霊界の世界を大真面目に論じた作品ではなく、"あの世"には死者が講習を受けるSAC(スピリッツアライバルセンター)と呼ばれるお役所があり、そこでの講習後に「反省ボタン」を押すだけで極楽に行けるという仕組みが存在します。

主人公の椿山和昭はデパートの婦人服売り場の課長として高卒ながらも順調な出世を果たしますが、妻と小学生の息子、そして購入したばかりの一軒家(中古)のローンを残したまま、過労によって突然死を迎えます。

さらに本作品にはもう2人の主人公ともいうべき人物が登場します。

1人目は人違いで殺害された暴力団組長・武田勇。そして2人目は横断歩道で信号を無視した車にはねられ命を失った小学生・根岸雄太

彼らにはある共通点があります。

それは現世にやり残りした、いわゆる「死んでも死にきれぬ」相応の事情があり、それが認められて死後7日間という期限付きで、仮の別人の肉体で現世に戻れるという特例措置が認めれたのです。

またこの特例措置には3つの厳守事項が存在します。

  • 制限時間の厳守
  • 復讐の禁止
  • 正体の秘匿

かなりいい加減な仕組みですが、ともかく3人は姿形を変えて現世に逆送されるのです。。

ここまでは物語の序盤ですが、まるで演劇の脚本のような筋書きです。

""というテーマはシリアスに考えればどこまでも深みがあり、宗教や哲学という領域に至ってしまうと殆どの日本人が敬遠してしまうのではないでしょうか。

そこをコメディ化することによって単純化してゆくと、案外簡単に割り切れるものかも知れません。

例えば自分が死んだ後、現世に戻ろうが戻るまいが世の中は回り続けるのであり、中には自分の死を悲しんでくれる人がいるかも知れませんが、自分の死後もしばらく生き続ける人たちは意外とたくましくそれぞれの人生を過ごしてゆくのに違いありません。

それに何の悔いもなく死ぬ人など万分の一も存在せず、程度の差こそあれ、誰もが何かをやり残して死んでゆくものだと思います。

ただ本作品のようにたとえ限られた時間であっても、死後にこの世を再び訪れることが出来るならば私自身はどのように過ごすだろうか?

そんな想像をしながら本作品のようなハートウォーミングなコメディを読めるのは、人間が生きているうちの特権の1つに違いありません。

あやし うらめし あな かなし



何となくタイトルから想像できますが、"怪談"をテーマにした浅田次郎氏の短編集です。

本書に収められているのは以下の7編です。

  • 赤い絆
  • 虫篝(むしかがり)
  • 骨の来歴
  • 昔の男
  • 客人(まろうど)
  • 遠別離
  • お狐様の話

著者の浅田氏は怪談や幽霊の類を信じない現実的な性格ですが、一方でダイナミックでロマンチックな人情小説の名手として知られています。

つまり偶然と思えるような運命の必然を物語にするためには、時には"超常現象"といった演出をためらいもなく小説の中に取り込むことが出来る作家であり、これは小説家としての"現実主義"といえるかも知れません。

本書はそんな著者が手掛けた"怪談集"といえる作品であり、霊的な存在を確信している作家が執筆するよりも、より生々しい現実感を読者へ与えてくれる内容になっています。

ただし作品ごとに印象はだいぶ異なります。

赤い絆」、「お狐様」は奥多摩にある神社を舞台にしているだけに、正統派の怪談という雰囲気を漂わせていますが、「虫篝」、「昔の男」、「遠別離」については著者の得意とする人情小説の雰囲気を色濃く感じます。

骨の来歴」、「客人」については完全にモダンホラーといえる作品であり、先ほどは"怪談集"と紹介しましたが、実際には著者の多彩な試みが見て取れる短編集になっています。

もちろん読者によって好みの作品は分かれると思いますが、個人的には「赤い狐」、「お狐様」といった怪談に興味を持ちました。

ホラー作品の完成度は作家の創造力に多くの比重を置き、また浅田氏の創造力の高さは過去の作品からも実証済みです。

一方で怪談としての完成度は歴史的背景の肉付け、もっと具体的にいえば柳田国男のような民俗学的な裏付けが欠かせない要素であり、この側面から見ても完成度の高い、浅田氏の新しい一面を垣間見たような新鮮な作品だからです。

とにかく1冊で色々な怪談を楽しめる贅沢な作品であることに間違いありません。

粗にして野だが卑ではない



副題は"石田礼助の生涯"となっていますが、彼は戦前から三井物産で活躍し、戦中には同社の代表取締役社長、戦後は第5代国鉄総裁といった要職を歴任した昭和を代表する財界人です。

タイトルにある「粗にして野だが卑ではない」は人が彼を評した言葉ではなく、第五代国鉄総裁になり国会で石田自身が自己紹介に使ったセリフです。より正確には以下のようであったそうです。

「嘘は絶対につきませんが、知らぬことは知らぬと言うから、どうかご勘弁を」
「生来、粗にして野だが卑ではないつもり。ていねいな言葉を使おうと思っても、生まれつきでできない。無理に使うと、マンキーが裃(かみしも)を着たような、おかしなことになる。無礼なことがあれば、よろしくお許しねがいたい。」
「国鉄が今日のような状態になったのは、諸君たちにも責任がある」

国会議員の面々を目の前にして、自信に溢れた活気ある挨拶ですが、この時の石田は77歳でした

"マンキー"とは、"山猿"という意味ですが、石田は戦前戦中に三井物産の代表取締役を務めた経歴を持っており、引退後、国府津で半農の悠々自適の生活を送っている時に突如、国鉄総裁の人選が回ってきたのです。

当時は国鉄の効率化が急務でありながらも、国会からの干渉にも耐えねばならないという難しい立場であり、松下幸之助や王子製紙の中島慶次といった大物財界人たちも総裁への就任を断るという有様でした。

財界人としてはこの上ない経歴を持った石田でしたが、平穏な余生を捨てて「これで天国へのパスポートが与えられた」と意気揚々として総裁に就任します。

今まで商売に徹してきた人生の総決算として、「パブリック・サービス」のために残りの人生を尽くすことを決心し、実際に総裁としての給与を受け取ることも拒否します。

三井物産時代には"鬼瓦"とあだ名されたほど恐れられたボスでしたが、国会で孤軍奮闘する姿からは"頼りがいのあるじいさん"として、国鉄職員たちの支持を得ます。

本書は、そんな石田礼助の人生とエピソードをふんだんに散りばめた1冊になっています。

著者の城山三郎氏は、経済小説の開祖と言われ、財界人を題材にした小説を多く手掛けています。

そこには戦国時代の武将や明治維新の志士といった分かり易い英雄は存在しないかも知れませんが、昭和を生きた魅力あるヒーローたちを発掘して読者たちに伝えてくれるのです。

新島八重の維新



新島八重にはじめて興味を持ったのは4年ほど前です。
それは家族旅行で会津を訪れ、白虎隊士が自決した最期の場所であり、また彼らの墓(白虎隊十九士の墓)があることで有名な観光スポット、飯盛山を訪れた時です。

白虎隊の墓へ向かうために石段を登ってゆく途中で私設の資料館(白虎隊記念館)が目に入り、ついでにふらっと入ってゆくと、新島八重にまつわる展示品と彼女の略歴が紹介されている一角を見つけました。

当時は新島八重が2013年の大河ドラマに選ばれた直後ということもあり、資料館としても白虎隊に縁の深い彼女を特設ブースで紹介していたのです。

あいにく大河ドラマには興味が無いため、「八重の桜」を見ることはありませんでしたが、紹介されていた彼女の略歴でひときわ目を引くものがありました。

それは彼女が20代前半の時に、戊辰戦争における鶴ケ城籠城戦に加わり、1ヶ月間にわたり官軍相手に奮戦したというものです。

言うまでもなく鶴ケ城を本拠地とする会津藩は、佐幕(幕府側)のシンボルともいえる大藩であると同時に、その悲劇的な運命でも有名です。

彼女の旧姓は山本であり、代々会津藩砲術指南役を務めてきた家柄に生まれたのです。

いくら武士の娘といはいえ、断髪して銃を担いて入城し砲撃戦に加わるという気概は並大抵のものではなく、その男まさりの激しい気性が近代化してゆく明治の時代になっても発揮され、理解ある夫・新島襄と出会うに至って、当時の女性としては先進的な存在として後世で有名になるのです。

著者の安藤優一郎氏は学者ということもあり、本書は歴史小説としてではなく、あくまでも当時の時代背景を丁寧に解説しながら彼女の生涯を迫っています。

今では女性経営者や管理職が珍しくない時代ですが、当時は彼女の立ち振舞、発言、服装が多くの賛否両論(どちらかといえば批判の方が多かったようです)が巻き起こりますが、それを"昔の日本人の感覚"として片付けるのではなく、やはり彼女が生きた時代を知ってこそ理解力が深まります。

そこからには、"同志社大学を創立した新島襄の妻"としてではなくその前半生を"武士の世"の中で過ごし、まだまだ女性へ対する保守的な概念が強かった明治時代において自立して生きた女性・新島八重の人生がハッキリと見えてくるのです。

プロ野球の職人たち



スポーツジャーナリストの二宮清純氏が"これぞ職人"と認めるプロ野球選手をオールタイムで選び、オーダーを組む形でその"ワザ"に迫った1冊です。

オーダーがそのまま目次になっており、球団フロントやアンパイアまで対象に入れているところに著者のこだわりを感じることが出来ます。

  • 1番センター・福本豊(元阪急ブレーブス)
  • 2番セカンド・松井稼頭央(東北楽天ゴールデンイーグルス)
  • 3番レフト・若松勉(元ヤクルトスワローズ監督)
  • 4番サード・中村剛也(埼玉西武ライオンズ)
  • 5番ファースト・高井保弘(元阪急ブレーブス)
  • 6番ライト・稲葉篤紀(北海道日本ハムファイターズ)
  • 7番キャッチャー・古田敦也(元東京ヤクルトスワローズ)
  • 8番ショート・川相昌弘(元読売巨人2軍監督)
  • 9番ピッチャー・成瀬善久(元千葉ロッテマリーンズ)
  • クローザー・高津臣吾(新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ)
  • 投手コーチ・佐藤義則(東北楽天ゴールデンイーグルス)
  • 片岡宏雄(元ヤクルトスワローズ・スカウト部長)
  • フロント・小林至(福岡ソフトバンクホークス元球団取締役)
  • アンパイア・名幸一明(プロ野球審判団)

オーダーを見れば分かると思いますが、決して"最強"を目指したオーダー編成ではなく、多分に著者の"趣向"が入った興味深いメンバーであることが分かります。

プロ野球選手」の定義は"野球で飯を食っている"、"野球で家族を養っている"というシンプルなものであり、自営業者でも会社員であっても、何らかの分野で生計を立てていれば
、その分野の"プロ"と定義することが出来ます。

しかしプロ野球は狭き門であり、プロに入ったとしても長年に渡り活躍することは困難な職業です。

元阪急の助っ人外国人スペンサーは次のように語ったといいます。

「グランドに出れば、存在するのは敵と味方だけだ。そして味方の勝利のためには、どんな犠牲も辞さないのが真のプロフェッショナルである」

より遠くに打球を飛ばすため」、「より早く投げるため」、「より確実に次の塁を目指すため」彼らは指先の隅々にまで神経を集中し、穴が空くほど戦況を観察し、持続して切磋琢磨する姿はまさに"職人"そのものであり、果たして私のようなサラリーマンはそこまで繊細で精巧な注意力を払って仕事をしているのだろうかと思うと呆然とせずにはいられません。

もちろん選手に限らず、将来性のある選手を見抜く観察力、試合を左右するジャッジをするアンパイアの判断力もアスリートとは違う性質の職人技が求めらます。

私のようにプロ野球とNHKのTV番組「プロフェッショナル」が好きな人であれば、次々と紹介されるプロ野球業界のプロフェッショナルたちに釘付けになり、あっという間に読了してしまうこと間違いありません。

箱根の坂(下)



北条早雲の生涯を描いた歴史小説「箱根の坂」もいよいよ最終巻です。

早雲は当時としては驚異的な90歳近くの長命を得ましたが、彼の足跡を辿ってみると、まるで自らの寿命を知っていたかのように物事を成し遂げてゆきます。

歴史上に登場した時から彼の足跡を年齢と共にざっくりとまとめてみると以下のようになります。

  • 義妹である北川殿の要請で駿河へ下向する(45歳
  • 今川範満を倒し、氏親を今川家当主に就けることに成功する(55歳
  • 伊豆討ち入りを決行し、伊豆を所領に加える(61歳
  • 小田原城を奪取する(63歳
  • 立河原の戦いで山内上杉家を破り相模の地盤を確かなものとする(72歳
  • 三崎城に篭もる三浦氏を滅ぼし相模一国を平定する(85歳

これだけ見ても早雲は、たとえば織田信長武田信玄のように武力を頻繁に用いて勢力を拡大するようなことはせず、慎重に時が熟するを待ち、強引に事を進めることを嫌った性格であったことが推測できます。

仮に早雲の寿命が織田信長と同じ49歳だったとしたら、彼は名は歴史の中に埋もれてしまったに違いありません。

さらに早雲は、その優れた内政手腕でも知られています。

四公六民という他国よりも2割~3割も安い税率で農民たちの生活を安定させ、一致団結した家臣団を築き上げた早雲の実績は、むしろ軍事的な才能よりも評価されてもよいかも知れません。

それを著者の司馬遼太郎氏は、あとがきで次のように言及しています。

早雲の小田原体制では、それまでの無為徒食の地頭的存在をゆるさぬもので、自営農民出身の武士も、行政職も、町民も耕作者も、みなこまごまと働いていたし、その働きが、領内の規模のなかで有機的に関連しあっていた。早雲自身、教師のようであった。
士農へ対し日常の規範を訓育しつづけていた。このことは、それまでの地頭体制下の農民にほとんど日常の規範らしいものがなかったことを私どもに想像させる。早雲的な領国体制は、十七世紀に江戸幕府体制が崩壊するまでつづくが、江戸期に善政をしたといわれる大名でも、小田原における北条氏にはおよばないという評価がある。

源平時代の源義経、明治維新で活躍した坂本龍馬はともに31歳で人生を終えていますが、彼らのように若さから来る情熱や勢いで物事を成し遂げることも大切ですが、早雲のように腰をじっくりと据え一生を使って何事かを成し遂げる姿勢は、現代人にも共感できると思います。

早雲はたとえ平凡な人生を歩んできても意志さえあるのなら、「未来は何歳になってからも変えられる」ことを証明した人物でもあるのです。