椿山課長の七日間
人間はいつしか死ななければならない。
それなりの寿命で家族に看取られながら死ぬのであれば幸せだと思いますが、中にはある日突然死ぬことになる不幸な人もいるわけであり、自分がどちらに当てはまるかはその時になってみなければ分からないのが人生です。
本書では不幸にして後者の運命を辿ることになった死者たちを主人公にした小説です。
著者の浅田次郎氏は多様な作風を持っていますが、本書は完全なコメディ小説として書かてれいます。
よって霊界の世界を大真面目に論じた作品ではなく、"あの世"には死者が講習を受けるSAC(スピリッツアライバルセンター)と呼ばれるお役所があり、そこでの講習後に「反省ボタン」を押すだけで極楽に行けるという仕組みが存在します。
主人公の椿山和昭はデパートの婦人服売り場の課長として高卒ながらも順調な出世を果たしますが、妻と小学生の息子、そして購入したばかりの一軒家(中古)のローンを残したまま、過労によって突然死を迎えます。
さらに本作品にはもう2人の主人公ともいうべき人物が登場します。
1人目は人違いで殺害された暴力団組長・武田勇。そして2人目は横断歩道で信号を無視した車にはねられ命を失った小学生・根岸雄太。
彼らにはある共通点があります。
それは現世にやり残りした、いわゆる「死んでも死にきれぬ」相応の事情があり、それが認められて死後7日間という期限付きで、仮の別人の肉体で現世に戻れるという特例措置が認めれたのです。
またこの特例措置には3つの厳守事項が存在します。
- 制限時間の厳守
- 復讐の禁止
- 正体の秘匿
かなりいい加減な仕組みですが、ともかく3人は姿形を変えて現世に逆送されるのです。。
ここまでは物語の序盤ですが、まるで演劇の脚本のような筋書きです。
"死"というテーマはシリアスに考えればどこまでも深みがあり、宗教や哲学という領域に至ってしまうと殆どの日本人が敬遠してしまうのではないでしょうか。
そこをコメディ化することによって単純化してゆくと、案外簡単に割り切れるものかも知れません。
例えば自分が死んだ後、現世に戻ろうが戻るまいが世の中は回り続けるのであり、中には自分の死を悲しんでくれる人がいるかも知れませんが、自分の死後もしばらく生き続ける人たちは意外とたくましくそれぞれの人生を過ごしてゆくのに違いありません。
それに何の悔いもなく死ぬ人など万分の一も存在せず、程度の差こそあれ、誰もが何かをやり残して死んでゆくものだと思います。
ただ本作品のようにたとえ限られた時間であっても、死後にこの世を再び訪れることが出来るならば私自身はどのように過ごすだろうか?
そんな想像をしながら本作品のようなハートウォーミングなコメディを読めるのは、人間が生きているうちの特権の1つに違いありません。