粗にして野だが卑ではない
副題は"石田礼助の生涯"となっていますが、彼は戦前から三井物産で活躍し、戦中には同社の代表取締役社長、戦後は第5代国鉄総裁といった要職を歴任した昭和を代表する財界人です。
タイトルにある「粗にして野だが卑ではない」は人が彼を評した言葉ではなく、第五代国鉄総裁になり国会で石田自身が自己紹介に使ったセリフです。より正確には以下のようであったそうです。
「嘘は絶対につきませんが、知らぬことは知らぬと言うから、どうかご勘弁を」
「生来、粗にして野だが卑ではないつもり。ていねいな言葉を使おうと思っても、生まれつきでできない。無理に使うと、マンキーが裃(かみしも)を着たような、おかしなことになる。無礼なことがあれば、よろしくお許しねがいたい。」
「国鉄が今日のような状態になったのは、諸君たちにも責任がある」
国会議員の面々を目の前にして、自信に溢れた活気ある挨拶ですが、この時の石田は77歳でした
"マンキー"とは、"山猿"という意味ですが、石田は戦前戦中に三井物産の代表取締役を務めた経歴を持っており、引退後、国府津で半農の悠々自適の生活を送っている時に突如、国鉄総裁の人選が回ってきたのです。
当時は国鉄の効率化が急務でありながらも、国会からの干渉にも耐えねばならないという難しい立場であり、松下幸之助や王子製紙の中島慶次といった大物財界人たちも総裁への就任を断るという有様でした。
財界人としてはこの上ない経歴を持った石田でしたが、平穏な余生を捨てて「これで天国へのパスポートが与えられた」と意気揚々として総裁に就任します。
今まで商売に徹してきた人生の総決算として、「パブリック・サービス」のために残りの人生を尽くすことを決心し、実際に総裁としての給与を受け取ることも拒否します。
三井物産時代には"鬼瓦"とあだ名されたほど恐れられたボスでしたが、国会で孤軍奮闘する姿からは"頼りがいのあるじいさん"として、国鉄職員たちの支持を得ます。
本書は、そんな石田礼助の人生とエピソードをふんだんに散りばめた1冊になっています。
著者の城山三郎氏は、経済小説の開祖と言われ、財界人を題材にした小説を多く手掛けています。
そこには戦国時代の武将や明治維新の志士といった分かり易い英雄は存在しないかも知れませんが、昭和を生きた魅力あるヒーローたちを発掘して読者たちに伝えてくれるのです。