炭鉱に生きる 地の底の人生記録
2ヶ月ほど机の上に置き、時間のある時に開いては眺め続けていたのが本書です。
本書に掲載されている山本作兵衛氏の炭鉱画は、日本ではじめて世界記憶遺産(ユネスコ記憶遺産)に登録されたことでも知られているようです。
ただし世界記憶遺産という権威に頼らずとも、山本氏の炭鉱画の持つ歴史的な価値は一見して分かります。
山本氏は明治39年(14歳のとき)から炭鉱員として働き続け、一線を退いた60代半ば近くからその経験を子孫に伝えるために"絵"として書き起こし始めました。
それは正統な絵画の手法ではありませんが、過酷な炭鉱で働き続け、50数年ぶりに絵筆を手にとったという事情を考えれば無理もありません。
よって本書は"文章"よりも山本氏の"炭鉱画"が主役であり、その意味でも"読む"より"眺める"という表現が相応しい1冊です。
今やエネルギーの主役石炭は石油や原子力にシフトし、鉄鋼業などで使用されている石炭も大部分が輸入に頼っている状態です。
つまり"鉱夫"という職業は現在の日本から絶滅し、彼らの生きていた時代を生き証人として伝えることの出来た最後の人が山本氏なのです。
ちなみにタイトルの"炭鉱"は、"たんこう"ではなく"ヤマ"と読みます。
本書にはヤマで使われていた言葉、労働の様子、日々の暮らし、娯楽といった彼らの生涯そのものが絵として詳細に描かれており、中にはヤマで行われていた見せしめ(リンチ)、ヤマに狐が現れて人を騙した逸話までもが紹介されています。
そこからは明治から昭和初期にかけての坑夫たちの重労働、生活の貧しさ、そして死と隣合わせの危険さが浮き上がってきます。
とにかく絵から伝わってくる迫力に圧倒され、ページをめくるたびに目が釘付けになりました。
下手な民俗資料館よりも本書から得られることが多いように思えます。
そこには素朴に謙虚に、そして一生懸命生きてきた先人の記憶と知識が詰まっています。
本書で心に残った山本氏の一節を紹介しておきます。
もともとが自分の子孫に描き残しておこうと思ってはじめたことですから、他人に見せようなどとは夢にも想像せず、また見せられるようなしろものでもありません。
貧乏に生まれて知恵もなく、一生をようするに社会の場ふさぎとして過ごしてきた一人の老坑夫のまずしい記録にすぎません。したがって、ただひたすらに正確にありのままを記すことのみを心掛け、それ以外のことは考える余裕もありませんでした。
これから五十年、あるいは百年の後、孫やその孫たちが、こんなみじめな生活もあったのか、と心から思えるような社会であってほしい。
それだけがせめてもの願いであります。
山本作兵衛氏の絵はWebでも見ることができます。
興味のある人は覗いてみたら如何でしょうか。